第十二話 リナ=バルディア 2
分院の台所の奥――囲炉裏のある古い和室には、今日も安積ノ婆が静かに座っていた。
窓の格子から差し込むやわらかな朝の光が、煤けた畳と古びた柱を照らす中、婆様の背筋は今日もぴんと伸びている。
ほっそりとした体に、年季の入った灰色の羽織。白髪をきっちりと結い上げた後ろ姿には、年齢を超えた威厳と風格が宿っていた。
静流はその背に向かって、少し息を整えてから、慎重に頭を下げた。
「婆様、あの……紹介したい子がいて」
小さなちゃぶ台の前で、箸を置く音がした。
婆様はゆっくりとこちらを振り向き、静流をじっと見据える。
「ふむ」
その目に見下されるでもなく、見上げられるでもなく、ただ「試すような」色が浮かんでいるのを、静流は感じた。
言葉を選ばないといけない相手。だからこそ、嘘も誤魔化しも通用しない。
……その空気を、一瞬でぶち壊したのは、もちろん彼女だった。
「リナ=バルディア、異国出身の魔術師見習いですっ! 今日から師匠……あ、じゃなくて、静流さんの弟子見習いをしておりますっ!」
勢いよく飛び出してきたリナが、玄関の畳に足を滑らせて危うく転びかける。慌てて手を振り回すその様子に、静流は思わず頭を抱えた。
案の定、婆様の眉がぴくりと動く。
「異国の……ふむ、異国の風が匂うのう」
その言葉は、まるで草木の香りや、古い書物の紙の匂いを嗅ぐような、静かな観察の響きだった。
リナは胸を張って――というより、舞台に立つ役者のようにポーズを決めて言った。
「はいっ! 香辛料と火薬と、あと爆発的な情熱の香りでございます!」
その瞬間、囲炉裏の火が、ぱちりと乾いた音を立てた。
……この子、ほんとに火を呼ぶな、と静流は内心つっこまずにいられなかった。
「……うるさい子じゃ」
「えっ!? やっぱり!?」
静流は慌てて、リナの肩をつかんで前に引き寄せ、頭を下げるよう促す。
「でも、その……一応、礼儀もありますし、魔術の素養もあって。ちょっと魔力暴走気味だけど、たぶん慣れれば……」
静流が言い訳のように並べる間、婆様は一言も発さず、ただじっとリナを見つめていた。
その視線には圧がある。リナもさすがに気づいたのか、少しだけ背筋を伸ばして神妙な顔をしている。
やがて――ふっと、婆様が小さく息を吐いた。
「……まあ、お前が拾ったのなら、何かの縁じゃろ。居候でも弟子でも構わんが、台所の米を減らすな」
リナは勢いよく深々と頭を下げた。
「はい、精進いたしますっ!」
その一言が、どこかこの場に安堵の空気をもたらした。
「それから、静流。こやつにあの棚を触らせるでないぞ。封印札がはがれたら、ワシは泣く」
その言葉に、静流は小さく肩をすくめて苦笑した。
「了解です……」
囲炉裏の火が静かに揺れた。
それは、安積ノ婆が下した「村の一部として受け入れる」裁可であり、静流にとっても――心の中でリナという存在を、少し認めた瞬間だった。
暫くすると、分院の門の外で、にぎやかな足音が近づいてきた。
静流が箒を片手に縁側へ顔を出すと、見慣れた影が門を開け放って飛び込んでくる。
「静流さーん! 来たよーっ!」
元気いっぱいに駆けてきたのは、風野郷の看板娘・灯乃。
彼女の頬はほんのり赤く、髪には風に運ばれた小さな葉が一枚、ちょこんとついている。笑顔も、声も、いつも通りの明るさだ。
その数歩後ろから、やや大股気味に追いかけてくる長身の青年――風間 彦馬が、額に汗をにじませていた。
「ったく、お前は相変わらず走りすぎだ……!」
ため息混じりの彦馬の声に、灯乃が振り返って悪びれもなく笑う。
「だって早く会いたかったんだもーん。……あれ? あの子、知らない顔……?」
灯乃の視線の先には、ちょうど庭の手桶を持ち上げていたリナがいた。
言われるが早いか、リナはくるりと振り返り、得意げにぴょんと跳ねた。
「はじめまして! リナ=バルディアです! 転移して迷子になって静流さんに拾われました!」
――待て、言い方!
「言い方ーーー!!」
静流は即座に叫んだ。
どうしてこの子は毎回、最悪の切り出し方をしてくれるのか……。
「えっ、拾われたの!? てことは……弟子!?」
灯乃の声が、今度は目を輝かせてはじけた。
……まずい。悪ノリモードに入った。
「はいっ、弟子見習いです! 将来は師匠と一緒に異界解明して大金持ちになって世界を救います!」
「やだすごい、夢が壮大! わたしも混ぜて!」
「弟子の弟子、空いてます!」
「なにそれ!? やるー!」
分院の庭が一瞬で、祭りの屋台みたいな賑やかさに包まれる。
――ほんとにこの二人、気が合うの早すぎる。
「盛り上がりすぎだ!」と、彦馬がぐっと前に出て制した。
「お前ら……弟子とか師匠とか、そういうもんじゃねぇだろ。地に足つけて魔法の勉強しろ。特にお前、静流」
「ええっ、僕に言う!?」
自分はむしろ一番冷静にツッコんでた立場なのに、なぜ怒られるのか理不尽でならない。
でもまあ、言ってることは正しいので反論できない。
灯乃はくすくすと笑いながら、リナの肩をぽんぽんと軽く叩いた。
リナも、肩を小さく揺らしながら笑い返す。その間に何か通じ合っているような、不思議な空気があった。
「でも、なんだか楽しそうな子だね。よろしくね、リナちゃん!」
「よろしくお願いします! 早速ですが、静流さんの魔術研究ノート見せてください!」
「ちょっと待って!? まだ掃除も終わってないし布団もないよ君!」
静流は大きくため息をついた。
けれどその胸の奥には、少しだけ温かい感覚が広がっていた。
リナの存在が、こうして誰かとつながっていくのを見るのは――悪くない。
にぎやかな午後の風が、分院の庭を通り抜けていった。
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