第五話 |灯乃《あかりの》と彦馬
――風野郷・村はずれの小道にて
早朝、山霧が晴れ始める頃。静流は薬草の写し絵を手に、分院から離れた山道を歩いていた。
「ええと……この“山銀花”ってのは、白い小さな花が房になって……葉っぱが、三枚ずつ……ん?」
藪の向こうから、ぱさり、と小さな音。
「誰か――」
「わっ、ひぃっ!? た、たぬき!? いや、違う! 人!? もしかして妖!?」
ばさっと飛び出してきたのは、藍色の野良着を着た少女だった。腰には竹カゴを提げていて、手には摘みかけの薬草が握られている。くせっ毛の茶髪に、小枝が二本、突き刺さっていた。
「あ……ご、ごめんなさい! 私、灯乃ですっ! 村で薬草を取ってるんです! あの、妖じゃないです!」
そう名乗ると、灯乃はぺこぺこと頭を下げた。
「え、あ……えっと、僕は九重静流。陰陽寮の……新入り、みたいなものです」
「えぇぇ!? あの“都から左遷されて来た”って噂の……!?」
「……左遷、て言うなよ……」
静流が肩を落とすと、灯乃は慌てて手を振った。
「ち、ちがっ、そういう意味じゃなくて! でも……よかった~、本当に人だった……。山の中で急に話しかけられたら、ほら、妖かと思うじゃないですか」
「……まあ、否定はできないけど。妖って、そんなに出るの?」
「ときどき、です。でも、私、昔から“見えちゃう”ので……」
そう言って、灯乃は静かに微笑んだ。
「子どもの頃に、病気の母を助けようとしたら、“あの子は呪を使った”って噂されちゃって……それ以来、見えることは秘密にしてたんです」
「だから、本当は私も陰陽師になりたかったんです。でも村じゃそんなの無理で……」
「……陰陽師、なりたいの?」
「はい! だから、静流さんに弟子入りしようかと!」
「えっ……い、今なんて?」
「弟子にしてくださーい!!」
「いやいやいや、僕まだこっち来たばっかりだし、むしろ修行中だし、教えられるような……!」
「大丈夫ですっ! 私、お茶淹れるの得意だし、お団子も焼けます!」
「えっ、なんか方向性おかしくない!?」
「まったり修行、でしょ? 聞きましたよ、お風呂沸かしたり、畑耕したりしてるって!」
「……ババ様、どこまで喋ってんだよ……」
静流が頭を抱えていると、その場にもう一つ、ずしんとした足音が近づいてきた。
「おーい、灯乃ー、そっち行ったか?」
「彦馬さん!」
現れたのは、大柄な青年。斧を肩に担ぎ、肩には野うさぎを二羽ぶら下げている。腕まくりした服から覗く筋肉は、明らかに村の平均値を超えていた。
「おっ、そっちの坊主が“左遷の陰陽師くん”か。……ずいぶんと小柄だな。ほんとに術使えるのか?」
「いや、だからそれを言うなって……ていうか、どこまで噂回ってるの……」
「村じゅうだな。村は狭いから」
彦馬は静流をじっと見て、ふっと表情を和らげた。
「いい目をしてる。ちゃんと“見えてる”目だ。灯乃、こいつについていくのも悪くねぇかもな」
「ほら! 弟子入り決定ですね、静流先生っ!」
「だから待てって!」
三人の笑い声が、山道に広がる。
小川のせせらぎが、鳥の声と混ざりあう。
静流は膝をついて、白い小花を観察していた。
「これが……“山銀花”?」
「そうそう。これ、夜になるとちょっと香るんですよ。お団子に添えると上品で……」
「お団子の話になるの早くない?」
「おやつは生活の柱ですからっ!」
「名言みたいに言わないで……」
灯乃はかごに丁寧に花を摘み入れながら、ふとつぶやいた。
「でもよかったなぁ……静流さん、怒らない人で。もし怖い陰陽師さんだったら、私、今ごろカエルにされてたかも」
「いや、今どきそういう陰陽術は使わないから……っていうか使えないから……」
「昔の話だとな、“大入道に呪をかけて山ごと鎮めた陰陽師”がこの辺に来たことあるらしいぞ」
彦馬が、沢の水をすくって顔を洗いながら言った。声は豪快だが、動きは意外と繊細だ。
「へぇ……そんな伝承が残ってるんだ」
「まあ、ばあさまたちが話す“昔語り”だけどな。たまに信じられないくらいリアルなんだ、あの話」
「もしかして……その“大入道”、封印されてたりして」
静流が言うと、灯乃は小さく肩をすくめた。
「そ、それは怖いですって~。この前も、山の上の“白霧の斜面”で、なんか見た気がして……」
「またか。あそこは、昔から“なにかがいる”って言われてる」
彦馬の表情が、少しだけ硬くなる。
「白霧の斜面……?」
「霧が一年中うっすら出てて、鳥もあんまり近寄らない。妙に静かで、音が吸い込まれる感じなんだ」
「へぇ……陰の気が強い場所かもな」
「静流さん、今度行ってみます? ちょっと離れてるけど、薬草もいっぱいあるんです」
「……霊的な調査もかねて、灯乃も。でも、危なくなったらすぐ引くよ」
「はいっ、でも安心です。静流さんといれば、怖くないですから!」
「……おだてても、何も出ないからね」
静流が苦笑すると、彦馬がニヤリと口を挟んだ。
「そのわりに、顔はちょっとうれしそうだったな?」
「ち、ちがっ……そ、そんなこと……」
「ね、ね、照れてる照れてる~!」
「やめて、村人のからかい文化やめて!」
三人の笑いが、小道にゆるく響いた。
ふと風が吹いて、白い山銀花がさらさらと揺れる。
その風の中、静流はふと思った。
(……ここでの暮らし、悪くないかもな)
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