~小屋~
~~ MONSTER - We'll Be Waiting For The Night
バーダルは独りで小屋へと足を踏み入れた。作りかけのベッドが2つ置いてある。まるで木でできた箱のようだ。横にそれぞれ引き出しが置いてある。バーダルは引き出しの一つを開け、中に入っていたものを取り出した。そして、両手の中にあるものを長い間見つめていた…
「普段だったら、ネフェリアで起きてることなんて、どーでもいいんだけどね。」突然声が聞こえた。「だけど、びっくりするようなことにアタシを巻き込んだのは、あんたなんだからね。」
パリだった。誰も見ることはできないし、気配を感じることも出来ないが、確かにそこにいて、透明のまま小屋の傍に立っていた。
「姿を隠す必要はないのじゃぞ?」老雲はそう伝えた。「まだそこにおるのは分かっておった。礼を言うぞ。助かった。」
「助かった?」白の貴婦人はふんっと鼻を鳴らした。「ここには大したものはいなかったわよ。自分でどうにか出来たでしょうに。アタシに会いに来たのは、あの雨雲を見せるためでしょう?アレと何をするつもりなの?バーダル?」
「皆に、わしがどういう根拠に基づいて行動しているのか、言わねばならぬらしいの。知っておろう、雨雲の誕生が、あの日々が再来するのではないか、という危惧をもたらしておるのはよく分かっておるし、自分が何をしておるかも知っておる。言うなれば直感、とでも言うべきか。信念、とも言えるな。」
「ふーん、そういうこと。知ってる?そういうの、アタシは『汚名返上欲』って呼んでるのよ。」
バーダルは瞳を閉じて、それから立ち上がった。伸びをして、首を鳴らした。透明の雌フクロウは、少し先にある古い木の幹に座っているグレーイに視線を注いでいた。
「あんたは変わってないわね。」パリが言った。「でもなにも、あんたが責任を負う必要は…」
「わしを見ろ、パリ。」バーダルが遮った。「わしは年を取った。ただちょっと歩いただけなのに、ほら、もう疲れた。神に昔の力を返してくれるよう、何度かお願いしたのじゃが…わしの願いを聞き入れてはくれなんだ。時々神のことを疑うよ…」
彼らの会話は要点を得なかった。あの話題が出るのをバーダルは避けているようだった。パリは一瞬躊躇ったが、ようやく口を開いてこう言った。
「マジであいつは、ヤツに生き写しね…」
「この借りは必ず返す。」
それだけ言うと、バーダルは小屋を出て行った。パリはそれ以上何も言わなかった。無駄だと分かっていたからだ。
バーダルは、地面を這っているアリを観察しているグレーイの方を振り向いた。アリは色々な種類の小さなかけらを運んでいる。「ほら、また謎に満ちた生き物だ。」とグレーイは思った。バーダルは彼の前に例のものを広げて、現実に引き戻した…服だ。
中世ヨーロッパからそのまま出てきたかのようだった。しかも、バーダルや他の雲が着ているボロボロのものより、ずっと上等なものだった。シャツ、ズボン、そして植物の皮で編まれた大きなサンダルと小さな赤いマントをバーダルは投げてよこした。グレーイの目は今までにないほど輝いた!
「これが蜘蛛の糸で編まれた、雲が着る戦闘服だ。」とバーダルは誇らしげに言った。
「蜘蛛の糸だって!?」驚いてグレーイは言った。「だけど、あなたの服より何千倍も良いものでは!?」
「恐らく。だがその服は戦いのためのものなのだ。好き好んで着るわけではない…それに、わしらが着ているこの服は、遠く離れた同盟国から送られたのだ。友好の印なのだよ。」
「ただのボロボロの服じゃないか。センスがない!」
「ほお、お前さんヌーディスト語を話せるのか?」にやにやとバーダルが答えた。「もう一度言うが、この『ボロボロの服』は友たちがわしらに残したものなのだ。これは彼らの国の砂漠地帯に生えている、不老不死の植物から出来ておる。」
「シウ大陸にある国?」好奇心をくすぐられてグレーイが質問した。
「いいや、カルシネ大陸にある。残念なことに、もう長年ここには誰も来ておらぬ。だから我々の服はこんなにもヨレヨレなのじゃよ。」
「アンシャンが自分で行けばいいんじゃないの?」
「無理じゃ。誰もどこにあるのかを知らん…もし、あのものらがお前さんに会いたいと思えば、あちらから来るじゃろうが…来ぬ…さあ、ちいとばかし喋り過ぎたの!さあ、着替えんか!」
