~休息~
~~あの日見た花の名前を僕たちはまだ知らない - My Star
美しい朝日が、二つに分裂された山を照らした。まるで混沌の騎士が巨大な剣を振り下ろし、真っ二つに割れた片方の山を、地獄に持って帰ったみたいだ。
頂上から数メートル下に行った山の残骸に、巨大な居間のような感じで、ぽっかりと空いている穴がある。そこがアテリスの巣窟だったところだ。
グレーイたち一行はまだそこにいた。色々な出来事が立て続けに起こり、心身ともに疲労困憊だった。パリはまだ起きない。アプルの膝に頭を乗せ、未だに意識を失ったままだ。しかし、穏やかな顔をして眠っている。アプルは目を閉じ、右手を友の額に置いていた。グレーイは横に座り、その様子を固唾をのんで見守っていた。
りんごのエルムの表情が険しいので、グレーイは落ち着かなかった。誰もパリがこの眠りから覚めるのか分からなかった…ひょっとしたらもう…今はアプルの治療が終わるのを待つしかなかった。
アグニズは皆から離れたところで横たわっていた。筋肉は損傷し、アテリスに噛まれた傷口がまた開いてきていた。それでもアプルは、パリの治療に当たる前に、応急処置だけは施してくれていた。
石炭は自分の顔を腕で隠していた。誰のことも見たくないようだった…それより、誰にも顔を見られたくなかったのかもしれない。アグニズが負った一番の傷は体ではなく、心に負っていた。
カザンとその手下が去ってから、誰も一言も話さなかった。数分間の沈黙の後、アプルがようやく目を開けた。不安な気持ちでそれを見ていたグレーイは、真っ先にパリは大丈夫なのか、と尋ねた。
「心配しないで。」アプルが微笑みながら答えた。「ただ、休息が必要なだけ。」
ふぅ、と雨雲の口から大きな安堵の溜息が漏れた。そしてパリを見つめた。幸せそうな表情をしている。そういえば、食べることの次に寝ることが好きだもんな…
アプルは立ち上がるとアグニズの元へと歩き出した。アグニズの傷の状態は依然として芳しくなく、父親に立ち向かうために使ったエネルギーが状況を悪化させていた。もう一度診察する必要があった。石炭の元に向かう姿を見て、グレーイはたまらずアプルに声をかけた。
「アプル!」
「ん?どうしたの?」とアプルが微笑みながら聞き返した。
アプルがもっとも晴れやかな表情を浮かべ、生き生きとしている時は、誰かを助けている時だった。顔にも体にも、痛ましい火傷の跡がまだ残っていたが、その瞬間だけはまるで何もないかのように見えるのだった。
「ううん、なんでもない。」と結局グレーイは答えることにした。
グレーイは身が焼けるような嫉妬心を抑えられなかった。自分が立て看板のように突っ立っていることしか出来なかったのに、炎の戦士たちに立ち向かっていったアグニズに、嫉妬心さえ覚えた。でも心の底では、自分自身の精神力の弱さに腹を立てていた。生き残ることを優先し、リスクを恐れ、死を恐れていた自分に…
そして寝っ転がり、まるで子供の様に指を噛み始めた。
アプルは石炭の横に座り、治療を再開した。でも、これだけでは不十分だった。適切な治療を施すためには薬草が必要だった。一目見ただけで激しい苦しみに襲われていることが分かった。それでもアグニズは静かに、ただ腕を顔に押し付けていた。
こんな状態のアグニズは珍しい…どんなに隠そうとしても、アプルはアグニズの表情が歪んでいるのが分かった。口元は震え、炎は冷たい。りんごは、この石炭のエルムが泣いているのだと分かった。
どうして悲しまずにいられようか。仲間の前では猛者を気取り、父親を八つ裂きにしてやると約束したのに、実際は無力で、あまりにも弱かった。非常に弱かった…
