第三十七話 偽りの継承者──夜刀の狙う次なる封印
祈念祭の翌日も、風野郷には妙な“気配”が立ち込めていた。
霊灯の灯が不自然に消えたり、“名”を告げる声に微かな違和感が混じる。
名告札に書かれたはずの名前が一部滲んでいたり、呼ばれた者の魂紋が弱く共鳴するという現象まで報告されていた。
静流は、広場の外れで拾った札を繰り返し見つめていた。
「九重……夜霞。そんな名、九重家にいたはずないのに……」
アヤメが記録を洗い直したが、やはりそんな名は存在しなかった。
白が静かに言った。
「それ、たぶん“真名”じゃないよ。“偽りの名”だね……でも、世界に響いて“真名”の代わりを果たしてる」
「え?」
「“偽物”でも、“名”として響いてしまえば……それはもう、存在として認識されるってこと」
静流の胸が、ズキリと痛む。
昨日、彼と目が合った時の感覚。――確かに、なにかが呼応していた。
“鏡写し”のようだが、別の道を歩んだ自分ような。……そんな印象。
(……夜霞。君は……ボクにとって、何なんだ……?)
その時、風野郷の神殿から使いが来た。
「静流様、古の文庫がひとつ、夜中に勝手に開いておりました。『宵霞さまの日記』の一部が、外に落ちていたのです……」
静流たちはすぐに現場へ向かった。
そこにあったのは、古びた紙に書かれた短い文。
《私は彼に名を与えなかった。それがせめてもの救いであり、罪であった》
《もう一人の継承者――名無き影。夜を映すもの》
静流は息を呑んだ。
「もう一人の継承者――名無き影……やっぱり、あの人は……!」
アヤメが低く呟く。
「この『もの』が……夜霞。宵霞さまが封じた、『もう一人の存在』」
白が首を傾げる。
「でも……なんで今、目覚めたのかなあ?」
静流の背中を寒気が走る。
そう、夜霞は誰かの意志で動いている。
誰かが、名を与えた。
(……夜刀。君か……!)
「アヤメ、白。……ボク、夜霞にもう一度会わなきゃいけない。このままじゃ……夜霞は……夜刀にいいように利用される……」
静流は静かに決意した目で、札を握りしめた。
一方その頃、夜刀は“揺水窟”の奥――もう一つの禁域にいた。
そこは、風野郷でもほとんど口にされることのない、旧九重家の“罪”を封じた場所。
宵霞すら手をつけられなかった「未完成の依代」が残されていた。
夜刀の足元に、黒き血で描かれた式陣が静かに脈動する。
「……名を持たぬ存在は、“ただの器”にすぎない。……だが、“鍵”に触れれば、その器は意味を持ち始める」
彼の背後には、先日目覚めた夜霞の姿があった。
夜霞は以前よりも表情が豊かになっていた。
だが、どこか苦しげに眉をひそめていた。
「……静流。なぜ、僕は彼を知っている気がするのだろう……? この『名』をもらってから、心に……知らない記憶が、流れ込んでくる……」
夜刀は穏やかに語りかける。
「それは、あなたに与えられた“使命”が導くものです。『名』とは記憶の器……あなたはそれを通じて、静流の心と共鳴するのです」
夜霞はふるりと首を振った。
「……でも、彼は、泣いていた。知らないのに、懐かしいって……」
夜刀の目が細く笑う。
「ふふふ……彼のその混乱こそ、“封印”を破る鍵なのですよ」
夜刀が手を掲げると、祭祀用の鏡――《水鏡紋》が淡く光り始める。
「次の“扉”を開くには……夜霞、あなたが必要なのです」
夜霞が顔を上げる。
「……僕で、彼を壊すのか?」
夜刀の声は変わらず静かだった。
「壊すのではありません。……“開く”のです。……この世界に、真の“融合”を」
その時、水鏡が激しく波打ち、中心に“静流の姿”が映し出された。
夜霞の表情が苦しげに歪む。
「静流……!」
「さあ、“祭りの後”に幕を引きましょう。九重の名を継ぐ者に、“もう一人の名”を突きつけるのです」
そして夜刀の術式が、第二の禁域全体に走った。
***
夜が更けても、静流の頭から《夜霞》の姿が離れなかった。
あの“存在”は一体誰なのか。自分と同じ“九重”の名を持ちながら、記録には一切残されていない“もう一人”。
その夜、静流は祖母・宵霞の古記を再び読み返していた。
文庫の奥深く、今まで誰にも気づかれなかった一冊。アヤメによって見出されたそれは、開いたまま静流の前に置かれていたのだ。
そこには、こう記されていた。
《“九重家は、かつて二つの“鍵”を持とうとした。一つは正統の継承者。もう一つは“鏡写し”――影の鍵”》
《“私は片方に“名”を与え、もう片方は“名なき器”として封じた。なぜなら――名を与えた瞬間、その存在は“現実”となるからだ”》
静流はその記述に、背筋を凍らせる。
(……“名を与えられなかった存在”……。まさか、夜霞……君が……!?)
そこへ、クロが駆け込んできた。
「静流さま! 《水鏡紋》の反応が急激に変化していまじゃ。揺水窟――封域が、開きかけておるのです!」
「……夜刀……!」
静流は立ち上がる。
「『転霊憑依空蝉』!」
静流が眠り『身代わりくん』があらわれる。
「アヤメと白はここで僕の本体をお願い。クロ、行くよ!」
まるで何かに導かれるように、静流達の足は《揺水窟》へ向かった。
《揺水窟》の奥へと駆け込んだ静流とクロ。
苔むした岩肌の間を縫い、幾重にも封じられた結界の層を抜け、最深部の祭壇へとたどり着く。
「……この空気……明らかに変わってる。何かが“動いてる”……!」
静流の目が、水鏡の祭壇をとらえる。
そこに広がっていたのは、微かに揺れる水面――《水鏡紋》。
本来なら完全に封じられているはずのその鏡が、今は静かに波紋を広げていた。
「……ここが、《夜刀》の……いや、《融合》に関わる“起点”……!」
静流は一歩、鏡へと近づく。
足元の式陣が反応し、靴音が淡い反響となって返ってくる。
そして彼は、ゆっくりと鏡の縁に膝をつき――水面を覗き込んだ。
その瞬間、鏡面が淡く光り、もう一人の姿――夜霞――が浮かび上がった。
「っ……あれは……!」
同時に、水鏡の向こう側。
夜霞の瞳にもまた、“鏡越しの誰か”が映り込んでいた。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
この小説を読んで、「続きが気になる」「面白い」と少しでも感じましたら、ブクマと↓の☆☆☆☆☆から評価頂けましたら幸いです 。
お手数だと思いますが、ご協力頂けたら本当にありがたい限りです <(_ _)>ペコ




