~巻層雲~
~~ ドロヘドロ- HOLE
ネフェリアの大砲の砲口が、全てザグニとパリに向けられている間、グレーイは風のように巨大なネフェリアの塔へ向かって飛んでいた。蓮の葉に乗って移動していた時が、どこか遠い昔のように感じられる。灰色の雲は、一分もかからず目的地に到着した。そこには雲っこ一つおらず、まるで事前に全員避難しているかのようだった。好都合だ。
だがそれは同時に、デュオルクが既に全てを見通していることの証でもある…
ウルナーが前に教えてくれた通り、グレーイは塔の裏手に地下牢への仕掛けと扉を発見した。しかしそれは開け放たれており、噂のバリアも見張りもない……罠か?グレーイの脳裏に疑念が走った。数秒間、彼はこの地下へ降りるべきか躊躇った。
だが、もう後戻りはできない。それ以上考えを巡らすのをやめて、グレーイは足を踏み入れた。
地下には、ベール大陸で訪れた洞窟と酷似した光景が広がっていた。だが、そこには奇妙な薄明かりが灯っている……その正体は、地上と接する天井に無数に開いた小さな穴から差し込む、昼の光だった。
その柔らかな光が、地下牢に不思議と優しい雰囲気すら与えていた。
グレーイは地下へと続く長い廊下を駆け出した。廊下の両側には小部屋が並び、全て約4、5平方メートルほどの、とても小さな部屋だった。どの部屋にも、古ぼけてみすぼらしいベッドが置いてある。不思議なほど、バーダルの小屋とそっくりであった。
歴史的な場所である雰囲気が漂っていた。グレーイは走りながら、ここで繰り広げられた数々の出来事を想像した。実はこれらのトンネルは、アロイの恐怖政治の時代に対抗軍によって掘られたものだ。アンシャンバーダル、ツィム、幼い日のデュオルク、そしてパリの父ロカルンも、ここを通ったのだ。
雨雲は必死に、師匠の名を叫びながら走り続けた。しかしこの廊下は、どこまでも果てしなく続いているようだ…町そのものよりも広大に思えるほどに!しかもグレーイは、誰のジンも感じなかった。もしかしたら、バーダルはもうここにはいないのかもしれない…ここに来たことが間違いだったのかも…無数の疑問が頭の中を駆け巡った。
数分後、グレーイは地下牢の終わりに近づいていたが、未だバーダルを見つけられずにいた。ウルナーの友達が話していた噂は、本当なのだろうか?グレーイは走ることよりも、考えることに疲弊していた。
しかし、最後の小部屋に辿り着いた時、グレーイは驚愕の光景を目にした…そこには入り口を塞ぐように黒いバリアが張られていたのだ。恐らくウルナーが話していた、地下牢への入口にあるはずだったものと、同一のものだろう。
その暗い壁は、パリが張ってくれた盾を彷彿とさせた。マジマルは精霊を召喚する力を持っている。マジマルの力なしで、こんなバリアを作ることが可能なのだろうか?パリはこの不可解な点に気が付いていたが、今度はグレーイがその謎に直面していた。
だが、最も重要なのは、その向こうに何があるかだ。鬼が出るか蛇が出るか。でも今となってはどちらでもいい。主人公は冷静さを取り戻していた。もう恐怖に支配される猶予はない。グレーイは毅然として頭を上げ、バリアに手を伸ばした。
指先がほんの少し触れただけで、焼けるような痛みを感じた。アグニズの炎に触れた時の、10倍は強烈だ…
グレーイは拳にヴァハを纏わせ、バリアを素早く叩いた。爆音が地下牢全体に鳴り響いたが、残念なことに、バリアには傷一つついていなかった。こんな簡単に被れたら苦労しないよな、とグレーイは何度も何度も強く、更に強く叩き続けたが全く歯が立たなかった…
グレーイに残された最後の手段はツだった。しかし、破壊力があまりにも大きすぎるため、もしバーダルが向こう側にいるのであれば、使うのはあまりに危険だ。
その時、グレーイは閃いた。
そして両目を閉じ、精神を集中させた。息を深く吸い込み、両手をバリアに押し当てた。これまで経験したことのない激しい痛みだったが、出来る限り耐えた。ナミアがじわじわとバリアの表面を覆っていき、数秒後、水がバリアと同じ形になった。
するとグレーイはそこに、圧縮した空気の塊を一気に、そして乱暴に放出した。するとバリアは圧力で砕け散り、ガラスが割れたような音が鳴り響いた。
グレーイは反動で背後の壁まで弾き飛ばされたが、全くの無傷だった。やった、成功だ!
