第一話 静かなる死と新たな出会い
その日も、静流は静かに、本を読んでいた。
都心の片隅にある、古びた公共図書館。その一角で、黙々と閉架資料の整理をしている青年がいた。名は静流。年齢は25を少し過ぎた程度。職業は図書館司書。趣味は読書、特技も読書。口癖は「できれば、今日も穏やかに」。
だが、現実は穏やかではなかった。
「この段ボール、地下書庫に運びますか?」
「ああ、お願い……って、え? ひとりで? 重くない?」
人手不足と老朽化した施設により、館内の業務は年々厳しさを増していた。来館者対応、書架整理、資料搬入、行事準備、地域行事の出張対応。
本来分業であるべき仕事を、静流は一人でいくつも背負っていた。
その日も彼は、閉館後に地下書庫へ古文書を運び込む作業をしていた。
階段は狭く、照明も暗い。
慎重に、一歩ずつ降りる。だが、そのとき。
「……っ、!」
足元に散らばっていた封筒か何かに足を取られた。
バランスを崩し、重い箱ごと、静流の身体が階段を転がり落ちる。
鈍い音が、冷たい地下の空間に響いた。
静流の最後の記憶は、積み上げられた古書と、落ちていく天井の景色だった。
(……ああ、明日の返却処理、まだやってないのに……)
そんな仕事じみた思考を最後に、意識は暗転した。
◆ ◆ ◆
「……目覚めたか、人の子よ」
薄明の空間。何もない無音の世界。まるで夢の中のような場所で、静流は浮かんでいた。
そして、目の前にいたのは――神。
白髪の老翁とも、無垢な少女とも見える、あらゆる姿を併せ持つ「存在」だった。
「……死んだんですね、僕は」
「うむ」
死の自覚を静かに受け入れる静流に、神は微笑んだ。
「汝を次なる世界へと送る。穏やかに生きることが汝の望みなのだろう。その世界で穏やかに生きなおすが良い」
神は言葉と共に、転生の“特典”を授けた。
「全魔法属性適性、古代知識吸収能力、そして――魔法と術を繋ぐ才能。汝には、そのすべてを与えよう」
「……まるで賢者か大魔術師のようですね。そうでないと穏やかに生きられないのですか?」
「その世界には妖がはびこっているのだ。穏やかに生きられるかは汝次第」
「なるほど……厳しそうですね」
静流は、半ば諦めにも似た溜め息をつき――そして、頷いた。
「じゃあ、次の世界でも……なるべく、穏やかに暮らせるよう頑張ります」
「うむ。良き旅路を、転生者よ」
光が、静流を包む。
◆ ◆ ◆
次に目覚めたとき、静流は赤子の姿だった。そこは時間を遡ったかのような、平安時代のような世界だった。ただ違ったことは、時々あやかしが出現し、大きな事件になることだった。静流は穏やかに生きていくため転生者であること、前世の記憶があることを隠し目立たず育っていくことにした。
転生から、7年。
静流は九重家の屋敷で、静かに目立たず暮らしていた。
九重家は、あやかし退治を生業とする、由緒正しき陰陽師の名家である。
「……静流! 早くしなさいよ」
まだ眠い目をこすりながら、静流は小さく「うん」と返事をした。
身支度を整え、廊下を進む。屋敷は広大で、柱や障子ひとつとっても、格式高さと長い歴史を感じさせる。ふすまの向こうに、すでに揃った家族の気配があった。
(……できれば、気配を消して通り過ぎたい)
そう思ったが、運命はそう簡単には逃してくれない。
「……やっと来たの、静流」
声の主はすぐ上の姉・九重 煌花8歳。幼いながらも陰陽寮の実働部隊に所属する才媛で、朝から眉をひそめている。
「また寝坊? まったく……毎日毎日起こさせないでね」
「……すみません。今日は、夢見がよくて……」
「言い訳はやめて。早く、朝一人で起きられるようなりなさい」
(……感謝してるよ、ちい姉ちゃん。小言を言われるのは僕が悪いってのも分かってる。でもあまり触れないで欲しいな)
静流は内心でため息をつきながら、用意された席に座った。
朝の食卓は家族揃っての食事時間だが、彼に向けられる視線はどこか冷ややかだった。兄姉たちはすでに有名な陰陽家の人間としての道を歩み始めており、末子である静流に対しては、どこかあきらめに似た空気が漂っていた。
(なんとか実働部隊なんてならずに済むなら、それに越したことはないけど……)
食後、静流はいつものように屋敷裏手の書庫へと足を運ぶ。そこは先祖代々の蔵書が眠る、誰も近寄らない静かな空間だった。
「……ふぅ、やっと一人になれた」
(ここまでくれば、大丈夫。あんまり人と関わるのは好きじゃないんだよね。みんな忙しいから、今日もここにこもっていれば、誰も来ないでしょう)
彼は奥の棚から一冊の古文書を取り出す。それは陰陽術に似て非なる――魔法の文法が記された書だった。
彼が密かに解析しているのは、この世界で“異端”とされる術理。そして、そこに浮かぶ文字や術式は、彼の中にある「知識吸収能力」によって瞬時に解読されていく。
