第十話 《風野郷・秋祭り》――霧と火と、交わりの宵
風野郷の夜が、灯に照らされてゆく。
赤、橙、藤色の紙灯籠が軒先に揺れ、村中がにわかににぎわい始めていた。
草の香りと祭の香ばしい匂いが風に混じり、虫の音と笑い声が入り混じって宵を彩っていく。
「うわあ……人、いっぱいいる~……!」
灯乃が目をきらきらとさせながら、屋台の間を駆けてゆく。
参道沿いには、綿あめや焼き団子の屋台、地元の果物を使ったお菓子を売る棚が並び、浴衣姿の子どもたちが走り回っていた。
「ねえ静流さん、これ! 焼き団子! あと、見て見て、このりんご飴!」
「ちょっと待って灯乃、そんなに一気に持ったら……ほら、落ちるって」
「うぇっ……! ああっ、団子がー! 白ー! 助けてぇ!」
すぐそばで、白がふわっと手をかざすと、落ちかけた団子が風に乗ってゆっくりと元の皿へ戻った。
その一帯には、結界のように柔らかな空気が漂い、篝火の熱さをほんのり和らげている。
「……はい。団子、無事」
ぽつりと言いながら、白は静かに頷いた。
「すごっ……! それって、風の術?」
「……風と、結界の応用。練習してた」
「おおっ、やるのう。白」
クロが焼き鳥をくわえながら肩に飛び乗る。
広場の奥――神社の裏手に広がる“結界広場”は、年に一度の祭でだけ開放される。篝火が円を描くように並べられ、草地の上には御幣が揺れていた。
「最近、めきめき力戻ってきたようじゃな。特に例の“霧の記憶”の後から」
「……うん。でも、まだ“浄火”は上手く使えない」
「浄火?」
静流が顔を上げる。
「新しい術ですか?」
アヤメの声が風鈴のようにそっと届く。
空間に浮かぶ本の気配が、白布を揺らす風の中に紛れ込んでいる。
「……うん。清めの炎。“見えないモノ”に触れたとき、守るための技」
「……なるほどな」
静流はふと納得したように頷く。
提灯の明かりが、周囲の人々の顔を揺らめかせる。
その中には、不思議な姿――異形の影がちらほらと混じっていた。
「それ、今夜、使えるかもしれない」
秋祭りの本祭は、神社の奥にある“結界広場”で行われる。
木立に囲まれたそこは、普段は人が立ち入らぬ聖域。だが今夜は、結界が緩められ、灯籠と篝火の灯がそっと闇を裂き、現世と“あちら”をつなげている。
そこには毎年、妖たちもこっそり混じって参加してくるのが、暗黙の伝統だった。
人々の視線のすき間をすり抜けるように、異形の姿が夜に紛れ――けれど誰もがそれに気づかぬふりをして、祭を楽しんでいた。
「なんか……やっぱり、見えますね。ほら、あそこの着物の人たち……少しだけ透けてます」
灯乃がささやく。彼女の視線の先では、藤色の着物をまとった数人の影が、灯籠の明かりの下でゆっくりと歩いていた。その姿はどこか不透明で、風とともに揺らいでいた。
「静流様、結界が緩められてます。おそらく意図的に」
アヤメが説明する。宙に浮かぶ彼女の本体が、風にひらりとページをめくった。
「年に一度、“人と妖が共に時を過ごす”ための祭……かつて霊龍が守っていた名残ですわ」
「白の領域だね」
静流は白を見やる。白は焚き火の揺れる光を映した瞳で、静かにその言葉を受け止めた。
白は頷いた。
「……少しだけ、話せると思う。あの子たちと」
夜の風が、白の髪をやさしく撫でていく。その肩越しに、広場の奥にふわりと浮かぶ霊火の群れが揺れていた。
やがて夜が深まり、社の裏手で“火の舞”が始まる。
灯籠の灯に紛れて、ふわふわと揺れる“霊火”――人の想いを乗せた、見えぬ魂の灯だ。
火の舞を囲むように人々が静かに見守り、笛と太鼓の音が遠くで響いていた。
だがその中に、異質な黒い煙が交じっているのに、静流は気づいた。
それはひとつだけ重たく垂れ、霊火の輪の中心でよどんでいた。
「……あれ、よくないやつだ」
白が一歩、霊火の中へ踏み込む。結界の風が彼の背を押し、足元の草をそっと撫でていく。
「……記憶にないけど、分かる。あれは、壊れた想い。人でも妖でもない、迷ったもの」
静流が叫ぶ。
「白、結界が薄い! そのままだと周囲に……!」
「大丈夫。浄火を使う」
白が両手を広げ、胸元から静かに力を放つ。
彼の周囲の空気が澄み、風の鼓動が空間を包む。すうっと風が巻き、霊火の周囲に光の輪が浮かぶ。
そして――
「……浄火、結界展開」
ぼうっと、青白い炎が霊火を包み、黒い煙を浄化するように燃やしていった。
火は誰にも害を与えず、まるで“祈り”のように灯っていた。炎は一つの鼓動のように静かに脈動し、迷える魂をやさしく包み込むようだった。
観客たちの間に、静かな感嘆の声が広がる。
草の上で立ち尽くす村人たちの顔には、驚きと畏れが混ざっていた。
「……あの子、何者……?」
「神様の遣いか……?」
「……“神様の遣い”って、変な感じ」
「おぬし、ほんとはそう思ってなさそうじゃのう」
白は、少しだけ目をそらして黙った。
***
祭のあとの夜道、静流たちは歩きながら、静かに話していた。
鈴虫の声が遠くに響き、月明かりが竹林の影をゆらめかせていた。
「白、あれが“浄火”だったんだね」
「……うん。名前も力も、昔の記憶にあった。思い出せないけど……たぶん、誰かのために灯した火」
「今日は……ううん、今日も助かりましたっ!」
灯乃が元気に手を振る。
「私、絶対にあの火、忘れません!」
クロがふいに笑う。
「……あの光の中には、誰かが救われる希望があるのう。いい火じゃよ、白」
白は、ほんの少し、口元を緩めて言った。
「……ありがとう」
この夜が、静流と式神たちにとって“境目を越える”始まりとなった。
《風野郷・秋祭り》――妖と人の記憶が交わる、不思議な夜の物語だった。
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