やがてグレーイとアグニズは眠りに落ちた…アプルだけは寝ずに何時間にもわたってアグニズの治療に努めた。もう全部やれることはやり尽くしたと確信を得た時、やっと隅の方に行ってアプルも眠りに落ちた。
数時間後、パリを除く全員が目を覚ました。グレーイはアプルを背中に乗せ、隣の森まで薬草を探しに出掛けた。
空の旅の間、彼らの身に起こった出来事については一切話さず、ただ天気が良くて良かったね、だとか、どんな薬草が必要なの、だとか、そういう他愛もない話をした。でも、そういう平凡でありきたりな時間の中に、グレーイは心からの幸せを見出していた…アプルも同じ気持ちだった。
ひょっとしたら、これがグレーイが探している生きる意味の答えなのかもしれない。そう、多分この感覚が『幸せ』って呼ばれてるやつなんだ…そんな風にグレーイは思った。
2エルムが森へ出かけている間、洞窟の真ん中ではアグニズがパリに話しかけていた。
「俺、バカみたいだろ?起きてたらゼッタイそうやって言ったに決まってる。いつも俺は自分に自信があって…本当にあったんだ!倒せるくらいは強いって本当に思ってた…でも、結局、君が俺のことをバカにしてたのは正しかったんだな。」
パリからの反応はなかった。ただ羽が、外から入ってくる涼しい風にそっとなびいているだけだった。顔立ちが繊細で、微笑んでいるように見えた。それがパリの自然な表情なのだ。
こうしてパリに向かって話しかけていることで、アグニズの心は慰められた。なので話しかけ続けた…
夕方に差し掛かったころ、アプルとグレーイが戻ってきた。アグニズはまだパリの横に座っていた。最初は気まずい沈黙が流れ、誰も話さなかった。アプルがパリに近付き、緑の大きな葉を使って粉末とゼラチンのようなものをフクロウの足の裏に塗りつけた。アグニズの怪我にも同じことをした。
「なんだよこの、気持ち悪いネバネバは!」とアグニズが聞いた。
「治療を補完するために必要なの。グレーイが見つけてくれたのよ!アロエとラベンダーと…」
「でも、これを探して、って言ったのはアプルでしょ!」グレーイが割り込んだ。「俺は植物のことは知らねぇし、それに細かいところはどうでもいいだろ!」
グレーイが恥ずかしそうに顔を暗くさせるのを見て、アプルは微笑んだ。するとアグニズはパリの方を見ながらこう言った。
「ここを離れよう。この地域一帯が、エネルギーが爆発したのを感じただろう。俺が思うに、今はまだみんな怖くて来てないだけで、すぐに状況は変わるだろう…パリは俺が運ぶから、安全なところに場所を移そう。」
「お前がパリを運べるような状態には思えないけどな、燃え頭。」グレーイが忠告した。
「おい!俺を見くびるなよ。待ってろ、今見せてやる…」
そういうとアグニズは急に立ち上がった。しかしすぐにふらつき、あっと言う間に地面に倒れ込んでしまった。その転げる様子を見て、グレーイは思わず吹き出したが、アプルが『殺すわよ』とでも言いたげな目をしたのを見て、すぐに笑うのをやめた。コホン、と咳ばらいをし、真剣な表情に戻ってこう言った。
「分かった。俺がパリとアプルを順番に、あっちの方にある池の傍まで運ぶよ。」グレーイが、指で方角を指し示しながら提案した。「そんなにここから遠くないし、周りには何もない。誰にも会わないよ。お前は自分で行けるか?」
「まあ、それくらいなら…」
アグニズはこの状況にかなりフラストレーションを感じていた。グレーイに背負われるのだけはごめんだ!飛ぶのはまだ、アグニズの得意分野だ!
