第2章:フェニックスの紋章
再建されたロンドンの街並みは、一つの紋章によって静かに支配されていた。
炎の中から蘇る伝説の鳥、フェニックス。その姿をかたどった鉛製のプレートは、富と権威の象徴だった。裕福な商人の邸宅や、ギルドの会館、新興貴族の屋敷の壁に、それは誇らしげに掲げられている。プレートは無言で語りかける――この家はフェニックス火災保険組合の庇護下にあり、万一の火災の際には、組合が誇る最新鋭のポンプを備えた消火団が駆けつける、と。
だが、その輝かしいプレートの光は、濃い影もまた生み出していた。プレートを掲げる余裕のないパン屋、仕立屋、数多の庶民が暮らす家々には、当然その庇護はない。火事が発生すれば、消火団はプレートの有無を確認し、なければ隣家が炎に包まれようと、ただ見ているだけであった。プレート一枚が、市民の命を隔てる境界線となっていた。
「聞いたかい、昨夜のチープサイドの火事。肉屋のサミュエルさんの店が全焼しちまった」
「ああ。隣の金物屋はプレートがあったから無事だったが、サミュエルさんの店には誰も水をかけてくれなかったそうだ」
「ひでえ話だ。まるで悪魔に魂を売るようなもんだぜ、あの保険ってのは」
エールが満たされたパブの薄暗い片隅で、男たちは声を潜めてそんな噂を交わしていた。
組合の代表であるアーチボルド・クレイン卿は、そんな庶民の声など意にも介さぬ様子で、今日も慈善家としての一日を過ごしていた。孤児院への寄付の式典を終え、瀟洒な馬車で事務所へ戻る途中、沿道の市民ににこやかに手を振る。その計算され尽くした笑みの下に隠された冷徹な野心を、見抜ける者はいなかった。
その日、エドマンドは取引を終えて商会へ戻る途中、街の鐘がけたたましく鳴り響くのを耳にした。火事を知らせる警鐘だ。人々の流れが、セント・ポール大聖堂に近い一角へと向かっている。野次馬に混じり、彼もそちらへ足を向けた。
煙が空を黒く染め、焦げた木の匂いが鼻をつく。燃えているのは大きな織物倉庫のようだった。人々がバケツリレーで懸命に水をかけているが、炎の勢いは衰えない。
その時、地響きのような音と共に、道が開かれた。フェニックスの消火団が到着したのだ。統率の取れた一団は、真鍮のヘルメットを輝かせ、赤い制服に身を包んでいる。彼らは市民のバケツリレーを押し退け、手際よく馬に引かせた最新のポンプ車を配置した。その動きには、救助に向かう者の熱意ではなく、現場を制圧する者の威圧感があった。
そして、その中心に立つ男を見て、エドマンドは全身の血が凍りつくのを感じた。
見上げるほどの巨躯。揺るぎない態度で周囲を見渡し、低いが隅々まで届く声で部下に指示を飛ばしている。
「ポンプは風上へ! ホースを二手に分けろ! 延焼を防ぐのが先だ!」
その男こそ、十四年前の記憶に焼き付いて離れない、あの放火犯だった。
英雄だ、と誰かが囁いた。フェニックスの守護神、ギデオン・ブラックソーン。彼の指揮の下、消火団は燃え盛る倉庫の隣家――壁にフェニックスのプレートが掲げられた裕福な邸宅――へと放水の的を絞った。燃え盛る倉庫は、もはや彼らの関心の外だった。
過去と現在が、エドマンドの頭の中で激しく衝突した。家族を奪った炎。その中で冷然と松明を手にしていた男の横顔。そして今、市民の賞賛を浴びながら、選ばれた者だけを救う英雄を演じている男の姿。
呼吸が浅くなり、冷や汗が背中を伝う。激しい吐き気がこみ上げてきた。
その瞬間、ギデオンがふとこちらを振り向いた。何千人という野次馬の中の一人にすぎないエドマンドに気づくはずもない。だが、その冷たい視線が、十四年の時を超えて自分の心臓を貫いたように感じられた。
男は生きている。そして、今もなお、このロンドンの街で炎と共に生きている。
エドマンドは人垣から離れ、震える足でその場を去った。彼の心の奥底で、忘れかけていたはずの火種が、再び赤く、激しい憎悪の炎となって燃え上がった。