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第三十四話 揺水窟

 夜の帳が降りる頃。

 静流とその式神・黒耀天狗クロは、風野郷の北方、霧に覆われた《揺水窟》の前に立っていた。


「まったく……こんな陰気な場所に来る羽目になるとはのう。“名喰らい”の仕業でなければ、わしはこんなところに来たくなかったわ」

 黒狐の姿をしたクロが、尻尾をばさりと振ってぼやく。


「はいはい。文句は後でいってね。ここに“名喰らい”と、それを操る陰陽師が潜伏しているのは間違いないとおもうよ……たぶん」

 静流は淡々と返し、結界破りの符を手に洞窟へ足を踏み入れる。


 洞内には、粘るような湿気と水音、そして肌を刺すような妖気が漂っていた。


「気配が乱れとるのう……気をつけい。何かおるぞ!」


 クロの忠告と同時、洞窟奥から黒煙のような霊気が押し寄せ、そこから異形のあやかしが這い出した。


「名喰らい……!」


 人型とも獣ともつかぬそれは、顔という概念を持たぬ虚ろな“口”だけの存在だった。名を喰い、記憶を呑み、魂をすり替える――それがこのあやかしの本質。


「静流、先制攻撃じゃ!」


「わかってる!」


 静流は結印し、術式を解放。

「《封雷陣》!」


 符が炸裂し、雷撃が名喰らいを包む。だが、それでも喰われた名の一部が響くように、周囲の空間が軋んだ。


「効いてないのか……、ダメージは通ってるけど、本体までとどいていない!」

 静流の雷撃は名喰らいの外皮を削ったにとどまっていた。


 クロが飛び上がり、風を巻き起こす。

「任せい! わしの風で切り刻んでやるわ!」

 突風が名喰らいの幻影を散らした。


 しかし、その奥から現れた瘦せた人影が、一歩、また一歩とちかずいて来る。

「ようこそ、九重の末裔……いや、紫苑の息子。静流くん」

 白衣の裾を引き、蒼白な肌に微笑を浮かべた男。烏丸 夜刀。


「お前が……『名喰らい』を解き放った張本人か!」

 静流の声に怒気が混じるも、夜刀は穏やかに首を振る。


「解き放ったのではありません。あれは封印の器が限界でした。……私はちょっとだけ、中のあやかしに、手を貸してやっただけ……」


「貴様……!」


 夜刀は一歩近づき、蒼い瞳で静流を見据える。

「君のその力……“融合の鍵”。譲ってもらえないかなあ、静流くん」


 その言葉に、空気が凍りつく。


 “融合の鍵”? こいつ何を言ってるんだ。俺が何かをもってるというのか?


「断る。僕が仮に何かをもっていたとしても、貴様なんかに渡してたまるか……!」


 夜刀の唇が、わずかに歪んだ。


「ならば仕方ない。素直に渡してくれないというのなら――力尽くで奪わせてもらいましょう」


 静流の背後、空気が悲鳴を上げるように歪み、墨のような影が滲み出てくる。闇の中から現れたのは、今さっき倒したはずの“名喰らい”――いや、さっきよりも遥かに濃く、巨大に、禍々しくなっていた。


