第7話「ゴースト俺、男としても死亡」
ゴーストとして目覚めてから、二日が経っていた。
文哉は、その間ずっと黒森の中を彷徨っていた。
最初は混乱していた。
自分が死んだこと。
ゴーストになったこと。
そして――誰にも見えない、触れられない存在になったこと。
けれど、二日間の試行錯誤で、文哉は自分の状態を理解し始めていた。
まず、眠くならない。
二日間、一度も眠っていないが、疲労を感じなかった。
食事も必要ない。
空腹感も、喉の渇きも――何もなかった。
そして、物理的な制約がない。
木の幹に手を伸ばせば、そのまま通り抜ける。
岩も、壁も、すべてが透過可能だった。
さらに、浮遊もできた。
地面から数センチ浮き上がり、滑るように移動できる。
試しに木に登ろうとしたら、そのまま幹の中を通過して、上へと浮かび上がった。
もちろん、魔物にも見つからない。
試しに例の洞窟でランドドラゴンを探してみたら、いた。
お昼寝中だった。話しかけてみたりしたが、何も反応はない。
何もしてこなければ、ちょっと愛らしさも感じてくるものだ。
「これが……ゴースト……」
文哉は、自分の半透明の手を見つめた。
便利な能力だ。
けれど――
誰にも見えない。
誰にも触れられない。
誰にも、声が届かない。
完全な、孤独だった。
(まあ……いいか)
文哉は、そう思うことにした。
どうせ、生きていた時も孤独だった。
友人も、恋人もいなかった。
異世界に来てからも、結局は「都合のいい存在」として扱われただけだ。
ならば、この孤独も――慣れるだろう。
◆
ゴーストになってから四日目。
文哉は、王都ルミナスへ向かうことを決めた。
理由は一つ。
葛城、森川、梨花――あの三人に、会うためだ。
(必ず……お前たちの人生、ぶっ壊してやる)
文哉の心に、黒い炎が燃えていた。
あの時の言葉が、何度も脳裏に蘇る。
『お前みたいな無能は、最後に英雄の役に立てて幸せだろ?』
『最後くらい……役に立ってくださいね』
『じゃ、頼んだわ。"囮"役』
憤怒が、胸を焼く。
(僕は……ずっと、誰かのために生きてきた)
(地球でも、異世界でも)
(自分を犠牲にして、他人を助けて、それが当たり前だと思ってた)
(けれど――その結果が、これか)
(裏切られて、捨てられて、殺された)
(もう、誰のためにも生きない)
(これからは――自分のために、あいつらを絶望させるために、動いてやる)
文哉は、王都へと向かった。
通常、王都から黒森までは五日間の道のりだ。
けれど、ゴーストになった文哉には、物理的な制約がない。
岩も、木も、川も――すべてを通り抜けて、最短距離で進める。
さらに、浮遊することで体力を消費せず、休憩も不要だ。
文哉は、ほぼ一直線に王都へと向かった。
結果――
わずか二日目で、王都ルミナスの城門が見えてきた。
◆
王都ルミナス。
石造りの壁に囲まれた、この国最大の都市。
城門には、いつものように衛兵が立っている。
文哉は、城門に近づいた。手も降ってみた。
だが、衛兵は、文哉を見ていない。
いや、見えていない。
文哉は、そのまま城門を――通り抜けた。
壁をすり抜け、街の中へ。
誰も、文哉に気づかなかった。
街の中は、いつもと変わらず活気があった。
商人たちが商品を売り、人々が笑い合い、子供たちが走り回っている。
文哉は、その光景を見ながら――
ふと、立ち止まった。
目の前を、一人の女性が通り過ぎようとしていた。
文哉は、試しに手を伸ばした。
女性の肩に――触れようとした。
けれど――
手は、そのまま肩を通り抜けた。
女性は、何も気づかず歩いていった。
文哉は、自分の手を見つめた。
(やっぱり……誰にも、触れられないんだな)
虚しさが、胸に広がる。
けれど、すぐに振り払った。
(どうでもいい。もう、誰かに触れる必要もない)
文哉は、街の中を歩いた。
いや、「歩く」というより――「漂う」という表現の方が正しいかもしれない。
地面から少し浮き上がり、滑るように移動する。
誰も、文哉に気づかない。
人々は、文哉の体を通り抜けて歩いていく。
まるで、自分が存在していないかのように。
(ああ……そうか)
(僕は、もう存在していないんだ)
(この世界に、僕の居場所はない)
文哉は、そう思いながら街を彷徨っていた。
その時――
ふと、視界に入ってきた建物がある。
湯気が立ち上る、大きな木造の建物。
入り口には「大浴場」と書かれた看板が掛かっていた。
銭湯だ。
文哉の足が、ピタリと止まった。
(……これは)
脳裏に、ある考えがよぎる。
(男なら……絶対に一度は考えたことあるやつ!)
