~幻覚~
~~暗殺教室 -張り詰めた空気
次の瞬間、グレーイは目を覚ました。最初に転んだ場所と同じ場所で。パリとアプルが横に座っている。取り乱した様子でガバッと起き上がり、左、右、後ろ、前、と、ありとあらゆる方向を凝視した。しかし、デュオルクの姿はどこにもなかった。
「グレーイ、座って!」とパリ。「幻覚を見せられてたのよ、あんた。ただの幻覚!ねえ、聞いてんの!?」
「幻覚だって!?」とグレーイはショックのあまり叫んだ。
全て現実だったかのように思えた。あれがただの幻覚だったなんて、到底信じられない。痛みも、恐怖も、全て現実だったように感じられたのに。しかし数秒後には震えが収まり、どくん、どくんとうるさいほどだった心臓の鼓動も、スピードを緩めた。そしてガクン、と膝をついた。
「何が起こったんだ…?」とグレーイが聞いた。
「だから、幻覚を見せられてたのよ、アタシたち。」パリが繰り返した。
「パリが私たちを救ってくれたのよ!」とアプルが付け加えた。「精霊のお陰で、パリは幻覚を見ずに済んだらしくて。」
「今、確信したわ。」パリが険しい表情で言った。「間違いなく、アタシたちは今、ニヴォーラが話してた場所にいるわね。石を見つけられるかは分からないけど、何か…ひょっとしたら誰かが、この先にいるはず。気を付けて進みましょ!」
そう言い終わるやいなや、全員が、とても強力なジンの気配を感じた。でも今回は、知らないジンではない…これは…アグニズのジンだ!!!
オレンジ色のまばゆい光が、洞窟中を包んだ。入口の方からだ…アグニズが、まるで気でもふれたかのように、こちらに全力疾走してくるのが見える。狂ったように叫んでいる。頭の炎が、いつもの倍の大きさに膨らみ、全員が、ものの数秒の間に、洞窟の温度が10度ほど一気に跳ね上がったのを感じていた。
「アグニズ、あなた一体何をしているの!?」とアプルが、光で目がくらみながら叫んだ。
「アプル、下がって!」とりんごの前に腕をやりながら、パリが警告した。「あのバカ、なんで洞窟に入ってきちゃったわけ!?入口で待ってるようあれだけ言ったのに!今はどうやら、完全に幻覚に憑りつかれてるわね…」
まるで鬼のような目つきで、石炭は仲間の数メートル手前で止まり、耳をつんざくような叫び声を上げた。その炎は腕と背中まで広がり、まるで荒れ狂う、長いたてがみのようだった。そしてその炎を手に集め始めた。
グレーイは何が起きているのか、理解しようとしていなかった。ただ、この時が来るのを待っていた。夢にまでに見た復讐の時間だ!突如としてグレーイはヴァハを使い、燃え盛るエルムに攻撃をしかける為に飛び出した。
突進しながら、強力なツの波をアグニズ向かって放った。しかし、前回と同じように、放たれたエネルギーは、アグニズに届く前に蒸発してしまった。濃い霧が立ち込める中、グレーイはナミアのクローンを何個も作り出して、それらがアグニズを取り囲んだ。しかし、アグニズは一撃でそれらを全部、水たまりに変えてしまった。
しかし、真のグレーイは反撃の準備をしていた。アグニズの一撃をかわし、ヴァハをたっぷり込めた一撃を、お返しに叩きこんだ。
その衝撃でアグニズは、立ったままザザザッと、数メートル後ろに下がった。頭は完全に、横に曲がってしまっている。グレーイは、ついに成功した!雨雲の拳が、初めてライバルに届いたのだ!
しかし喜ぶのはまだ早い。戦いはまだ終わっていないのだ…
石炭はゆっくりと顔をグレーイの方へ向け、アグニズのでも、ザグニのでもない視線で見た。もっと恐ろしい、別のナニカだ…
再度アグニズは火の球を作り出した。それは瞬く間に大きくなり、今まで見たこともないほど、密度の高いものとなった。この攻撃は今までのものとはレベルが違う。本当に全てを灰にしてしまうつもりのようだ…パリは即座に危険を感じ取った。
「グレーイ!」エルム姿のフクロウが大声で叫んだ。「その攻撃を止めなさい!!!」
さて、どうしたものか…近付けば間違いなくやられる…とグレーイは考え、ツの球をアグニズ向かって飛ばした、が、もちろんまた蒸気となって消えてしまった。アグニズの手に集まるアーティシュは、臨界点に達していた…このままでは誰も助からないかもしれない。
「アグニズ、やめてぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!!!!」力の限りアプルが叫んだ。
不思議なことに、一瞬アグニズがたじろいだように見えた。グレーイはその隙を突き、アグニズの背後に回り込み、彼の腕の下に自分の腕を通し、燃える頭の後ろで手を組んだ。こうして、アグニズの動きを封じることに成功した。
アグニズは必死にもがいたが、何もできなかった。まるで鎖で縛られた獣のように、無駄な抵抗を続けるだけだった。一方、グレーイもアグニズの炎に長く耐えられるわけではなかった…ナミアが一時的に火傷から守ってくれているものの、それだけでは不十分だった。
パリが加勢しようと、グレーイの元に全速力で来たが、当のグレーイは、突然遠くに投げ飛ばされてしまった。アグニズが手に集めていた火の一部を、グレーイを振り払うために背中に移動させたのだ。グレーイは遠くに転がっていった。
