~振出~
~~ 千と千尋の神隠し-ある夏の日
一行は数日間、夫婦の元にお世話になった。パリでさえ、第二形態で居続けることに疲れを覚えていたにも関わらず、同じ屋根の下に泊った。アプルと同じ部屋で寝泊まりし、肉食の家主の出す絶品料理たちに舌つづみを打った。実は、奥さんと同じで、スラゼも中々腕の立つ料理エルムだったのだ!
12日後。アプルは随分と回復した。泣く回数もグッと減った。それでも、心ここにあらずの時や、うめき声が聞こえてくる夜も、まだあった。パリは、アプルの中で沸き起こる感情をどうすることも出来ず、時々慰めてあげることしかできなかった。それは、自分が静かに夜を越すためでもあった。
アプルが自分で動き回れるようになると、みんな大喜びだった。誰もいない時には、外で日光浴をすることさえあったし、ニヴォーラに他の患者がいるときは、グループ全員でアプルの部屋に避難した。幸運なことに、パリの精霊が彼らのジンを隠してくれた。
毎晩、アプルはパリを説得しようとした。執拗にお願いし続け、ついには、あの白の貴婦人が、なんと根負けした!一緒に行くことを了承したのだ!あとの2エルムの意見は聞くまでもない。アグニズは嫌な顔一つせず、食い気味で承諾したし、グレーイの方はというと、実は最初からアプルを旅に誘うつもりでいたのだ。
そして…ついに出発の日がやってきた。いつもと変わらぬ朝に見えるが、別れの朝だ。
みんな、この村の住民に見つからないように家の陰に隠れた。早朝だったが、もうすでに村は目覚めていた。幸いなことに今日は肉の市場の日だそうで、ほとんどの住民はそっちいるらしく、道はがら空きだった。スラゼはみんなを入口まで案内すべく、少し先で待っていた。
みんなとお別れする前に、ニヴォーラは口を開いた。
「あまり長いこと一緒にいられなかったけど…」と悲しそうな表情でヒーラーが話し始めた。「アンタたち、本当にもう行ってしまうのかい?まだもう少しここにいてもいいんだよ。そんなに急がなくても…」
「心配しないで。」とパリ。「もう十分すぎるほどお世話になったわ。アタシたち、もう行かなくちゃ…まあ、もしアタシに選択権があるなら、食べ物目当てに残ったかもしれないけどね!」
「あはは、ありがとう、べっぴんさん。それじゃあ…えっと…あっと言う間だったなあ…アンタたちがいる生活にすっかり慣れたものだから、いなくなってしまうのが寂しいねえ。それと、アプル、アンタ本当にもういいのかい?」
自分の半分ほどの背丈しかないアプルの目線までかがみ、にっこりと微笑みながら尋ねた。アプルは泣き出していた。アプルにとっても、ここを去るのは、特にニヴォーラと分かれることは辛かった。心の支えになってくれていたのだ。そう、大きくて、細身で、鋭い歯を持つこのエルムのことを、もう誰も怖がっていない。それどころか、みんなに優しい風を送り込んでくれていた。
「アンタが決断したことは知ってる。」耳元で、髪を優しく撫でながらニヴォーラが囁いた。「強くなりな。そしてベール大陸に栄光をもたらすんだぞ、私の可愛いアプル!」
「うん…!」拳を握りしめ、堂々とした姿勢で、ただ、顔は涙でぐしゃぐしゃのまま、アプルが短く答えた。
次にニヴォーラはパリの方へ向かった。両手をパリの両肩に置き、こう告げた。「アンタは、私が今まで見た中で一番美しい生き物だよ。知ってた?」
「ありがとう。でも、フクロウの姿のアタシが一番美しいと思うけどね!」
「アプルを頼んだわよ。」ニヴォーラがくすっと笑いながら言った。
白の貴婦人は「分かった」と言う代わりに頷いてみせた。ヒーラーは満面の笑顔を浮かべ、次にグレーイとアグニズの方を向いた。
「アンタたちには、こんなに素晴らしい美女が1羽と1エルムいる。それがどれだけ幸運なことか…お行儀良く、そして優しくしてあげるんだぞ?」
「それ、パリにも言ってやってよ!」アグニズが答えた。
「黙れ。」とパリが低い声で一蹴した。
グレーイとアグニズは眉を吊り上げ、ニヴォーラを見た。『ほらね!』という意味だ。グレーイもアグニズも、表には出していないが、実はディオネの2エルムと離れることが辛かった。
「本当に色々ありがとう!」グレーイが照れ笑いを浮かべながら言った。「俺たちは、あなたたちがしてくれたことは全て、永遠に忘れません!本当にありがとう!」
「ところで、ハルの石のもうちょい正確な位置って、教えてもらえないのかな?」アグニズが不躾に尋ねた。「でもいいや、色々教えてくれてありがとう!神の助けがあれば、なんとかなるよな!」
「すまない。」ニヴォーラが目を閉じて答えた。「自分自身との約束を破る訳にはいかない。それにもう地図は持っていないんだ。本当にすまない。許してくれ。」
「いいんだ!」とグレーイ。「燃え頭の言うことは気にしないで!」
ニヴォーラは、断固とした姿勢を貫くと決意していた。数日間、この旅行者たちと過ごして、彼らのことを知り、信頼し、崇高な意図があることは分かっていた。しかし、ハルの石がどこにあるかだけは言いたくなかった…。新たな不幸がまた自分のせいで起こったら…そしたら自分自身を責め続けるしかなくなってしまう。
そのことで悩んでいた時、スラゼが少しは心を開くように、と背中を押してくれた。旅行者の抱える問題の深刻さを感じ、スラゼは配偶者に、せめて彼らを正しい道へ誘導するように、と促したのだ。
だからニヴォーラはカリニとの思い出を話すことにした。あの深い、沼地に囲われた暗い洞窟へ入った最愛の妹の話を。そこは静寂に包まれ、血の気が引き、生気が失われ、時が止まったような、死んだような場所、だったと。
しかし、こういった情報を一つ一つ並べてみてもまだ全貌はぼやけたままだ。こういった場所はベール大陸にごまんとある。グレーイはニヴォーラに、もっと情報が欲しいと頼み込んだ。ここに来るまでの冒険や、アンシャンバーダルの話をし、何度も時間がないことを強調した。
そこで、ニヴォーラは最後のヒントをくれた。そこは海辺ではく、ベール大陸の中央部のどこからしい。これで、カザンから大きく一歩リードしたはずだ!