グレーイは服を手早く着た。ぴったりだ。着心地がよく、子供のように手足を動かしてみた。バーダルはその様子を静かに見つめていた。アンシャンは奇妙な表情を浮かべていた。グレーイが服を着るのを嬉しそうに見つめる一方で、胸が締め付けられてもいるようだった。雨雲は全く気が付かなかったが…
「この、胸のところについているバッヂはなに?」グレーイが聞いた。
「それは雲のシンボルじゃよ。水と空気、つまりナミアとヴァハを模しておる。」
「かっこいい…うん、本当にかっこいい!アンシャンバーダル、本当にありがとう!」
「大げさに騒ぐ必要などない。確かに品質は良いものだが、わしにとってはただの、ずっと前から埃を被っていただけの古い服じゃよ。」
突然、何かがバーダルの言葉を遮った。…なにかが近付いてくる。グレーイはすぐに何なのかが分かった。バーダルも分かったようだったが、なぜここに向かっているのかまでは、分からないようだった。
数分後、5つの雲から成るエルムの団体が到着した。その団体の真ん中には、貯蔵庫の前で出会ったウルナーがいる。遠くからこちらに向かって思いっきり手を伸ばして挨拶をしている。グレーイも照れながら手をちょっとだけ挙げて返した。バーダルは早くも理解したようだった。
「なぜお前さんが、さっきわしに子供のことについて聞いてきたのか分かったぞ。」むっとしながらバーダルが言った。「お前はただの愚か者ではないな…それどころか大馬鹿者だ!」
「あの子がせっついたんだ!」グレーイは反論した。「わたしがここに来てと頼んだわけじゃない!」
子供たちの横に、グレーイと同じ年の頃に見える背の高い雌のエルムがいた。ウルナーと話したことが大きな間違いだったのだ。このエルムがわたしのことを見たらどう思うか…
数メートル先まで近付いてきた時、彼らの歩みが遅くなった。ウルナーだけが笑顔だった。他は顔を引きつらせていた…大人のエルムは、雨雲のことをまるで感情が空っぽになってしまったかのように、無表情で見つめていた。驚いている様子もなかった…
もちろん、先陣を切ってこちらに歩み出てきたのはウルナーだった。
「ねっ!!!」大きな声で叫んだ。「うちの言った通りでしょ?」
グレーイは緊張しながらも微笑んでみせた。雨雲がみんなからどう思われているかも知っていたし、子供たちをこれ以上怖がらせたくはなかった…そんなことを考えていると、突然前方から大量の水がグレーイめがけて飛んできた!グレーイはまるでクレープのように、地面にあほみたいにひっくり返って伸びた。バーダルの仕業だ!
「あんたは狂ってる!」びしょ濡れになって雨雲が叫んだ。
子供たちはその姿をみてぷっと吹き出した。グレーイは子供たちを意地悪く見つめた。その目を見てすぐさま真剣な表情に戻ったが、笑いをこらえているのは明白だった。一方、ウルナーは笑いをこらえるどころか、大きな声をあげてワハハと笑っていた。アンシャンバーダルはにっこりと子供たちに近付き、こう言った。
「お前さんたちが見た通り、何も恐れることはない。こやつを倒すにはたった一雲おれば十分じゃ。わしはナミアに全く力を注がなかった。こやつが勝手に倒れたのじゃ!」
「子供たちの前でわたしのことを馬鹿にするな!このジジ雲!」グレーイが立ち上がりながらわめいた。
今回はもうだめだった。子供たち全員が笑い転げた!あの背の高いエルムでさえ笑っている。みんながさんざん笑った後、バーダルがそのエルムにこう尋ねた。
「ヌベ、君に会えるとはなんと嬉しい。久しぶりじゃの。いつも学校か塔におるからな。」
「ウルナーが友達に話してるのを聞いちゃったの。」と答えた。「最初は、来るのはお邪魔だろうと思ったのだけど、この子たちは私の言うことなんか聞かないから…だから一緒に来ることにしたのよ。それに、ちょっと興味があったしね。えっと…もし良ければお友達を紹介してくれないかしら?」
ヌベは感じのいい雲だった…アンシャンバーダルが今まで何があったかを話して聞かせ、グレーイのことを紹介してくれた。バーダルは、ヌベは教師で、ウルナーのクラスを受け持っていると教えてくれた。そして、ネフェリアの評議会のメンバーであることも…
グレーイはとても驚いた。てっきり副町長というのは老雲の集まりだとばかり思っていたのだ。彼女の見た目に反して、グレーイより何十年も前に生まれた可能性もあるということか!