牢の内部は暗闇に包まれていた。僅かでも光が漏れ出るような穴すらなかった。部屋は空っぽのようで、ベッドすら見当たらなかった。しかし、誰かが壁にもたれて座っている影が見える。
もうバリアは破壊したというのに、グレーイはその存在のジンを感知できないでいた。まるでその者が、もはや呼吸をしていない存在であるかのように……灰色の雲の心臓は早鐘のように打ち始めた。
ゆっくりとその影に近付いた。そして気が付いた。それはグレーイのよく知る者の影であることに。しかし、その姿は、大きく変わり果ててしまっていた。
今この目が捉えているものは、現実なのだろうか?到底信じがたい光景を前に、グレーイの目は見開かれ、今にも目玉が落ちてしまいそうだった。全身の血が凍り付き、突然の吐き気に襲われた。
壁にもたれかかっている雲は隻眼で、右目にはライオンに引っ掻かれたかのような巨大な傷跡が2か所あり、その髪は長く、背中まで垂れている。
かつて、生まれたてのグレーイを迎え入れてくれた、あの生き生きとした年老いた雲のエルムは、今や見る影もなく骨と皮だけの瀕死の状態となり、視線は虚ろで意識は朦朧としていた。
グレーイは、アンシャンバーダルがこんな状態で見つかるとは夢にも思っていなかった。デュオルクはバーダルを殺してはいなかった。だが、全てを奪い衰弱させていた!雲は確かに食物を必要とするが、生きるためには何よりも日光が不可欠だ。地上で生きる存在にとって生命線ともいえる大切な資源である。
バーダルの牢屋の天井は覆われているが、間違いなくあのバリアと同じ物質だろう。そうやってヤツらはバーダルの力と存在そのものを絞り尽くしたのだ。もう一度前のバーダルの姿に戻れるのだろうか?それは不可能なことに思えた。グレーイの目には、バーダルの今の姿は、いっそ命が尽きた方が楽になれるように映った。
グレーイは、かつての面影がないほど老衰し、皴が深く刻まれた顔に向かってゆっくりと近付き、震える声でこう呼びかけた。
「アンシャンバーダル…俺だよ、グレーイだよ!約束通り戻ってきたよ!ねえ、どうか、お願いだから目を覚まして!一緒に神に会いに行ってくれるって、約束したよね?その約束を果たす為に戻ってきたんだよ…だから…」
バーダルの視線が、ゆっくりとグレーイに向いた。眉がわずかに上がり、口が開いた…しかし、声は出てこなかった。この闇の中でどれだけ長い時間を過ごそうとも、この老雲の中にはまだ生命が宿っていた。そう、バーダルはこの壊れた体で、今もなお戦い続けていたのだ。
現実逃避と悲しみが心を覆いつくした後、怒りがその心を支配した。歯を食いしばり、視線が虚ろになった…既にその脳内では、ネフェリアの長と対峙する自分の姿が見えていた。
突然グレーイは拳を地面に激しく突き刺した。その動きはあまりにも素早く、鈍い音だけがあたりに響いた。息を切らしながら立ち上がり、牢屋の入り口に向き直った。そして、自身が倒すべき相手の名を、力の限り叫んだ。
「デュオルクーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!!!」
グレーイは報復に燃えていた。我々が理解できないほどの憎しみを抱えて。
外ではデュオルクがその声を聞いていた。




