第一七話 分身くん、主を超える 1
――静かな午後の分院。
庭先では風にそよぐ木の葉が揺れ、軒先の風鈴が小さく涼音を鳴らしていた。
縁側には陽射しが差し込み、ほうじ茶の香ばしい匂いが漂っている。
――そう、今日はなにも起きず、穏やかな一日だった。
……だった、はずだった。
「……えっ」
廊下を歩いていたリナ=バルディアが、目を瞬かせて足を止めた。
手に持った巻物を落としそうになるほど、目の前の光景は衝撃的だった。
「……えっ!? ええっ!? ……ちょ、ちょっと!? なんで師匠が……」
――三人いる。
無言で廊下を歩いてくる“静流”が三人。
髪の毛の流れ、着物の揃え方、袴の折れ目の鋭さにいたるまで、一糸乱れぬ完コピ。
背筋はまっすぐ、足運びは迷いなく、目線の角度までシンクロしている。
けれど、よく見ると全員の挙動がバラバラだ。
一人は台所に向かいながら、
「お茶の葉、在庫切れ。至急、山の麓まで調達へ」
もう一人は書庫の扉を開けながら、
「蔵書棚の分類、前回比でタグ重複3件。再スキャンを開始します」
三人目は巻物を手に、リナへ正面から向き合って、
「リナ殿との訓練、昨日と類似メニュー。変化なしと判断し、本日は休止を提案します」
静流たち三人はきびきびと無駄なく動き、分院の中をすたすたと分担して進んでいく。
リナは、目の前を通り過ぎていく“師匠3人”に釘づけになる。
「いやいやいや!? なんかすごく動いてる!? すごく働いてる!?
しかも……なんか正しいこと言ってるーっ!?」
そして三人のうちの一人が、ふとリナに向き直り、微笑んだ。
「ごきげんよう、リナ=バルディア殿。本日も髪のまとまり、良好ですね」
「褒めかたが丁寧すぎて怖いわー!? しかも師匠そんな社交性あった!?」
リナはふらふらと壁に寄りかかり、額に手を当てて絶句した。
「いや……この世界線の師匠、完璧超人すぎるでしょ……!
静流師匠、そんな万能感あったっけ!? いや、ないよね!?」
その瞬間、隣室からそっと襖が開いた。
「――リナ? どうかしたの?」
現れたのは、着崩した袴、片手にほうじ茶、寝ぐせ気味の黒髪。
間違いなく、“いつもの”静流だった。
「増えたあああああああああ!! ついに四人目来たああああああ!!!」
リナの絶叫が分院中に響く。
静流は自分と瓜二つの“誰かたち”を見て目を丸くし、恐る恐る声をかけた。
「……え? あ、あれ……!? え!? なんで!?」
静流が廊下に出ると、分身たちはピタリと一礼し、次々に報告を述べはじめた。
「本体、立位姿勢良好。歩行バランスも問題なしと判断します」
「本体の姿勢、学習データに反映済みです」
「今後も良質な参考行動をお願いします」
「評価されてるううう!? なんで僕、コピーに採点されてるの!?」
静流は頭を抱えながらよろよろと壁に寄りかかる。
その脇で、リナがぽつりとつぶやいた。
「これ……どこで間違ったの……? 僕たち、何したの……?」
師匠(複数)と弟子(混乱中)による、紙型大騒動の幕が、いま静かに、しかし着実に――開かれた。
分院の奥にある、障子張りの書庫。
陽が傾きかけた午後、柔らかな陽射しがすだれ越しに差し込み、棚の本に筋のような影を落としている。
静寂の中、ぱらり、と紙の音だけが小さく響く。
その床に――正座する一人の陰陽師。
「――クロ、これ完全に暴走だよね!?」
机の上には紙片と筆、半乾きの墨壺、そしてちらばる「式」構文のメモ用紙。
静流は額に汗をにじませながら、焦りと混乱にまみれた表情で振り向いた。
「完全に、じゃな」
クロはすぐ傍らの座布団にどっしり腰を下ろし、長い尾でぽん、ぽんと畳を叩いている。
「ありゃもう“主を超えた主”じゃ。わしが主に言うセリフじゃがな」
「どこで学んだの!? 僕あんなアクティブじゃないよ!? お茶の葉の補充なんて月イチでしか行かないのに!」
静流は手にした紙片をくしゃっと握り潰す。
「……静流のほうが、行動力……ある」
本棚の隅で座っていた白が、顔色一つ変えずに淡々と断言する。
陽光に透ける白髪がさらりと揺れ、無表情な瞳が静流に突き刺さる。
「しかも村人にあいさつまでしてましたよ!? 『ごきげんよう、お元気そうで何より』って!」
静流は机に突っ伏しそうになる。
「うっわ、そんな上品な挨拶したことないよ僕……!?」
「それ、多分語彙ライブラリの中から“好感度最大”の言葉を抽出してるの」
書棚の上に座っていたアヤメが、分厚い魔導書を閉じながら軽い口調で言った。
「昨日の夜ね、ちょっと自己学習アルゴリズムを仮で――」
「なんでそんな危険なもの組み込んだの!? 試すならテスト環境でやってよ!? 僕が実験台!?」
「だって実際に主の行動ログから学習させた方が効率的で――」
アヤメは顎に指を当て、さらりと続ける。
「ほら、あの子たち最初は“寝る・読む・考える”の3コマしかなかったでしょ?」
「いやそれだけで十分だったよ!? むしろそれが僕の平常運転だよ!?」
静流が肩を落とす横で、クロが不本意そうに眉をひそめた。
「じゃが……事実、あの分身たちが分院の整理整頓を完璧にこなし、各種補充業務も完遂しておるのじゃ。……正直、わしもちょっと助かっとる」
「おまけにリナくんに“自主訓練の習慣化をご提案します”って言ってた……」
白が小さく呟きながら、手元の結界図に書き込みをしている。
「やめて!? それ本体の僕にブーメランだから!! そんなこと言ったことないから!!」
静流がつかみかけた髪をぐしゃっと押さえると、アヤメが目を細めて告げる。
「しかも、今、行動範囲が拡張してる……たった今、村の方角に出ていったのを確認しました」
「ええええ!? 勝手に村行って何する気なの!?」
静流ががばっと立ち上がると、クロが巻物を一枚開いて見せた。
「主の平常行動と“村人からの期待”を照合し、適切な“交流タスク”を自己生成しておるようじゃ」
「えっ、えっ、交流って具体的に!?」
「“橋の修繕”と“薬草の収集”と、“挨拶まわり”じゃな」
クロが指で三項目を示すと、静流の肩がガクンと落ちた。
「やめてええええええ!! 僕の評価がどんどん“勤勉な優等生”になっちゃうううう!!」
「……主にとって、それは……災難」
白がうっすらと首を傾けて、他人事のように呟いた。
「ほんとだよ!! 誰か早く止めてえええええ!!」
分院の書庫に響く静流の絶叫を、分身たちはもう聞いていない。
“勤勉な理想の陰陽師像”が、今この瞬間も村で評価を稼いでいる――。
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