「グレーイ、知り合えて嬉しいわ。私も雨雲は見たことがなかったの…2年前に生まれたばかりなのよ。そういう意味では、私たち似ているわね。」
「2年!?」グレーイが叫んだ。「どうやってたった2年でこの地位を築いたんだ!?」
ヌベはもう一度笑った。その笑顔が眩しいことを認めざるをえなかった。それに、素晴らしいエルムだ。初めてグレーイの肌の色がほんのりと暗くなった。雨雲は顔が赤くなると、肌色が暗くなるのだ…
「ふふ、あなた面白いのね、グレーイ。なぜアンシャンバーダルがあなたに興味を持ったのか分かったわ。私も過去に何が起こったのか知っているけど、あなたを信じる。悪い雲には思えないもの。それに、評議会のことは心配しないで。私が全て上手くいくようにしてあげる!」
バーダルは心の底から彼女に例を言い、グレーイの顔色はより一層暗くなった。何を言えばいいのか分からなかった。幸いにも、子供たちがこっちに来てよ、と引っ張ってくれたので助かった。ウルナーが手を開いて、さっき顔に当たった小さな木のボールを見せてくれた。
「バロネロやろーよ!」とウルナーが興奮気味に叫んだ。
「なんだって!?変なゲームに付き合う気はないぞ!」
「ねえ、おねがーい!すっごく簡単なの!それぞれ順番こに飛んで、ボールを投げるの。下にいる子はそれをキャッチしないといけない。それで、一番最初にキャッチできた子が、次にボールを投げるターンになる、ってわけ!それで見て!これ薄いから、自由にナミアを入れられるんだ!投げる子は重くしたり軽くしたり、好きに出来るんだよ!最高でしょ?ねっ?」
「ばかばかしい…それに、わたしは飛ぶこともできないし、ナミアも使えないんだ!」
ウルナーはぽかーんと口を開けた。みんな、まるで宇宙人でも見るかのようにグレーイに視線を注いだ。初めて会った時と同じくらいか…もっと悪い。
「えーっと…そっか、わかった!いいこと思いついた!うちらはペアになろうよ!うちがお兄ちゃんにボールを投げて、そしたら木の上に登ってそれを投げる。そしたら公平でしょ?」
この小さい雲は頑固で、了承せざるをえなかった…そういうわけで、子供の雲たちと、あっけにとられてるバーダルを横目に遊ぶことにした。ヌベは少し遠くの方からみていた。こうして見ると、グレーイは彼らのお兄ちゃんのように見えた。
そうして一晩中遊んでしまった…
グレーイは大変な思いをした。子供たちはみんな驚くほど上手だった。もちろん、一番上手かったのはウルナーだ。本物の天才だった。空中に浮かんだままボールを取ることが出来るのはウルナーだけだったし、物凄い早さでボールの目の前まで飛んで、両手を透明なボールを持っているかのように広げると、なんとボールはその手の間でぴたっと止まるのだった。
これには目を引かれた。こんな風にボールをブロック出来るのは、エルムの能力を使いこなしているからに他ならない。他の子供たちがウルナーを見てぶーぶー文句を言っていた一方、雨雲は心底この少女に感心していた。
日が落ちた。ヌベは子供たちを集めた。出発する前に、ウルナーは先生に明日ここに戻ってきてもいいか尋ねた。ヌベは迷った。やらないといけない仕事がたまっているから、と言ってもウルナーは聞く耳をもたず、とうとうヌベの方が折れた。出来るだけ早くまた遊ぼうね、とグレーイは子供たちに約束させられ(これほど不安なことはないが)そうしてようやく、彼らは帰っていった。
夜が更けた。バーダルは夕食の準備を始めた。おおざっぱに皮を剥いた生のじゃがいもだ。そして、雲が着ている服と同じ素材の、葉っぱが編みこまれた分厚い毛布をベッドに敷いた。だが、寝る前にまず食事だ。
「あんなゲーム大っ嫌いだ!」とグレーイが吠えた。「一回もボールを捕まえられなかった!」
「確かにお前さん、下手くそだったのお。」とバーダルが本音を述べた。「明日練習するかね。」
「どうやって?」
「エルムの力の使い方を教えよう。さあ、今は食べなさい。練習するには必要なことじゃよ。食べ物は分解され、ジンになるからね。」
「何になるって?」
「ジンじゃよ。ジンというのは、我々の身体の中にある力のことじゃ。ジンが我々から放出され、お前さんがそれを感じ、そしてジンが力となる…さあ、食べなさい!」
グレーイはバーダルが差し出しているじゃがいもを手に取り、楽しそうなアンシャンの前でほんの一口かじった。何の味もしない。バーダルがもっと大きく口を開けて食べているのを見て、雨雲もそれにならってみた。
すると、口の中いっぱいにほんのりと苦味が広がった。あまり好きな味ではなかったのに、身体がもっと欲しがっているのを感じた。もう一口、更にもう一口…
今は、明日のことしか考えられなくなっていた。早くも雲の力を使っている自分の姿を想像していた。ウルナーが力を使うのを見て以来、益々楽しみになっていたのだ。しかし、もう寝ようとしている時、バーダルがこう警告した。
「お前さんにわしが優しくなぞすると思うなよ。ナミアやヴァハは集中力を要する。よって、お前さんに期待なぞしとらぬ。お前さんも覚悟しておくのじゃ。」
「あぁ…」
雨雲のわくわくとした気持ちは一気に萎んだ…
グレーイの訓練は厳しいものになりそうだ…
しかし、これよりも恐ろしい事態が雨雲を待ち受けている!




