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第三十六話 闇より生まれし理

 夜刀はひとり、静かに苦笑を漏らした。


「……まったく、静流。どうやって私の術から逃れたのでしょうか……?」


 月光も届かぬ旧神域の奥、苔むした石の祭壇に腰を下ろしながら、彼は手の中の一枚の破れた符を見つめひとりごちる。

 それは静流に放った封術――しかし、思ったほどの効果は得られなかった。


「惜しかったですね。あと一歩で、“融合の鍵”を目覚めさせられたのに……」


 手にした符には、かすかに夜刀自身の血がにじんでいた。

 それは強力な術式の代償、あるいは彼自身の執着の証だった。


「紫苑の息子……まさかここまで術に対する理解と適応力があるとは……」

「精神防御、式神との連携、術式の応用。どれを取っても一級品でないと私の子の術から逃れられないはず。しかも――本人はまだ、その力の本質に気づいていないようす」


 夜刀は『身代わりくん』に術をかけたことにきずいていなかった。それゆえに、静流に対して過剰な評価を下したのだ。


 夜刀の視線が、足元に据えられた古い水鏡へと落ちる。

 鏡面は揺れ、歪み、まるで眠っていた何かが目を覚まし始めているかのように波打っていた。


「“真名”とは、世界が個を認識するための名前。枠だ。ならばその“名”を歪ませれば、存在そのものも歪む。魂の輪郭すら書き換えられる……」


「それが“鍵”の力。だから私は欲しいのです。静流の中に眠る、“真名を超える力”を」


 夜刀の後ろに、黒煙のような影がうごめいた。

 それは彼に付き従う式霊。命なき影。


 彼は囁くように語りかけた。


「……次こそは、彼の心に“揺らぎ”を与える。そうすれば、鍵の封印は自らほどけるはず」


「たとえば、“死んだはずの誰か”が、目の前に現れたら……彼は、どう反応するんでしょうね?」


 夜刀は立ち上がり、転移陣を描く。


 向かうのは、風野郷の東――封印されたままの、第二の禁域。

 そこには、静流の祖母にあたる巫女・九重 宵霞が生前、封じた“別の血”が眠っている。


「宵霞。あなたは“陰と陽はバランスを取るべきだ”と言ったらしいが、私は違う」


「陰と陽は混ぜるものだ。神と魔も、命と名も、すべてを混ぜ、繋ぎ、超える。私はそれを証明する」


 転移陣が淡く発光する中、夜刀の目は燃えるような執念を宿していた。


「次こそ……完成させてみせますよ。“融合の極点”――世界を歪める鍵を」


 そして彼の身体は、静かに闇の中へと消えた。



 転移陣から現れた夜刀が、音もなく降り立ったのは、風野郷の東にある断崖の奥地、古くから“誰も近づいてはならぬ地”とされてきた、禁域《凪ヶ原(なぎがはら)》である。


 かつて、九重家の前代当主――静流の祖母にあたる巫女・九重 宵霞が、命をかけて封じた禁忌――《緋の棺》は、今も地下の封庫に横たわっていた。

 外見は人の形。しかし、その中に眠るのは、かつて「もう一つの鍵」になりかけた存在。


 宵霞の弟子であり、宵霞のその血と九重清雅(九重家現当主で静流の父)を生んだ時のへその緒から作り上げられた人造人間(ホムンクルス)にして、静流の“ならざる叔父”――それは、名を持たぬまま封じられた、幻の血筋であった。


