第五話 囚われの守護者
―――【奈落】内部。
―――ボトッ。
何か大きな物が、落ちてきた音がした。
(血の匂い……肉だ!!)
【奈落】は暗く、視覚は意味を成さない。それ故に、頼れるのは己の聴覚と触覚、そして嗅覚だけであった。
彼もまた、そうだったのだろう。食糧の無い奈落の中で、血の匂いがしたということは、それは生物の死骸……則ち、食える物なのだ。
彼は最早、人と呼べる存在ではない。
考える知能はあれど、それは理性を持たなかった。
彼は蟲だろうと、獣だろうと、或いは人であっても、生きるために全て喰らってきた。
それは今回も例外ではない。
(人の死体……まだ死んで時間が経ってない)
匂いのある方へ近づき、そこへ手を伸ばすと、手に何かが触れる。
輪郭をなぞり、彼はそれが女の死体であることを理解した。
ふと、足が濡れる。
(血だ。どこから?)
死体を手でなぞる。すぐに、この女は胸を貫かれて死んだのだと分かった。
(…………食うか)
彼は死体の右腕を持ち上げ、貪り始めた。
肉を噛み千切り、鮮血が体を流れ落ちる。
溢れる血が服を、体を、赤く染める。
―――彼が生きる理由とは何なのか。
―――彼は夢を見ていたのだ。いつかここを出て、愛する人に再会する夢を。
◇
死体は骨となり、忘れ去られる。
……生きていた頃の彼女は、最後に何を思ったのだろうか?
◇
何でも願いを一つ、か。
本当に、本当にそれだけの理由で、人を殺せるのか?
『中には、そういう人もいるでしょう。第二の人生なんですから』
そりゃそうかもだけどさ。
多分……もっと別の理由があると思うんだが。
『…………』
まぁでも、殺らねば殺られるってだけか。
殺伐としてて嫌になっちゃうよ。
『……ではもし、最後の一人になったら、何を願いますか?』
唐突だな。
うーん、そうだな……。俺はやっぱり、あの家でまた暮らしたいかな。
『そう、ですか。じゃあ、そのためにも強くならないといけませんね』
ん? ああ、そうだな。
俺だって殺されたくははないし。
……よし、練習再開だ。
◇
『【天照】を随分と使ったので、腹も減ったでしょう。一度休憩にしませんか?』
かれこれ二時間くらい練習していたので、とても腹が減っている。
腹が減っては戦は出来ぬと言うし、そうだな。ここで休憩にして飯を食おう。
だが……どこで飯が食えるんだ?
『ここから四キロメートル程の場所に、街があります。そこで食べましょう』
地平線の奥の方に、かすかに街の輪郭が見える。
あの街か。でも、俺金持ってないぞ? 流石に無一文では何も食べられないだろう。
『問題ありません。代行者は〝神の使い〟なので、街で料金が取られる事はありませんよ』
え、そうなの!?
『はい。基本的に街の住民にとって、代行者はありがたい存在なのですよ? 他の代行者から街を守る、謂わば守護神なのです』
……それだと俺、街入れなくね? 他の代行者って事で殺されたりしない?
『いえ、今から行くのは太陽の街、『ラーヒルズ』です。【天照】なら、快く受け入れてくれるでしょう』
一体、どういうことだ?
『太陽神というのは数多く存在するわけです。これは他にも言えますが、力が似る者同士は決着がつかないので、街を守るという形で協力関係を結ぶのです』
成程ね。あくまで、守ると。
なら、俺が行ってもいきなり殺られることは無いわけだ。
『ええ。多分』
多分じゃ困るんだが……ええい、行かなきゃ飯が食えんのだ。行くしかない!
◇
北大陸、【病衰】のエーニルが支配する、死者の街『ヘルヘイム』。
その一角の宿……〝根を齧る蛇〟。
そこには、暗証番号を知らなければ入れない、秘密の地下室があった。
―――コンコンコンッ。
地下室の扉が鳴る。
そして、扉は開かれる。
「誰? そして何でここにいるのかな?」
地下室にいた一人の男がそう言う。
「私は【冥界】のアビス。約束を果たしに来た」
「アビスには番号を教えていないはずだけど。いや、それどころか誰にも教えていないはずなんだけどな。それに、アビスの一人称は〝俺〟だ。君は誰?」
「いいから付いて来い」
「!?」
気づけば、男は両手を押さえられていた。
アビスではなく、光を纏った兵士達に。
「なんだコイツら! 離せ!」
「【奈落】のケイル。貴様の力は知っている。両の掌が空いていなければ、力は使えない」
「なんでそれを……?」
「…………」
ケイルが兵士達に運ばれていく。
彼の質問には、誰も答えなかった。
やがて街を出ると、そこには光り輝く、何かが居た。
「こんにちは。【奈落】のケイル。私は【救世主】のノーマンと言います」
「私は【守護者】のアスピーダとの約束を果たしに来ました。これがどのような意味か分かりますか?」
「そっか。もう……終わりか」
「はい」
「……最後に一つ、お願いがあるんだけど」
「構いませんよ」
「僕を殺した後、多分【夢操】のアダムが出てくる。そいつを【昏睡】のイブに会わせてやってくれない?」
「……わかりました。そして、さようなら」
―――【奈落】のケイルは死んだ。
この作品が面白い! と感じたら、
ブックマークや★評価をして下さると嬉しいです!