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第二話 文車妖妃

 

 その日も静流(しずる)は、いつものように九重家の屋敷裏にある旧書庫へと逃げ込んでいた。誰も使わなくなったその場所は、彼の“実験室”と化している。


 (魔法式の補強には……やはり文字構造そのものの見直しが必要か)


 彼は手元の羊皮紙に、独自の魔法式を走り書きしながら、壁際の古文書群に目を向けた。


(このあたり、まだ目を通してなかったな……)


 奥の棚。埃をかぶった木箱を開けた瞬間、突如霊力が渦巻いた。


「……っ!?」


 静流の手元で、一冊の古びた和綴じ本が淡く輝き、ふわりと宙に浮かび上がった。


 その異変に、すぐさま反応したのは静流の傍らにいた影――黒狐の姿をした式神、クロだった。


「静流、下がれ。妙な霊圧だ……ただの本じゃない!」


 静流を守るように前に出ながら、鋭い目で浮かぶ本を睨むクロ。その体からは風が巻き起こり、周囲の埃を吹き飛ばす。


 だが、次の瞬間、書の中心から柔らかな光が放たれた。


「……よくぞおいでなさいました、御主」


 その声と共に現れたのは、一人の女性。

 静流とさほど年の変わらぬ外見。眼鏡をかけ、袴に白衣を纏ったその姿は、まるで古書館の司書のようだった。


「私は“文車妖妃”アヤメ。この書庫に封じられし、記録と知識の式神です」


 彼女は静かに頭を下げ、微笑みを浮かべる。


「御主の魂に宿る“書に対する敬意”と、“術理を学ぶ意思”に、私は呼び覚まされました」


 クロは一歩前に出て、静流をかばうように立ち塞がった。


「……知識の式神だと? 敵意は……なさそうだが、用心するに越したことはねぇ」


「まあまあ、クロ。たぶん大丈夫だよ。……君も、式神なのかい?」


「はい。私は、読む者のみに仕え知識を伝える存在。武力もなく、防衛もできませんが、記録・解読・術理構築――学術領域ならばお任せを」


 アヤメは傍らに浮かぶ書を指し示した。


「この書庫には、当代の九重家の皆様に忘れられた術書が多数あります。中には、旧時代の陰陽術や異界の魔術理論も」


 静流の目が見開かれる。


「……異界の魔術?」


 その時、傍らに浮かぶ一冊の本が静流(しずる)の目の前に飛行し、ペラペラと開かれる。


「異界の魔術はここに……」


「ほんとだ!」

 静流(しずる)はその本を食い入るように読みはじめた。


 アヤメはその様子をほほえましそうにじっとみつめる。


「前の主もまた、異なる視座を持っていたようです。どうやらあなたと、似た在り方を――」


 その瞬間、静流の胸中に波のような感覚が走った。

 この場所、この書、この式神――

 まるで「ここに導かれるべくして導かれた」とでも言うような、奇妙な符合。


 クロは静かに呟いた。


「……なるほどな。やっぱり、お前は選ばれちまってる側の人間なんだな」


 アヤメは続けた。


「私は学び舎を求める者を拒みません。御主が知を欲するのなら、私はその伴を務めましょう。――静流様」


 名を呼ばれたとき、静流はふと、微笑んでいた。


「ありがとう。……僕の“穏やかな日々”のために、力を貸してくれるかい?」


「もちろん。それが私の本懐です」


 アヤメは軽く礼をすると、魔法陣を展開した。

 次の瞬間、書棚の一部が動き、古代魔術の記録が眠る“隠し区画”が姿を現した。


「では、まずはこの“式文理論”から始めましょうか。陰陽術の基礎と、あなたの魔術適性の交点を見つけるために――」


 クロは静かに横に並び、主の横顔を見た。


「……ま、静流の勉強のためには、学者肌の女ってのも悪くねぇ。俺の出番は減りそうだが、せいぜい精進しろよ、静流」


 知の扉が、静かに開かれた。



 ――翌日。


 静流は早朝から旧書庫にこもり、アヤメと共に魔術理論と陰陽式の照合作業に没頭していた。


「この“風の循環式”、従来の陰陽術と相性が良さそうだ。陽式の流れに魔術の“導体”を繋げば……」


「素晴らしい発想です。ですが、それでは術の安定性が犠牲になります。こちらの“重ね印”と併用してみてはいかがでしょう?」


「なるほど……“式の固定軸”をここで入れれば、発動時間が短縮できるか」


 二人のやりとりは、もはや対等な研究者同士のようだった。


 書架の上、いつものように足をぶらぶらさせながら眠っていたクロが、気怠げに目を開ける。


「へぇへぇ……朝っぱらからよくやるぜ。新入り!」


「おはようございます、クロ殿。今日もやる気のない風で安心しました」


「皮肉か? 本気か? ……どっちにしろ、本の虫とは気が合わねぇな」


「数日早かっただけで、随分と偉そうなことを」


「やんのかコラ」


「やめ! 僕の静かな空間が崩れるから」


 静流が頭を抱えると、クロはふんと鼻を鳴らし、書棚の影に姿を消した。

 アヤメはあくまで冷静に、けれどどこか楽しそうに言う。


「ふふ、うるさくしてすみません。静流様にとっては、まったく迷惑な式神ですね、我々」


「どっちも頼れる相棒だよ。ただ、仲良くしてくれたら、嬉しいんだけどね」


 小さく微笑んだ静流の横顔に、アヤメの目が細められる。


「――では、次は“複合式の構造解析”に移りましょうか。私たちで作る“静なる守り”の術を」


 (誰にも見つからず、誰も傷つけずに。……ただ、守るために)


 静流は、密かに願っていた。

 この日々が、少しでも長く続くようにと。



挿絵(By みてみん)




 ◆ ◆ ◆


  その晩、寝所に戻った静流は、ぼんやりと仰向けになって天井を見つめていた。


 静まり返った夜。月明かりが障子越しに淡く射し、畳の上に影を落とす。


「……クロ、アヤメ、僕には――勿体無い式神かもな」


 ぽつりと漏れたその言葉は、誰に届くでもなく、薄闇に溶けていった。


 その時、風がそっと吹き込んできた。障子がかすかに鳴り、涼やかな空気が室内を撫でる。


 窓際の欄干に、黒狐の影がひょいと現れる。クロはしっぽを揺らしながら、軽やかに室内へと舞い降りる。


「主が選んだのではない。わしらちが、汝を選んだんじゃよ」


 その声は、いつものように少し皮肉混じりだったが、その瞳は、確かに静流の姿を見据えていた。


 続けて、書棚の隙間が微かに光を放つ。


「“勿体ない”などという言葉、書に対しても、私たちに対しても、勿体のうございます」


 アヤメの落ち着いた声が、書の中から穏やかに響く。彼女の声はまるで、長い時を超えて語りかける古書のようだった。


「あなたが学び、知ろうとする限り――私は、ここに在り続けます」


 静流は、少しだけ体を起こし、微笑を浮かべた。


「……二人とも、ありがとう」


 眠りにつく直前、クロは鼻を鳴らしてつぶやいた。


「ま、そうやって感謝するあたり、主らしいが……背中丸めすぎるでない。わしは“穏やかな主”より、“ちょっとだけ前を向いた主”のほうが好きなのじゃ」


「ふふ、たまには良いことを言いますね、クロ」


「うるさいのう、本のくせに……」


 そんなやり取りが、夜の静けさの中に溶けていった。


 


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