(……この構成式、風の陰陽術と組み合わせたら、結界強化ができるかも)
いつしか、陰陽術と魔法を融合させる実験が、彼の密かな日課になっていた。それは誰にも知られてはならない、転生者としての“秘密”。
頁をめくるたび、彼の中に眠る“前世の知”が形を成していく。
陰陽術はこの世界で正統とされる技術体系だが、そこに「魔法」という異質の構造を組み込むことで、従来の限界を超えた応用が可能になる。
(この術式配列を逆位相にすれば、破邪ではなく防護に転用できる……応用次第で、戦闘に巻き込まれる前に対処できるな)
彼の目標はただ一つ。穏やかに生きるために、戦わずして危機を退ける術を身につけること。その一念で、静流は黙々と書を読み、書き写し、再構築する。
午後の光が傾く頃、書庫の奥深く、静流は黙々と筆を走らせていた。
今日の題材は、陰陽術における「召喚式」の再構築。
従来、式神召喚には血統と霊力適性が強く求められるが、静流はそこに前世由来の“魔法理論”を融合させることで、安定性と制御性の向上を図っていた。
(……霊気の循環を多重化し、魔法陣の接続ポイントを拡張……ここに、風属性と空間転移の座標指定機能を組み込めば――)
紙の上に描かれた複合式陣が、わずかに蒼白い光を帯びる。
それは理論上、長年九重家の禁書とされていた“異界式神”召喚の術。静流はあくまで研究の一環として、実験的にその術を発動してみた。
「……召喚……どうぞ、こちらに」
声に応じて、術陣が明滅する。
空間が歪み、風が巻き上がる。書庫に不釣り合いな風音が唸り、光の渦が一点に収束する。
次の瞬間、淡い影がそこに姿を現した。
「……よくぞ呼んだな、人の子よ」
現れたのは――黒き狐の姿を持つ異形の天狗。漆黒の毛並みに琥珀色の双眸を輝かせ、尾をたなびかせながら宙に浮き、静流をじっと見下ろしていた。
「わしの名はクロ。正式には“黒耀天狗”と呼ばれし古き風の守り手じゃ」
「……まさか、本当に呼べるとは」
静流はつぶやき、すぐに深く頭を下げた。
「初めまして、クロ。僕は九重静流。君を召喚した者だよ」
「ふん、謙虚な割に、やることは随分と無茶じゃな。まさか、陰陽術に“異界干渉魔法”を混ぜて呼び出すとは。そんな芸当、千年前の大陰陽師すら試さなかったぞ?」
「……君に来てほしかったんだ。できれば、僕の静かな生活のために、力を貸してほしいんだけど……だめかな?」
「静かに暮らしたいとぬかす割に、やることは派手じゃのぅ」
黒狐はしばし鼻を鳴らすと、くるりと空中で一回転してから、軽やかに静流の肩に乗った。
「じゃが、面白い。この時代に呼び出され、契約されるとは思わなんだ。良かろう、わしの力、汝に預けよう。じゃがその代わり……」
「その代わり?」
何やら交換条件があるらしい。大変なことでなければよいのだが。
「なに? たいへんなこと?」
「少し汝の魔力をわしに食わせてくれんかのう? なに、健康に問題は出ない程度でよいのじゃ。ほんの少し。ほんの少しじゃ」
「えー! なんだか怖いなあ」
「いやいや。幼いころに毎日限界まで魔力を使っていると、魔力の保有総量は増えやすいのじゃぞ。これは、ある意味汝のためにもなることなのじゃ」
そういえば、ラノベでそんな話はよく見かけたな……でも、ホントにあぶなくないのだろうか?
「健康に問題は出ない程度でも、魔力の保有総量が増えるの?」
「間違いなく増えるし、式神は主を傷つけん」
「わかった。魔力、食べてもいいよ。その代わりクロは、僕の式神になってくれるんだね?」
「うむ!」
「ありがとう、クロ」
「ただし、勘違いするなよ? わしは忠義の存在であっても、従順ではない。毒舌も皮肉も遠慮なく吐くからな。それでもよければ、契約を続けてやろう」
「……うん。それでいいよ。言いたいことがあるなら、遠慮なく言ってね」
「ほう……まあ、せいぜい後悔するなよ? これから忙しくなるぞ、転生者どの」
その一言に、静流は目を細めた。
なぜ“転生者”だと分かったのか……問いかけようとした瞬間、クロは軽やかに宙を跳び、書架の上に移動していた。
「主のことは何でも分かるぞ。それが式神というものじゃ」
毒舌の裏に確かな実力と気遣いを宿した黒い狐、黒耀天狗・式神『クロ』が静流を見つめて優しく笑った。
出だし、ちょっと長めです。一話2000~2500文字を目安に書いていくつもりです。よろしくお願いします。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
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1日3回 6時 12時 19時10分 に投降です。