透明人間になったら、やってみたいこと第一位!
女湯を覗く。
文哉の顔に、わずかに期待の色が浮かんだ。
(いや、でも……)
(僕はもう死んでるし……)
(そんなこと、したって……)
けれど――
文哉の足は、既に銭湯の方へ向かっていた。
(いや、待て待て)
(これは……あくまで、ゴーストの能力を試すための実験だ)
(壁抜けが本当にできるのか、確認するための……)
言い訳を重ねながら、文哉は銭湯の壁を――通り抜けた。
中は、男湯と女湯に分かれている。
文哉は、迷うことなく――女湯の方へと向かった。
壁を通り抜け、脱衣所を抜け、浴場へ。
そこには――
湯気の向こうに、複数の女性の姿があった。
文哉の目が、キラリと光った。
(お、おお……!)
ドキドキという感覚はないが、男としての本能が――
いや、本能が――
……あれ?
文哉は、ハッとした。
(……なんか、反応が……薄い?)
目の前には確かに、裸の女性たちがいる。
けれど――
文哉の心は、驚くほど平静だった。
ドキドキしない。
興奮しない。
何も、感じない。
(え……ちょっと待って……)
文哉は慌てて、もっと近くで見ようとした。
けれど――
やはり、何も感じなかった。
まるで、風景を眺めているような――
ただそれだけの感覚。
(嘘だろ……)
文哉は、愕然とした。
そして――気づいた。
(そうか……僕は、もう生きてないんだ)
(繁殖する必要がない……だから、性欲も……)
絶望が、胸を覆った。
男として、最後の楽しみすら――
奪われていた。
完
◆
数分後。
文哉は、銭湯から出てきた。
その表情は――
深い、深い悲しみに満ちていた。
肩を落とし、トボトボと歩く文哉。
誰にも見えない彼の姿は――
まるで、全てを失った男の背中だった。
(男として……終わった……)
文哉の心に、新たな絶望が刻まれた。
生きる楽しみ。
食事も、睡眠も、そして性欲も――
全て、失われていた。
(これが……ゴーストか……)
虚しさが、胸を満たす。
そんな虚無を抱えながら、文哉は街を歩いていた。
そして――
ふと、視界の端に見覚えのある光景が映った。
路地の脇に置かれた木箱。
その上に――
桃色の髪の少女が座っていた。
あの時と同じように、虚空を見つめている。
文哉は、少女の横を通り過ぎようとした。
どうせ、自分は見えていない。
けれど――
その時。
少女の瞳が――
ほんの一瞬、文哉の方を向いた。
そして、小さく呟いた。
「……透き通った、光……」
文哉は、その声を聞いた。
けれど、それが自分に向けられた言葉だとは気づかなかった。
(また、何か変なものを見ているのか)
文哉は、そう思って通り過ぎた。
少女は、文哉の背中をじっと見つめていた。
けれど、文哉はそれに気づかず――
城へと続く道を、進んでいった。
◆
城に着いた文哉は、壁を通り抜けて中に入った。
衛兵も、侍女も――誰も文哉に気づかない。
文哉は、城の中を探索した。
(葛城たちは……まだ戻っていないのか?)
勇者たちの部屋を覗いたが、誰もいなかった。
部屋は、出発前と同じ状態だった。
(そうか……五日かかる道のりだもんな)
(僕は二日で着いたけど、あいつらはまだ道中か)
文哉は、少し考えた。
そして――
葛城の部屋に入り、待つことにした。
どうせ、眠くもならないし、疲れもしない。
ここで、じっと待っていればいい。
文哉は、部屋の隅に座り込んだ。
半透明の体が、壁に溶け込むように同化する。
(待ってろよ、葛城……森川……梨花……)
(お前たちが帰ってきたら――)
(復讐を、始めてやる)
文哉の目が、冷たく光った。
窓の外では、夕日が沈んでいく。
文哉は、ただ静かに――
復讐の時を、待ち続けた。
読んでいただき、ありがとうございます。
現実はゴーストになっても、男の本能は消えない……はずだよね……。
ついにゴーストになった文哉、こっから復讐劇が始まるのか⁉
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