第3話「すれ違う視線」
召喚から一週間が経った。
文哉は、城下町の市場を一人で歩いていた。
他の三人の勇者たちは、今日も訓練に励んでいる。しかし、文哉には別の役目が与えられた。
「中田さん、申し訳ないのですが、市場で物資の調達をお願いできますか?」
騎士団の補給担当がそう頼んできた時、文哉は快く引き受けた。
むしろ、ありがたかった。
戦闘訓練に参加しても、自分は後ろで鑑定を叫ぶだけ。
ならば、こうして実務的な仕事をしている方が、まだ気が楽だった。
手には、補給物資のリストが書かれた羊皮紙がある。
医療用の薬草、保存食、武器の手入れ用の油、そして布地――どれも勇者パーティの遠征に必要なものばかりだ。
「えーっと、薬草専門店は……あっちか」
文哉は地図を確認しながら、石畳の道を歩いていく。
ルミナス王国の城下町は、思っていたよりも活気があった。
行き交う人々の表情は明るく、商人たちは威勢よく商品を売り込んでいる。
「新鮮な魚だよー! 今朝獲れたばかり!」
「りんご、甘いりんご! 一個銅貨三枚!」
異世界らしい光景に、文哉は少しだけ心が和んだ。
(まあ、こういうのも悪くないか)
地球では毎日オフィスに籠もって、パソコンと書類に向き合う日々だった。
こうして外を歩き、買い物をするのは――たとえ雑用でも――新鮮に感じられた。
◆
薬草専門店で必要な物を揃え、次は武器屋へ向かう。
途中、文哉は『鑑定』を使いながら、店先に並ぶ商品を眺めていた。
【リンゴ:鮮度95% / 栄養価:中】
【干し肉:鮮度80% / 保存期間:あと12日】
【鉄の鍋:耐久度100% / 品質:良】
癖でつい、色々なものを鑑定してしまう。
役に立つわけではないが、この能力が唯一、文哉に与えられたものだった。
(せめて、これを活かさないとな)
そう思いながら歩いていると――
ふと、視界の端に奇妙な光景が映った。
路地の脇に置かれた木箱の上に、一人の少女が座っていた。
桃色の髪。
ふわふわとした癖毛が、風に揺れている。
肩にかかる程度の長さで、両サイドには細い三つ編みが編み込まれていた。
少女は、何かをじっと見つめていた。
いや、「見つめている」というより――「観察している」と言った方が正しいかもしれない。
文哉が気になって視線を向けると、少女は虚空を見つめたまま、微かに首を傾げた。
まるで、そこに何かが見えているかのように。
(……何を見てるんだろう?)
文哉は一瞬、足を止めかけた。
けれど、すぐに思い直す。
自分には、やるべき仕事がある。
文哉は少女から視線を外し、再び歩き始めた。
その時、少女の瞳が――ほんの一瞬だけ――文哉の方を向いた。
けれど、文哉はそれに気づかなかった。
◆
武器屋で手入れ用の油を購入し、最後に布地を扱う店へ向かう。
文哉は効率よく店を回り、リストの品をすべて揃えた。
商人との交渉も、サラリーマン時代の経験が活きた。値切りにも成功し、予算内に収めることができた。
「よし、これで全部だな」
荷物を抱えながら、文哉は満足げに頷いた。
戦闘では役に立てないかもしれない。
けれど、こういう実務なら、自分にもできる。
(やっぱり、僕には裏方が向いてるんだな)
そう思いながら、城へと続く道を歩き始めた。
再び、あの路地の前を通る。
木箱の上には、まだあの少女が座っていた。
相変わらず、何かを見つめている。
周囲の人々は、少女に気づいていないのか、それとも気にしていないのか――誰も声をかけることなく、通り過ぎていく。
文哉もまた、その一人だった。
少女の横を通り過ぎる。
その時、文哉の耳に――かすかに、少女の声が聞こえた気がした。
「……また、来るんだね」
文哉は一瞬、振り返りそうになった。
けれど、結局そうはしなかった。
自分に言ったわけではないだろう。
誰かと話していたのかもしれない。
文哉は荷物を抱え直し、城へと続く坂道を登っていった。
◆
その夜。
文哉は自室で、今日の買い物の報告書をまとめていた。
購入品のリスト、支払った金額、そして各店舗の評価――細かく記録する。
こういう作業は、文哉にとって苦にならなかった。
(今日は、いい買い物ができたな)
少しだけ、満足感があった。
けれど、ふとあの少女のことが頭に浮かぶ。
木箱の上に座って、何かを見つめていた少女。
桃色の髪が、風に揺れていた。
(何を見ていたんだろう)
そんなことを考えながら、文哉は羽根ペンを走らせた。
窓の外では、月が静かに輝いていた。
文哉は、まだ知らなかった。
あの少女が――自分の運命を変える存在になることを。
そして、自分が「見えない存在」になる日が、すぐそこまで迫っていることを――。




