第六話 白霧の斜面・鳥居跡
数日後の朝。村人たちが朝の仕事に出かけるころ、静流たち三人は山道を登っていた。
「……あのあたりから、霧が濃くなるんです。ほら、向こう側」
灯乃が指差す先、木々の間から薄白い靄が漂っていた。陽の光があるというのに、霧は地を這うように揺れている。
「この辺、鳥の声がぱったり止まってる……」
静流は立ち止まり、手元の羅盤を取り出した。
中心に据えられた針が、一瞬ぴくりと揺れ、回転しかけて止まる。
「やっぱり、気流が不自然に淀んでる。……ここ、結界か、瘴気か……」
《この霧の質……尋常ではありませぬ。おそらく“旧い式”が眠っているかと》
「クロか。……何か感じる?」
《術痕の残り香。誰かが“封じた”跡ですじゃ。もうとっくに時間が経っておりますが……中に何かおりまする》
「……了解。警戒は続行ってわけだ」
背中で、彦馬の声が響く。
「なんだ? いま、独り言……?」
「えっ、あ、うん、ちょっと考えごと……」
すかさず、もう一つ別の声が静流の脳内に流れ込んでくる。今度は女性の声。どこか理知的で、落ち着いた調子。
《静流さま、周囲に霊文の残滓あり。文様は断片的ですが、古代陰文術系統。どうやら“封語式”が使用されていますわ》
「封語……となると、音や言葉で縛る系統か」
《はい。慎重に。言葉を発すれば、術式を“解いてしまう”可能性も》
「……ありがとう、アヤメ」
「あの……静流さん、誰と話してます? さっきから“ありがとう”とか」
灯乃が不思議そうに首を傾げる。
「えーと、風の声、っていうか……はい、ちょっとした陰陽師の“感覚”みたいなもので……」
「え、かっこいい!」
「うん、便利そうだな。俺も獲物の気配、そういうので探れたら楽なんだが」
そのやりとりの最中も、霧はじわじわと濃くなっていく。木々の枝が湿り、足元の落ち葉が重くなる。
「…… 灯乃、危なくなったら下がって」
「はい。でも大丈夫。静流さんと一緒ですから」
《ほう。 灯乃とやら、案外、肝が据わっておるのう》
《少々天然ではありますが、資質はありますわね。巫の血筋……侮れません》
「……あんまりいろいろ言わないで。顔に出るから……」
静流は手の中に小さな護符を握る。黒墨の線で刻まれた「封壱」の符だ。
すうっと息を吸い、霧の先――木立の裂け目へと、そっと歩みを進める。
「っ……!」
次の瞬間、彼の前に現れたのは、風で捲れた、古びた鳥居。
すでに倒壊しかけ、苔むし、縄も朽ち果てていたが……その中央に、赤黒い“手形”のような痕跡が、べったりと刻まれていた。
「……これは」
「静流さん……?」
《……巫の共鳴は諸刃。使い方を誤れば、“向こう側”にも引かれますぞ、主……》
「近づかないで。これ、ただの神域じゃない。……“式の残響”が残ってる」
空気がひときわ冷たくなる。
《これは……危険ですな。主よ! こっから先、ちょっとわしが前を張りましょう》
《同意。わたくしも結界展開を準備します》
――異界への“通路”。
それはただの霧に見えて、薄皮一枚を挟んだ異常領域だった。
「……でも、ここに何があるのか。ちゃんと、見てこないと」
静流の瞳に、決意の色が宿る。
静流は小さく呟き、手にした護符を地面に押し当てた。
「――結界、展開。簡易・防符陣、起動」
符の墨がじわじわと地面に溶け、霧の中に薄い光の環を描いた。見えない膜が一瞬、霧を押し返す。
「すげぇ……。結界って、実際に使えるもんなんだな」
彦馬が感嘆の声を漏らす。 灯乃は息を呑み、鳥居の奥をじっと見つめた。
「静流さん……この奥に、なにかいます」
「やっぱり、わかるんだ」
静流が目を細めた。その視線の先、朽ちかけた鳥居をくぐった先に――ぽつり、と、白い人影が浮かび上がる。
それは、顔のない童子の姿をしていた。手に鈴を提げ、足元が浮かんでいる。
「式……!? ちがう、“なりそこね”か……」
《ああ、あれは“封じられた式”が自我を持ちかけた状態。残滓みたいなものですが、手を出せば反応しますぞ》
《反応だけではありません。過去の“命令”を反復して動く可能性が――》
「来るっ!」
鈴が、ひとりでに鳴る。霧が一気に渦を巻き、風が巻き上がる。
――白い童子が、こちらへ向かって浮遊する!
「下がって、 灯乃!」
「……っ!」
静流は素早く懐から護符を抜いた。四枚を空中に放ち、指先で印を切る。
「〈四方結印・風封陣〉!」
四つの護符が空中で淡い光の壁を作り、童子の進行を止める。しかし、童子はその場で鈴を何度も鳴らし始めた。
カラン――カラン――
周囲の霧が強く反応し、地面から、黒い“手”のようなものがずるずると這い出してくる。
「……霊体が、複製されてる……? この場所が“再生の器”になってるのか……!」
《こりゃ、長居は禁物ですじゃ、主》
《“要の音”……霊音が増幅されてます。封印の再構築が急務です》
「っ、 灯乃! できるだけ離れて!」
「わ、わかりました!」
灯乃が木陰に下がる。そのとき――
彼女の手にしていた薬草のひとつが、淡い光を帯びる。
「……あれ?」
見下ろした彼女の目に、薬草の中心に咲く、淡い白花――“山銀花”が静かに揺れ、風をはらむような律動を持っていた。
「……なんか……花が、歌ってる……?」
灯乃がそう呟いた瞬間、霧の中の“手”たちが一瞬、動きを止めた。
その一拍の隙を、静流は逃さなかった。
「――〈封壱・呑咒結〉ッ!!」
最後の護符を地面に叩きつける。護符が燃え上がり、霧の中心に紋章が浮かび上がった。
鈴の音が乱れ、童子の影がもがくようにぶれる。
《決めろ、静流。いまが“沈め時”だ》
「……帰れ、汝の在るべき所へ――」
彼は印を組み、最後の一句を呟く。
「――《還神の式》」
霧が一瞬にして晴れる。童子の姿は淡くなり、光の帯となって鳥居の奥へと消えていった。
そのあとに、ただ、鈴の音だけが残った。
「……ふう。なんとか収まった、か」
「し、静流さん……すごい……!」
灯乃が駆け寄ってくる。彼女の顔は興奮と驚きで紅潮していた。
「さっきの……なんか、花が歌ってたんです。本当に、そんな感じで」
「たぶん、君の“巫の血”が共鳴したんだよ。あの花、山銀花は結界の気脈を感知する……結びの媒介になる薬草だから」
「へえ……! やっぱり私、なんかの役に立てたんですねっ」
「……うん。ありがとう。助かった」
後ろで、彦馬が野うさぎを片手に笑う。
「いやあ、たいしたもんだな。おかげで今日は獲物も余計に取れそうだ」
「どういう理屈ですかそれ……」
《ま、田舎の山ってのはこういう妙なものが眠ってるから、油断するなよ》
《静流さま。記録はすべて収めました。帰還後、整理を》
「はーい……帰ったら報告と復習か……」
こうして、静流たちは無事に「白霧の斜面」の調査を終え、少しだけ絆を深めて山を降りていくのだった――。
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