 うねる黒煙のような身体に、目の位置すら定かでない面。だが、“何か”を見据えるような強い意志がこちらを刺す。周囲の空間がじわじわと薄く、霞んでゆく。


「……静流、下がれ」


 黒狐の姿をした古の天狗――クロが前に出る。その金色の瞳が鋭く光り、空気を断ち切るように尾をしならせた。


「わしの一撃で決めてやらるぞ!」


 クロが印を切り、風の陣を広げた。その瞬間、周囲の空気が震え、刃のような突風が名喰らいの顎へと突き刺さる。


 ――だが。


 名喰らいは、風を“喰った”。


 空間がひしゃげ、術式の流れが逆流する。突風は名喰らいの胴を軋ませはしたが、そのままねじれ、渦となってクロへと跳ね返された。


「ッ……!?」


 クロの身体が壁のような石柱に叩きつけられる。が、彼はすぐに身を翻し、空中で体勢を立て直した。


「……化け物め。喰うのは“名”だけにせぇ!」


 名喰らいは姿を溶かし、再び霧と化して接近する。だがその中心には、確かに“核”のような、紫がかった光の一点が存在していた。


 静流が霊符を複数手に取り、術式を走らせる。しかし――その手が止まる。


「……く、術式が……不安定に……」


 名喰らいの干渉。“名”への攻撃は、霊術の根幹たる“言葉”を狂わせる。静流の詠唱がかすれ、符が正しく起動しない。


「静流、時間を稼ぐぞ!」


 クロが虚空を蹴り、空間転移で名喰らいの背後へ回り込む。鋭い旋風をまとった爪で、核の周囲に風刃を刻みつけた。


 名喰らいが軋む。風に焦れたその体が、瞬間的に収束する。


 静流は、歪む視界を必死に押さえながら、ふたたび符筆を走らせた。己の血をひとつ滴らせ、霊力を限界まで高める。


「……《封紫光射》!」


 宙に浮かんだ符が、紫光を放ち、名喰らいの“核”を射抜いた。その瞬間、霧の化け物が硬直したように動きを止める。


「クロ、今だ!」


「分かっとるわッ!!」


 クロの体が影のようにしなり、空気を裂いて疾走。前足で思い切り踏み込み、尾から放った“旋風の一閃”が、名喰らいの核を断ち切る。


 瞬間――名喰らいが叫んだ。


 声なき叫び。名のない者の絶叫。音も震動もない、だが“脳に響く”ような衝撃が、空間そのものをびりびりと揺らす。


「静流、伏せぇっ!」


 クロが翼を広げて覆い、衝撃を防ぐ。名喰らいの身体が黒い霧となって吹き飛び、風に溶けるように消えていく。


 ――勝った。


 だが、次の瞬間。


「……ほう。やはり、見事な連携でしたね」


 夜刀の声が、背後から響いた。


 振り向いたとき、そこには黒衣のまま悠然と歩み寄る男がいた。彼は手に禍々しい術具を握り、表情も変えずに静流に言った。


「では――最後の確認です。君のその力。……譲ってもらえないか、静流くん」


 次の瞬間、夜刀の掌が光を放つ。


 “重ね封印・破印術式”。


 全く予備動作のない一撃が、静流の防御を貫いた。


「……ぐっ……!」


 静流の胸に紋が刻まれる。全身の術式が狂い、意識が途切れかける。


「静流ぅッ!」


 クロが割って入り、風の壁を張りながら夜刀を睨みつける。しかし夜刀はあくまで淡々と、哀しげな声で言い残した。


「胸の紋が全身に及んだ時、君の命は終わりお迎え、“融合の鍵”は、わたしのものになる。きみが死ぬのは……残念です。ですが、今日のところは――退かせていただきましょう」


 そのまま夜刀は空間を引き裂き、影の中に身を溶かしていった。


 残されたのは、倒れ伏す静流と、かすかに震える“揺水窟”の奥。


 クロがその場に膝をついた主を抱え上げ、小さく呟いた。


「……なんとしても、助ける。静流、お主はまだ――渡さんぞ」


 クロが転移術で静流を抱え、必死に風を巻き起こす。


 静流の意識が薄れる中、遠く夜刀の声が木霊した。


「……“鍵”も、“真名”も……全てを奪わせていただきます」


 こうして、名喰らいは倒れた。

 だが、静流の胸には、不気味な紋が蠢いていた。


ここまで読んでいただきありがとうございます。


この小説を読んで、「続きが気になる」「面白い」と少しでも感じましたら、ブクマと↓の☆☆☆☆☆から評価頂けましたら幸いです 。


お手数だと思いますが、ご協力頂けたら本当にありがたい限りです <(_ _)>ペコ




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