先の戦いで、アテリスに幻影を見せられ、毒牙で貫かれ、その後追い打ちをかけるかのようにカザンの圧力で押しつぶされ、もう筋肉はボロボロのはずだ。なのに、このエネルギーは一体どこから湧いてきている!?「信じられないような怪物だ…こんな驚異的な種族がいるのに、なぜ雨雲なんかを皆恐れる?」と、心の中でグレーイは呟いた。
彼らは、半分になった山から、数十キロ離れたところにある池に向けて出発した。グレーイはまずパリを運び、それからアプルを迎えに戻った。誰かを背負ったまま二回行き来するのは、思っていたより中々骨の折れる作業だったと言わざるを得ない。パリはいつもどうやって、アプルを背負ったまま飛んでいるんだろう…
アグニズが池に辿り着いた時は、今までにないくらいヘトヘトだった。まるで使い古された米袋のように、くちゃくちゃになってパリの横に倒れ込んだ。黄昏時になってようやく、グレーイとアプルが到着した。
「白の貴婦人は俺たちに嫌気が指して、自分から昏睡状態になってるんだな!」グレーイがアプルを背中から降ろしながら言った。「ともかく、マジマルは本当に凄い存在だよな、それを今日思い知らされた…」
その言葉を口にした瞬間、グレーイを疲れが襲って倒れ込んだ。一行はみんなで地面に円状に寝そべった。冷たい風が頬を撫でた。もうすぐ夜になる。
「そうだな。普通マジマルは、エルムよりも強い。」アグニズが言った。
「だよね、それはよく分かった。」グレーイがすぐさま答えた。「まずあの蛇…それに、あのでっかい緑色の目をした、バカでかい水牛見た!?怖かったよなあ!?」
間違いなくカザンの飼ってる、皇帝の忠実なヤクのことを言っているのだ。その言葉を聞いた瞬間、アグニズもアプルも、辺り一面に響き渡る大声でケラケラと笑い始めた。
「な、なにが面白いの!?」とちょっとムッとしながら雨雲が尋ねた。
「いや、君の言う通りだよ。」とアグニズが、こらえきれずにくっくっと笑いながら言った。「ただ、あれは水牛じゃなくてヤクだ。」
グレーイがそんな無邪気なことを、真面目腐った顔で言うのが、どうも可笑しかったのだ。
「じゃあ、お前、あのヤクのこと知ってるのか!?」雨雲が興味をそそられて聞いた。「名前とかも?」
「ああ、あいつの名前は…ヤックだ。」アグニズが答えた。
少しの静寂。その静寂に、何か不思議な音が紛れている。口笛のようで、鳴って、止まって、鳴って、止まってと繰り返している。みんながパリの方を一斉に向いた。パリから聞こえてくる。いびきをかいている。こんなことは初めてだ。パリのいびきはメロディアスで、でも滑稽でもあった。
アグニズは品のないしかめ面をしながら、パリに顔を近づけた。
「ははっ!」アグニズが声をあげた。「おい、パリ!これでもう俺のコト叩けないな!?」
すると、まるで聞こえていたかのように、パリの手が突然上がって、アグニズの頬を平手打ちした。アグニズは地面に倒れ込み、全員が再び声をあげて笑った。
何分間も何分間も笑い続けた。グレーイとアグニズが一緒に笑うのは、これが初めてのことだった。凄く不思議で、しかし、いつまでも見ていたい、心地のいい光景だった。
誰も気が付かなかったが、いびきをかいているパリの顔にも、満面の笑みが浮かんだ。
散々笑った後、それぞれ眠りについた。まだみんな満身創痍だった。体もだが、精神的にも疲れていた。グレーイだけが目を開けて、空に浮かぶ、今にも降ってきそうなほどの、満天の星空を眺めていた。夜になるといつも、色々な考えに脳が支配されるのに、今日だけは何にも邪魔されず、夜空の美しさだけを純粋に楽しめた。
突然頬のあたりがムズムズした。少し起き上がると、何か小さなものが地面でバタバタしていた。それはグレーイの顔から落ちた黒い蟻だった。アグニズから出る明かりがなければ、こんなに小さなものを見ることは出来なかっただろう。
グレーイはしばらくその蟻を観察することにした。小さなアリは混乱した様子で細い裂け目にたどり着き、そこに消えていった。グレーイはもう一度星明りの元に横たわった。すると、グレーイの頭にある文字が浮かんできた。『ネフェリア』
ついに時が来た。
昔の師匠を迎えにいく時が。




