想いあってるからこそ
満は幼い頃から神社に思い入れがある。
「嬢ちゃん、またきたんね」
着流しを着ているお兄さん。関西弁の彼と出逢ったのは七五三の時だったか。迷子になって泣いていたときに見つけてくれた。そこから月に一度、彼に会いに来ては世間話をした。彼が神社の関係者でないことも、人間でないことも小学4年生あたりから気付いていた。それでも足繁く通う彼女はこの時間がとても好きだったのだ。
高校生になった彼女は制服を披露してあげた。それはもう驚いてくれた。
「たまげたなぁ。はぁ~おべべは自分で着れるんか?」
「私もう16だよ?おべべなんて言わないで」
彼からしたらちょっと背丈が伸びたようにしか見えないのだろう。でも、彼女は違う。思春期を迎えた辺りから彼を異性として意識し始めていた。見た目だって気を使うようになった。彼は疎いのか人間は範疇外なのか、一向に態度が変わらない。
でも、それでよかった。気持ちを伝えようとは考えていない。きっと人間で言う恋人にはなれないとどこかで理解していたからだ。
「大きゅうなったな」
ぶわっと風が吹く。
彼の重ためな前髪がなびく。ちらりと見えた彼の表情はいつもの気だるそうな顔ではなく、目を細め晴れやかな笑顔をしていた。
瞬きをした次の瞬間にはいつもの表情に戻っている。
満は知らない。彼が一体何者なのかを。付喪神だ、と神社に居座ってる猫又が教えてくれた。自分でも一度聞いたことがあるがはぐらかされたことがある。知られたくないのだろうか。だから無理に聞くことはしなくなった。
大晦日の夜、満は年越しを神社ですると決めていたため、両親を説得し共に参拝に来ていた。友人に会いに行くと言って彼女は彼の所へ向かった。いつもの横道を通り、小路へ入る。人が多い。追い越すために木と木の隙間を通り抜けた。
しん。
さっきまできらびやかだった光も喧騒もなくなり、静かな場所に出た。
道は間違っていない。
でも、誰もいない。
月だけが唯一の光源だ。
心細くなった満は辺りを見回す。
父さん。
母さん。
誰か、いないの?
だんだんと怖くなり、呼吸が浅くなる。自分の靴音が不気味に響く。草木が風に揺れざわざわと音を立てる。耳鳴りがしそうな静寂の中、耳を済ませると遠くから音が聴こえた。誰かいる。一縷の望みをかけてそちらへ向かう。境内のほうだろうか。転ばないよう小路を歩く。物陰に潜んで境内を覗けばそこには先程までいた参拝客はおらず黒いヒトガタの何かが奇声を発しながら蠢いていた。飛び上がりそうなほど怖かったが、蠢く群れの中に、見覚えのある彼がいつもとは違う着物を纏って拝殿に向かって頭を下げているのを見つけた。
何か話している。
「相違ございません」
「なんたる怠慢」
「近年は幼子が迷い込むことなど稀にございます」
「貴様が以前見つけた7つもいかぬ小娘を取り逃がしたせいで台無しじゃ。常世に迷い込んだ人間の童を贄にする習わし、途絶えさせては存続に関わる。今夜にでも引きずり込め」
死角から聴こえた声はおぞましい程にしゃがれていた。踵を返して逃げようとしたが、その後に聞こえた言葉に足を止めてしまう。
「今夜見つからなければ烏を贄にする」
烏。これは、彼の名前、か。
そうなんだろう。
彼がいなくなる。これまでとは違った怖さが彼女を襲った。
不気味な空間。
暗い足元。
心細さ。
異様な光景。
未知のものへの恐怖ではなく、誰かを失うという恐怖が彼女を動かす。
「待ってください」
上擦った声がこの不気味な境内に響いた。直後、全ての目がこちらを見る。幼い頃から視えていた異形のもの。たくさんの目。その中に彼の驚きに見開かれていた瞳があった。
「その人は大事な友人です。殺さないで」
「何してはる、はよ逃げ!」
「いいだろう人間。お前が代わりに贄になれば烏は殺さぬ。どうする」
「よしなはれ。わしは贄になる人間を今後も連れてくる。ここで生かしても特にもならん。あんた他の人間も犠牲になるんやで」
「私が後悔しない選択は、これだからッ」
「烏め、本当はこの娘を此度の贄にするつもりで接していたのだな。賢い僕じゃ」
「あ、あぁ…あぁそうや、そうやで!そんな奴の為に死ぬんは阿呆がすることや。嬢ちゃんわしはな、あんたを贄…に。」
彼女は烏を見て、穏やかに笑った。
「あなたのためになるなら、こんな嬉しいことはないよ」
拝殿から太い投げ縄が彼女をとらえ体を捕えて縛りあげ、ずるずると引きずられていく。
「あかんッ、あかんやめてくれ!わしでもええんやろ?わしを贄にせぇ!」
彼女に駆け寄ろうとした烏を黒い異形が行く手を阻む。
「ッ…うまれ変わったら…」
必死に笑う彼女。
届かない男の手。
「会いにいくから」
またね、大好きだよ。
拝殿に引きずり込まれた女を隠すように戸が閉まった。
強張った最期の笑顔。
そんな顔をさせたかったわけじゃないのに。
好きな人間を守れなかった。
男の慟哭は体を破かんばかりの声量だった。
また、やり直しだ。
また…。