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第二十二話 眠れる宝 4

 ──日が落ちた。

 谷間に影が満ち、風が音を潜める頃。


 “鬼の顔”のような奇怪な岩室を前に、《影渡り》の一団は岩肌に刻まれた封印の気配を慎重に探っていた。

 その様子を、谷の外れの高木の上から、ひとつの黒い影がじっと見下ろしていた。


 クロ。静流に仕える式神、黒狐の姿をした古の天狗。


 その身を黒煙のように変化させ、気配を完璧に消しながら、《影渡り》の行動を監視している。


(やはり、こやつら……ただの盗人ではないようじゃな。封印の結界層を読み解き、呪術的構造まで察していようとは)


 ぴくりと耳を動かし、クロはさらに視線を岩室の入り口に向けた。


 ――《影渡り》たちの会話が始まる。


「道の“罠”の有無を確認して。踏んだらまずいのがあるかもしれない」


 女頭目・イヅナの声。その語尾には、余裕と冷酷さがにじんでいる。


「そっちか~。いいねえ、ワクワクするじゃん」


 軽口を叩くのは斥候のカシワ。身軽に地面を這い、探知針で岩室前の地表を調べていた。


 その横で、眼鏡を押し上げながら参謀のサンザシが呟く。


「夜に開く……てことは封印が時間連動型で日没以降に開くことだよな」


「ふーん。じゃあ、誰が最初に覗くかで“何か”が起こるのかもね」

 イヅナが腕を組み、にやりと笑う。


「じゃあ、待つしかないわね。“夜”に目を開くなら、目覚めたときに“誰が最初に覗くか”が、鍵になるかもしれない」


「夜まで待機ってことッスか。……で、もし“鬼の棲処”からほんとに何か出てきたら?」


 飴を舐めながらモモエが無邪気に言い放つ。


「ほんとに鬼が出てきたら逃げるしかないわね。私たち、《影渡り》なんだから、鬼にかないっこないでしょう」

 イヅナの唇が月明かりの中で、不敵に赤く笑う。


(……笑っておる場合か、小娘。知らぬのか――あの奥に眠っている“モノ”の性質を)


 クロは細く目をすぼめた。

 静流の式神である彼にとって、あの岩室がただの遺跡でないことは明らかだった。


 見張り役を入れ替え、誰かが“覗き窓”に顔を近づけるそのとき。


 風が止み、谷の奥で、鳥とも獣ともつかぬ声が鳴いた。

 それは、封印が“呼吸”を始めた合図だった。


(……動き出す、か。となれば、静流に報告せねばなるまい)


 クロは身を翻す。黒煙のように姿を霧へと溶かし、音もなく谷の外れへ消え去った。


***


 風野郷・分院の裏庭。


 月の光が梢を透かし、淡い銀色の模様を地面に描いている。夜露が草葉に溜まり、虫の声すら控えめだ。

 静流は縁側に腰を下ろし、本を膝に乗せていた。けれど文字はほとんど頭に入っていない。


 ——風が、騒いでいる。


「……戻ったぞ」


 木々の間で黒煙が巻き上がり、ひとつの影が滑り出てきた。

 漆黒の毛並み、鋭い金の瞳。小さな足音を残して、クロが静流の前に降り立つ。


「どうだった? 例の盗賊たち」


「《影渡り》……名のある盗賊団だ。こやつら、“霧隠れ谷”にある封印の岩室に辿り着いた。どうやら“ツクモの鏡”を狙っているようだ」


「……やっぱり来たか」


 静流は小さく息をつき、懐から一枚の紙片を取り出す。

 擦れた墨文字が記されたそれは、風野郷に古くから伝わる禁忌の記録だった。


 ──“ツクモの鏡に触れるなかれ。封ぜし鬼、鏡より出でて災いを呼ぶ”──


「面倒だなあ……」


 そう口にしながらも、静流は額を押さえて立ち上がる。

 本音を言えば、こういう“やっかいごと”はできるだけ関わりたくなかった。

 穏やかに暮らせるなら、それに越したことはない。けれど、これは放っておくと確実に“もっと面倒”になる類の話だった。


「気になることがもうひとつあるのじゃ。奴ら、岩室に“覗き窓”があることに気づいておった。そして、夜の封印が開く理を理解しておる」


「……最悪だなあ。封ぜし鬼を出しちゃうなんてことにならなきゃいいけど」


 封印が破られ、鬼が現れれば、まず最初に狙われるのはこの村。

 被害が出てから対応するくらいなら、多少煩わしくても、今のうちに片をつけたほうがいい。


「リナ、準備して。アヤメも来てね。封印が破られるかもしれないから再封印手伝って」


 縁側に寝転んでいたリナが跳ね起きた。


「えっ、封印!? まさか中から何か出てくるの?」


「《影渡り》がバカなことをしちゃうと、鬼が出てくる可能性があるんだよ。しかも、鬼が暴れだしたら、村もただじゃ済まない」


「わ、わかったっ!」


 リナはいつもよりも真剣な顔つきで準備のために走っていく。その後ろ姿を見ながら、静流は再び空を仰いだ。


 ――月が、薄い雲に隠れようとしている。


 静かすぎる夜ほど、不吉なことが起こるのは、もはや経験則だった。


「……クロ、これ」


 静流は懐から護符を数枚取り出して手渡す。紋が込められた札は、封印式と防衛結界の簡易展開に特化したもの。


「“もし開いた場合”の対応用。展開は僕がやる、でも最初の迎撃は、クロに任せる」


「望むところだ」


 クロは札をくわえたまま、すっと身を引く。

 黒煙が周囲に渦を巻き、次の瞬間には姿を消していた。


 静流は縁側に残された本を閉じて抱え直す。

 月光に照らされたページには、“封印術”という文字が見えていた。


「さて……面倒だけど、やるしかないね。守ると決めた場所くらい、ちゃんと守らなくちゃ」


 草の影が風に揺れ、夜が静かに、その輪郭を変えていった。






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