パリは数メートル手前で止まった。アグニズの注意は今や、パリに注がれている。エルムの形に変身したパリは、完全に無防備な状態だった。もし今攻撃されれば、いくらパリでも避けきれないだろう…
しかし、石炭が何かをする前に、その炎の威力がふっと弱まり、全身の感覚が急になくなった。アプルの仕業だ。
りんごのエルムはそっとこの戦いの場をすり抜け、アグニズの元まで到達し、片手をアグニズの肩に、もう片方を燃え盛る頭の上に置いていた。いつもは無害なこの頭も、今日は違う。素手で触ると火傷をしてしまうので、グレーイのように、手をナミアで守っていた。それでも手には激痛が走った。幸運なことに2,3秒後にはアプルの術が効き、自制が効かなくなっている炎のエルムは、崩れ落ちた。
アプルは頭に置いていた片手を、アグニズのもう片方の肩に置いた。そうすると炎が急速に冷えていった。
夢遊病者が真夜中に話すように、アグニズは、ほとんど聞き取れないほどの小さな声で何かを呟いていた。緋色のエルムの手を通して、石炭のエルムの体内には鎮静作用のある水が送られ、広がっていった。癒し、鎮めることは、ヒーラーとしての基本の技であった。
パリはアグニズに飛びかかり、片手でその顔を掴んだ。白の貴婦人は恐ろしい形相を浮かべ、その目は殺意に満ちていた…ほんの一瞬、手から目のくらむような光がピカッと閃き、そして、アグニズから手を離した。
不思議なことにアグニズはどうやら正気を取り戻したらしい。銅像のように固まっていたが、しばらくしてから口を開き、こう尋ねた。
「俺は、どこにいるんだ?」まるで、長い昏睡状態から目覚めた後かのように、こう尋ねた。
数メートル後ろに、こちらに戻ってくるグレーイの姿が見える。アグニズの炎の力が弱まったため、洞窟の暗闇に再度目を慣らす必要があった。ほとんど何も見えなかったが、アグニズがアプルに寄り添って座っているのを見て、内側から沸々と怒りが湧き上がってきた…
パリがアグニズと話している間に、灰色の雲が出し抜けにアグニズの後ろに現れた。「怒り」というのは、少々控え目な表現だったのかもしれない。グレーイはアグニズを強烈な蹴りで、まるで鞭でぶったかのように蹴り飛ばした。
パリとアプルは即座にグレーイを抑えつけた。グレーイは歯ぎしりをしながら、まるでパリとアプルのことも襲おうとしているかのように見えた。今度はグレーイが理性を失っているのだろうか?
「やめな!」とパリが叫んだ。「こいつはもう正気に戻ってる!」
「確かなのか!?」とグレーイも叫び返した。「一体何が起きているんだ?!この洞窟に入ってから、なんにも理解できないままだ!」
「言ったでしょ!?」パリが答えた。「誰かがアタシたちを罠にはめて、幻覚を見せた。精霊のお陰でアンタたちのことは救えたけど、このバカアグニズが洞窟に入ってきてた、ってだけ!」
グレーイとアプルの視線がぶつかったが、それはほんの一瞬だった。グレーイは…嫉妬していたのだろうか?グレーイ自身も、なぜ自分がこんなにも突然、憎悪の感情に支配されたのか訳が分からなかった。その間にアグニズは、まだフラフラしながら立ち上がった。
「ねえ、誰か説明してくれない?」と、グレーイに蹴られたことなどまったく意に介してない様子で聞いた。「変な気分だ…体を吐いて、それをもっかい飲み込んだみたいな…」
「パリが私たちを救ってくれたのよ。」アプルが答えた。「パリがいなかったら、私たちはみんな、この場所に住んでる誰かさんの幻覚の被害者になってたわ。」
「そういうこと。それであんたに全員殺されるところだったんだから!このオタンコナス!」とパリが続けた。
「えっ、そうなのか?」アグニズは困惑した。「なんだか妙な話だな…。それで、みんなは何を見たんだ?」
気まずい沈黙が流れた。誰も打ち明けたくないらしい。それも当然だ。みんな、誰にも話したくない何かを見たのだ。グレーイはデュオルクを、アプルは神の庭の破壊を再体験し、アグニズは…アグニズは何も覚えていなかった。
突然、アグニズは断片的に記憶を思い出した。燃える仮面…顔が刻まれている仮面…アグニズはその仮面が誰のものかを知っていた。結局、彼も話す気を失った。
「もういい、やめよう!」彼は叫んだ。
「先を急ごう」とグレーイは言った。「俺たちががどれだけ意識を失っていたか分からない。もしかしたら、もう朝が近いかも。」
アプルは、グレーイとアグニズの間に立っていた。何とも言えない気詰まりな空気が流れていた。いつもこの2エルムといると居心地が悪いのだが、今回はそれが一層ひどかった。意図せず、対立に協力してしまった気がしてならなかった。
そんな様子を察し、パリはアプルの手を優しく引いて自分の隣に移動させた。最初、アプルはふくれっ面をしていたが、すぐに柔らかな笑みを浮かべた。パリに軽く体をぶつけ、「ありがとう」とささやいた。
パリも笑顔を返した。アプルは、パリが自然と笑顔を見せられる唯一の存在だった。その子供っぽい仕草と無垢な顔立ちが、誇り高い白の貴婦人であるパリの心を和らげたのだった。
一行は、最悪の時は過ぎ去ったと信じ、前進する。
しかし洞窟の奥深くには、彼らを待ち受ける恐ろしい存在が潜んでいたのだった…




