第十四話 黒耀の風、疾る 1
昼下がりの分院。
静流は縁側でお茶を啜りながら、クロの尾をブラシで整えていた。
「……今日は穏やかだなあ。何も起きなければ、それが一番だよね、クロ」
「まったくじゃ。騒ぎは腹が減るからの……わしは静寂が好――」
――ドンッ!!
「静流ーッ!!! 大変だ!!」
玄関を突き破るように風間 彦馬が飛び込んできた。
肩で息をし、手には竹槍。額から汗が垂れ、ただならぬ様子。
「ひ、彦馬!? 今度はなに!?」
「山の神木道に……でっけえムカデのあやかしが出た! 二丈(一丈= 十尺 一尺は約三十センチ)はある、いやもっとかもしれん!」
「二丈……!? でか過ぎじゃない? それ本当にムカデなのかな……」
クロが耳をぴくりと動かし、尾をピンと立てた。
「ムカデの気配……この村の結界をかいくぐるとは、なかなか厄介な術持ちじゃな。しかもあの山道は結界の弱点、通せば村に直通じゃ」
「つまり――放っておけば、村に直接被害が来るってこと?」
「そうじゃ!」
静流はお茶を置き、深く息を吸った。
「……クロ、やっつけられる?」
「当然じゃ。我が名にかけて、主の敵は斬り捨てようぞ」
クロが駆け出し、視界から消える。彦馬から見えないところまで駆けていったクロの姿が風を巻き、淡い光とともに変化する。人語を操る黒狐から、長い尾を持つ漆黒の天狗へ――
「黒耀天狗、戦闘形態――!」
クロは山の神木道へと飛んで行った。
山の神木道。
昼の日差しはすでに梢に遮られ、谷間のような薄闇が道を満たしていた。
その中央に、異形の影――《ムカデのあやかし》がのたうつように這い出てくる。
全長二丈、黒紫の外殻が鈍く光り、脚の節が地面を削っていた。
頭部には角のような突起。眼は赤く輝き、口元からは毒液が滴る。
「……なるほど、随分と育ったものじゃな」
梢の上。黒耀天狗・クロが、静かにその巨体を見下ろしていた。
その翼は夜の風のように黒く、両手に握られた鉄扇が微細な風を巻き起こしている。
――ヒュオオ……
風が鳴くと同時に、ムカデがクロの存在を察知した。
巨体を揺らしながら、地鳴りのような音を立てて突進してくる。
「ほう、挨拶代わりの一突きか。受けてやろう」
クロは静かに扇を開いた。
――刹那、足元の枝が砕け、空気が爆ぜた。
クロの姿が残像を引くように宙を跳び、ムカデの頭上へと跳躍する!
「裂風陣!」
鉄扇を一閃。
空間を断つような衝撃が走り、真空の刃が斜めに交差する!
ムカデの背の甲殻が裂け、鋭い断裂音とともに体液が噴き出す。
だが――まだ動きを止めない。
「ぬ、外殻が思ったよりも厚いのう……よかろう、ならば次は――!」
空中で姿勢をくるりと返し、扇を広げる。
「嵐脚・双牙風舞!」
両扇を同時に振るい、二条の風刃を交差させて斬りつける!
空気が悲鳴のように震え、斜めにX字の風圧がムカデの頭部を狙って突き刺さる!
――ズガァァッ!!
今度は牙の一部が吹き飛び、ムカデが耳を裂くような絶叫を上げる。
だが、怒り狂ったそれは、全身の毒毛を逆立てて反撃に出た。
「む、毒霧か!」
ムカデの体から吹き出した濃紫の毒煙が、瞬く間に周囲を包む。
腐食性の強いその毒は、空気すら歪ませていた。
「……浅はかよのう。その程度、風で捨ててくれよう!」
クロは舞うように扇を回転させ、翼を大きく広げた。
「神風結界・無毒障壁!」
巻き起こる旋風が周囲の毒をすべて吹き飛ばす。
風の結界が半球状に形成され、クロの周囲だけが清浄な空間となった。
「終わりにしてくれる。――黒嵐封刃・天狐連斬ッ!」
クロの足元に、術陣が展開される。
風の力を蓄えた四重の扇陣が現れ、そのすべてが一点――ムカデの心臓めがけて収束!
その身が光をまとう。宙を駆ける天狗の影が、まるで夜空に流れる黒い彗星のようだった。
――ゴウッ!!
飛翔するクロの姿が、次の瞬間にはムカデの胸元へと到達していた。
振り下ろされる鉄扇の一撃。
「討・封・裂・絶――!!」
刹那、四重の術式が爆発的に起動し、ムカデの体内に風刃が渦を巻きながら侵入する。
中から刻むように破壊し、外殻を内部から裂く――!
――ドッ!!
巨大なあやかしのムカデが、力なく崩れ落ちた。
風が止み、静寂が戻る。
宙に浮かぶクロが、軽く舞いながら着地する。
その姿はまるで、暗がりの王者のようだった。
「ふん……主の平穏のために、またひと働きしてしまったのう。帰って昼寝でもするか」
「……クローッ!!」
山道の奥から、息を切らせて駆け込んでくる二つの影――静流と彦馬だった。
崩れた地面、散らばるムカデの破片、うねるような風の残響……そして、その中心に、黒い天狗が一人、静かに立っていた。
黒い天狗を見つけた彦馬がその場で固まる。
「クロ、無事……! よかった……!」
静流が駆け寄り、その肩にそっと手を置く。
クロはちらりと振り返り、ふんっと鼻を鳴らした。
「案ずるな。主の平穏のために、少々暴れただけじゃ。尻尾ひとつ焦げてもおらんわい」
「それが一番すごいんだけど……」
彦馬も呆れたように目を見開き、へなへなと地面に手をついてしゃがみ込んだ。
「クロって天狗だったのか! ……マジで一人で倒したの? おれ、山の神主も呼んでこなきゃって思ってたのに……」
「当然じゃ。わしは《黒耀天狗》、風の守り手よ。虫けらの一匹や二匹、寝ながらでも斬れるわい」
そう言ってふわりと変化を解き、黒狐の姿に戻ると、クロは静流の肩に軽やかに飛び乗った。
「……ま、少しは疲れたがの」
「そっちは正直でいいんだね」
静流がクロをそっと撫でると、クロは尻尾で器用に静流の頬をぽんと叩いた。
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