 夜刀は静かに地を踏みしめ、封庫の前で立ち止まった。

 その扉には 宵霞自らが編んだ結界印が刻まれており、六重の封縛によって永遠に閉ざされたはずだった。


「……なるほど。今も緩みひとつ見せない。さすがですね、 宵霞」


 しかし、夜刀の手にあるのは、 宵霞の旧式術式を解析し尽くした“開印符”。

 彼はその符を扉に貼り、術を囁く。


「《反写紋・開》──“あなたの記した封印を、反転させてもらいますよ”」


 扉が、ゆっくりと音もなく開いた。


 その奥、光も届かぬ空間の中に、沈黙する人型の“器”があった。


 男の姿。

 だが明らかに“生”とは異なる気配。

 目は閉じたまま、動くことも、呼吸すらもしない。


 それでも――その胸に脈打つ“偽の命”が、夜刀の目には見えていた。


「 宵霞は、これを“棺”と呼んだ。確かに、これはまだ“人”ではない……ですが」


 夜刀は袖から小さな黒水晶の珠を取り出す。


「私の術式で、こいつに“名”を与えましょう。“命”は“名”によって形作られる」


 水晶を棺の胸元へと当てる。

 術式が走り、夜刀の掌から“黒の符”が散った。


「――お前に与える名は、《夜霞(よがすみ)》だ」


 その瞬間、男の身体がびくりと震えた。

 目を開いたその“存在”は、夜刀を見据える。

 その瞳には、確かに“静流”と似た、だがどこか虚ろな光が宿っていた。


「……ヨガ……スミ……?」

 最初の言葉はかすれ、機械のように硬い。


 夜刀は満足げに笑った。


「さあ、行きましょう。“夜霞”。次はあなたが、彼の心を揺らす番です」


 そう――これは、“揺さぶり”だ。

 失われたはずの存在。知らぬはずの叔父。

 顔も声も、静流と似ている――そんな“知らぬはずの叔父・夜霞”が、もし目の前に現れたら?


 静流の心は、確実に乱れる。

 その混乱こそ、“融合の鍵”をこじ開ける最も確実な引き金。


「次の舞台は、風野郷の“祈念祭”……人々の名が一時、強く響く夜です」


 夜刀は振り返ることなく、夜霞と共に、再び闇に消えた。


 * * *


 ──風野郷・祈念祭の夜。


 祭の中心となる《神灯の広場》には、無数の霊灯が浮かび、淡い光が夜空に舞っていた。

 家族の無病息災、旅立った者への祈り、そして“名”の継承を願う名告なのりの夜。

 この日は、あらゆる“名”がもっとも強く世界に響く、特別な時だった。


 静流は、白とアヤメを連れて広場の外れに佇んでいた。

 薄紅の灯りが顔を照らし、どこか落ち着かない様子で辺りを見回している。


「……なんか、胸騒ぎがする」


「異常反応はありませんが、たしかに……少し空気が変ですね」

 アヤメが眉を寄せる。


「ボクも感じる、変な“波”……これは?」


 白が静かに呟いた、そのときだった。


 ──パシィン、と音を立てて、霊灯の一つが割れた。


 風もないのに、淡い光が吹き消されるように次々と消えていく。

 異変に気づいた周囲の人々がざわめき始める。


 その中心に現れた白装束の男。

 白銀の髪、無表情のまま静流を見つめるその姿は……どこか静流に似て、いや、静流の父・清雅に瓜二つだった。だが父ではない。


「……誰?」


 思わず静流が呟いたその瞬間、その男は一歩、近づいて口を開いた。


「……静流……」


 その声が、心の奥にひびく。


 聞き覚えのないはずの声。

 けれど、懐かしさを帯びた音色。

 どこかで──確かに、聞いたことがあるような錯覚。


「……だ、誰だよ、君……なんでボクの“名”を……」


 名前も知らない。会った記憶もない。なのに、見覚えがある気がする。親戚だろうか? 姿も、声も、気配さえも。まるで──自分を映す“影”のようだ。


 アヤメが静流の前に立ちはだかり、警戒する。


「静流さま、下がってください。この者、霊的特性が不明です……!」


 だが白が首を傾げながら言う。


「……違う。“敵”の匂いじゃない。けど……これは、危うい“歪み”」


 その言葉の通り、霊灯の光が再び淡く揺れ始める。


 “名の輪郭”が乱れている――この男の周囲だけ、世界のルールが曖昧になるような、異常な感覚。


「……あなたは……本当に、“誰”……?」


 静流が問う。だが返答はなかった。


 ただ、男は静かに、ひとこと。


「……夜霞(よがすみ)。それが今の、私の“名”だ」


 今の、“名”。

 その“名”が口にされた瞬間、静流の胸が、痛んだ。


 理由もなく。思い出もないはずなのに。

 ただ、どこかで、大切な何かを忘れてしまったような――切なさだけが、喉元に残る。


「……夜霞(よがすみ)……?」


 次の瞬間、男の姿はふっと霧のように消えた。


「っ……ま、待って! 話は──!」


 静流が叫んでも、そこにはもう、誰もいない。


 ただ、その場に一枚の“名札”が残されていた。


 それは、古い風野郷式の名告札。

 けれどその名札に記された名は――《九重 夜霞》。


「……ありえない。そんな“名前”、記録にないはずなのに……!」


 アヤメが震える声で呟く。


 静流は、黙ってその札を拾い上げた。


 夜霞(よがすみ)

 消えたはずの“誰か”。

 けれど確かに、“九重”の名を持つ者。


 ――そして、心のどこかで。


 確かに、自分と“似ていた”と、そう感じていた。


(……誰だ……? ボクは……彼を、知らないはずなのに……)


 その夜、静流の胸の中に、消えない違和感が宿った。


 それは、名をめぐる歪みの始まりであり、夜刀の仕掛けた“揺らぎ”が、静かに広がり始めた瞬間だった。



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