第三十話 大蜘蛛のあやかし 1
静流がようやく本体に還り、ぐいと肩を回していると――
「……師匠、入いりまーす!」
軽やかな声とともに、灯乃の声が扉の外から響いた。
静流が「ああ、はいはい、灯乃入って良いよー」と返すより早く、ガラリッと勢いよく引き戸が開く。
風間彦馬がぬっと書斎に入ってきた。その後ろには、灯乃と、なぜかリナ、さらにはイヅナの姿もある。
「今日はクロちゃんいないの? まーた一人でこもってなにしてるんです〜」と灯乃が口を尖らせつつ部屋に入る。
「また、一人で変な実験してたんでしょー!」
リナは興味深げに式盤のほうへ目をやり、イヅナは勝手に部屋の棚を覗き込んでいる。
「うっさいなー、なんか来客多くない……?」と静流が呟いたが、彦馬が無言で手を挙げてみんなが騒ぐのを制した。
「……静流。面倒なあやかしが出た」
その一言に、静流の表情がぴりりと緊張する。
「詳しく教えて」と静流が身を起こすと、彦馬は腰を下ろさぬまま、低い声で語り始めた。
「場所は、村の北、竹林の奥。山の裏手にでかい蜘蛛のあやかしが現れた。最初は獣を狙ってたが……昨日、薪取りに来た旅の若い男が襲われた。遺体は……骨だけ残ってたそうだ」
静流が「っ」と息をのむ。
「……喰われた、ってこと?」
「間違いねえ」
彦馬がうなずいた。
「でかい蜘蛛って……あの、山の蜘蛛?」とリナが眉をひそめる。
「似たような種類だが、以前に出た“夜巣喰らい”とは違う」と彦馬は即答する。
「体長は三メートル、脚を広げると五メートルはあるかもな。背に赤紋がある。目撃した猟師が言ってた。人の味を覚えたそいつは、……村のすぐ裏に大きな巣を張り、人が巣にかかるのを待ち構えるようになった」
部屋の誰もが表情を曇らせる。
「完全に村人狙いに切り替えてるんだね……」と静流が呟いた。
「そうだろう。絶対自分の狩場として定めたんだ。こうなると、こっちから仕掛けなきゃいなくならねえ」
そして彦馬は、いつものように、ぶっきらぼうに言った。
「討ちに行くぞ。静流、お前の力を貸してくれ!」
「……わかったよ」
静流はちょっとめんどくさそうに即答する。いつもと変わらぬ声音だったが、眉の奥に光るものがあった。
そんな緊迫した空気の中――
「お頭! あやかし退治ってことは、うちら《影渡り》の見せ場ですよ! 静流様に、いいとこ見てもらいましょ!」
いつも間にやら庭には斥候カシワ、情報係モモエ、参謀サンザシ、爆薬師ホオズキ、護衛のゲンザ、狙撃手ユエ、盗賊団《影渡り》のメンバーが勢ぞろいしている。
その女頭目・黒羽のイヅナ、が肘をつきながら、にやにやと笑って言った。
「お前ら、自分たちが弟子にする価値あるってとこ、しっかり見せるんだよ!」
静流は、少しだけ彼女に目をやったが、返す言葉はなかった。
かわりに、式盤の上に未乾の符を一枚、すっと置く。
「少し準備するから、みんなも装備を整えて一時間後に再集合ね。今日は蜘蛛の巣払いだよ!」
それから一時間後。
分院の正門前には、装備を整えた面々が続々と集まり始めていた。空は昼下がりの薄曇り。蜘蛛退治にはちょうどいい、じめっとした天気だ。
静流は肩に小さな携帯式の術具箱を下げ、符の束を腰に差して現れた。
「みんな、揃ってる?」と静流が声をかけると、
「はーい、師匠! 灯乃、準備完了ですっ!」と元気に返す灯乃。その肩には、小型の護符弓と麻袋が揺れている。
「私はまだ心の準備が……蜘蛛って気味が悪いのよね。……私は大丈夫、私は大丈夫……」
リナはぶつぶつ言いながらも、護身用の短杖と護符袋をしっかり装備していた。
「師匠、蜘蛛って毒持ってる系ですかね? 爆薬って効くのかな〜」
ホオズキが爆薬の詰まった革袋をぽんぽん叩きながら聞いてくる。
「巣の素材によるけど、火は効く。爆発も有効だから期待してる。でも、森が燃えるのは困るから、やりすぎないでね」と静流がすぐ返す。
「うう……ホオズキ、またやりすぎそうだな」とサンザシがため息をつき、
「今回は偵察から始める。俺の見せ場だからな。要するに俺が先行するから任せてくれ……」と斥候カシワが低く言いながら、マントのフードを目深にかぶる。
「さーて、的が動いたら撃つだけよ」
狙撃手ユエは小さな弓を背負い、指を鳴らして気だるそうに笑う。
「前に出るのは俺だ。お頭に何かあっちゃ困るからな」
無骨なゲンザが斧を肩に担いでうなずいた。
そんな彼らを、いつものように肘をついて壁に寄りかかりながら見下ろすのは、女頭目・イヅナだった。
「ふふ……良いねぇ。こうしてみると、うちの連中もずいぶん様になってるじゃない」
静流は、ちらりとイヅナに目をやる。
「イヅナ。今回は、君達《影渡り》だけで退治してくれていいんだよ」
「勿論、最初っからそのつもりですよ、静流様。どーんと任せちゃってくださいよ」
イヅナはふっと笑うと、腰の短剣に手を添える。
「……ま、万が一ってこともあるから僕も危なそうなら援護するよ。大蜘蛛が相手だから、巣に足を踏み入れた瞬間からが戦いだ。気を抜かないでね
静流は符の束をぱたぱたと軽く叩く。
「大丈夫です、わかってます。静流様」
静流はクロだけでも呼んでおこうかと思ったが、イヅナのやる気に水を差さないように呼ぶのをやめた。どうせ一声かければ現れるんだしね。
「で、彦馬は?」
「――ここだ」
低い声とともに、分院の裏門から風間彦馬が現れた。竹の槍を背に、しっかり戦闘用の装備に着替えている。
「……しかし、ホントにあの蜘蛛、ただのあやかしじゃないかもな」と彦馬が低く唸る。
「どういう意味?」と灯乃。
「……俺の勘だが、あいつ“狩りを楽しんでやがる”」
一瞬、皆の背に冷たい風が吹いたような気がした。
静流は軽く頷くと、前を向いて言った。
「じゃあ、そろそろ行こうか。目標は竹林の奥の大蜘蛛の巣」
そして、背を向けたまま、こう付け加える。
「――全員、油断しないこと。巣に踏み入るってことは、もう戦場に入ってるってことだからね」
「了解っす、師匠!」と灯乃。
「はーい、気をつけまーす」とリナが手を振る。
「よっしゃぁ、張り切って行くぞー!」とモモエが先走る。
そして一行は、分院の門を後にし、湿った空気の森へと足を踏み入れていった。
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