第七話 天然系霊龍『白』
――ある春の終わり、山深く封じられた湖のほとりにて
静流は一人、深い山道を踏みしめていた。陰陽寮での適性試験に落第し、地方分院へ追いやられた直後のこと。悔しさと虚しさを抱え、誰にも告げずに、古文書に記された「封じの湖」へと向かっていた。
「……本当に、ここに何かがいるのか……?」
クロは止めた。アヤメも「危険です」と声を潜めた。
だが静流は、何かに引かれるように湖の岸辺までやってきた。辺りは濃霧に包まれ、季節外れの雪が、音もなく降っている。そんな中、湖面の中央に――それはいた。
白い髪に、白い衣。静かに佇む、美しい少年。
その姿はまるで彫像のようで、動かぬまま、湖の水面に立っていた。
「……君は……人?」
静流が問うと、少年はまばたきもせずに口を開いた。
「……ひと。ではない……けど、君には、“見える”んだね」
「えっ?」
「久しいな。何百の春を越えて……ようやく、また。“見る目”を持つ者が来た」
その声は、風の音のように静かで、耳に直接届くような不思議な響きを持っていた。
少年の足元で、水面が淡く揺れる。白い光の輪が静流へと広がってくる。
「……君は……何者?」
静流は、無意識に膝をついていた。問いかける声も、掠れていた。
そのとき――
「我は“白鱗”――霊なる龍の化身」
少年は、はじめて視線を動かし、静流を見つめた。
「……長き封印を越えて、再び“契る者”を待っていた。君が、我を呼ぶならば……我は君の傷を癒し、道を開こう」
静流の胸が熱くなる。心の奥底で、何かがほどけていくのを感じた。
「……僕は、陰陽寮で落ちこぼれて……役立たずって言われて……でも、誰かのために、何かを守りたくて――!」
「その祈り、確かに受け取った」
白の姿が、淡く輝く霧の中で、龍の影を映した。
「汝と我は、いまこのときより、契りを交わす。名を呼べば応じ、願えば力を貸そう。……ただし」
「ただし?」
「……ご飯は、三度、ちゃんと食べさせてほしい」
「……えっ?」
「あと、日向ぼっこ……好き」
「……え、ええぇ……?」
静流は、呆然とした。
霊龍は、真顔で頷いた。
こうして静流は、“白”と名乗る天然系霊龍を式神として迎え入れることとなった――
それが、静流が再び立ち上がる第一歩だった。
――風野郷・分院裏の薬草庭にて
ぽかぽかと陽が差す昼下がり。分院の裏手にある小さな薬草庭で、静流は腰を下ろして白い湯呑を傾けていた。
その膝には、開かれた本の姿のアヤメ。
そばの石の上には、クロが黒狐の姿で尻尾を揺らして寝そべっている。
そして、日だまりの一角――
「……ぬくい」
ぼふっと草の上に寝転がるのは、白。
絹のような銀髪をふわりと広げて、まるで猫のように日向ぼっこしていた。
「……おーい、白。今日は掃除手伝ってくれるって言ってたろ?」
「……無理。いま光合成してる」
「おまえ植物じゃないだろ!」
「……光、だいじ」
「光より箒を持てっ」
「……あと五分……」
静流が額を押さえてため息をつくと、すぐ隣でアヤメのページがひらりとめくれた。
「放っておけば一日中寝てますわよ。昨日も“光のうたたね”で七時間動きませんでしたし」
「またそんな技名っぽく言って……」
すると、クロがくくっと笑い声を漏らす。
「まあまあ、主よ。昼間から騒ぐのは下品というもの。天狗のわしとしては、午後のおやつが運ばれてくるまで無駄な動きはせん主義じゃぞ」
「……いや、おまえこそ動け」
「はいはい! 山奥に流された元エリート様!」
「流された、って言うな……!」
静流が机の縁に頭をつけて沈んだそのとき、ぱたぱたと走る足音が近づいてきた。
「静流さーん!! お団子焼けましたよーっ!!」
ひょこっと顔をのぞかせたのは、灯乃。両手にお盆を抱え、笑顔満開だ。
盆の上には、きつね色に焼かれた団子、そして湯気のたつ白玉しるこまで並んでいた。
「今日は《白霧の斜面》へ行くんですよね? その前に、エネルギー補給ってことで!」
「あっ、それは助かる……って、いつの間に《白霧の斜面》の話を?」
「彦馬さんが言ってました。『また坊主が妙な霊場に行くってんで、見張っとけ』って」
「見張りって言うな……!」
苦笑する静流のそばで、白がぴくりと反応した。
――くんくん、と小動物のように鼻を動かし、
「……だんご……」
ごそごそと起き上がる。
それを見て、灯乃はにっこり。
「白くんもどうぞ。今日はあんこと、きなこ味と、柚子蜜の三色団子なんですよ」
「……柚子蜜……好き」
すとん、と白が灯乃の隣に座る。
「さっきまで動けなかったんじゃなかったのか!?」
静流がツッコむと、アヤメがぴしゃりとページを閉じた。
「甘味は別腹……いえ、別理論ですわ」
「いや本なのに何理論なんだよ!」
笑い声と団子の香りに包まれた薬草庭。
しかし――その陽だまりの向こうに広がる《白霧の斜面》は、かつて神隠しがあったと噂される霊域。
静流と式神たちの“ほのぼの”と“ちょっと不思議”な日常は、ゆるやかに次の冒険へとつながっていく。
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