出発しようとした時、ニヴォーラがグレーイをこっそり呼び止めた。他の仲間が、少し先で待っているスラゼの方に歩いて行く一方、グレーイは大きなエルムの方に向き直った。
「グレーイ、アンタが他の雲とは違うことは分かっている。」ヒーラーが告白した。「旅の途中、私と妹は雲の一行に出会ったことがある。その時、アンタの同胞についての…雨雲についての話をたくさん聞いた。」
「あっ…そ、それで、彼らはなんて言ってた?」グレーイが、この後にどんな言葉が出てくるのか怖がりながら尋ねた。
「あまり良くないことだったな。でも、彼らは間違っていた。だって、アンタは、私が想像しているような雲じゃなかった。でも、話したかったのはもっと大事なことについてだ…」
「もしアプルについてだったら、心配しないで。ちゃんと出来る限りの…」
「違う違う、それは分かってる。」ニヴォーラが微笑みながら言った。「それではなくて、もっと、アンタの個人的な問題についての話だ。生きてる意味を探して、神に反乱を起こしに行くんだろ?」
「なんでそれを!?」
「言葉の端々から伝わってきたよ、グレーイ、私のアドバイスを聞いておくれ。何が起こっても、怒りの感情に気を付けて。我慢することを覚えな。例え空が頭に落ちてきたって、だぞ。これは雲にとっては最高のジョークじゃないかい?」
「ちゃんと理解できたか分か…」
「ま、アンタの言う通り、私のアプルを大切にしてやんだよ!じゃないと許さないからね!」
それからニヴォーラはグレーイのことを、スラゼと待ってる仲間の方に押しやった。最後に笑みを交わし、グレーイは、心の底からお礼を言って、手を千切れんばかりブンブン振りながら、仲間の方へ駆けていった。ディオネ族のヒーラーの瞳から涙がこぼれたのは、みんなが出発した後のことだった…
グレーイは、2エルムの今後のことを心配しずにはいられなかった。グレーイを助けてくれたエルムたちはみな、必ず苦しむことになる…この呪いのようなものに行く先々で襲われてきた。どうか、このエルムたちまでそうなりませんように、と雨雲は祈った。…誰に?神以外の、なにかに。
「お前たちが使命を果たせることを願っている。簡単なことではないからな!」と出口に向かって歩きながら、スラゼが叫んだ。
誰も返事をしなかった。というのも、みんなスラゼが口を開いたことに驚いたからだ。奥さんと違ってスラゼはいつも冷ややかな態度だった。誰も反応しないので、緑の巨人はコホン、と咳払いをして続けた。
「言っておかなきゃいけないことがある…我々の一族は、よそ者に対してあまり良い印象を持っていない。馬鹿馬鹿しい小さなイタズラから、血を見る攻撃まで色々な事件があった。時には、犯エルムは子供だったこともある…こないだは、我々が家に招いた小さなエルムが、村に火をつけようとした。」
「マジかよ!?」とアグニズ。
「そういうわけで、もし、重傷者がいなければ、お前らを追い返していただろう。」
「ベール大陸の民は寛大で、好意的であることで知られているのだけど。」とパリが指摘した。
「それは本当だ。敬意をとても重んじている。しかし、悪の感情というのはどこにでもあるものだ。肉食というだけで、我々のことを野蛮だと考えてる連中もおる。それに見た目も…違う。だからだ。」
グレーイは建築者の言葉に胸を打たれた。その姿が自分と重なる。ベール大陸でも差別は存在している。グレーイが特別なケースではないようだ。
他のメンバーは、なぜスラゼがこんな話を今し始めたのか、と訝っていた。しかし、誰もその理由を尋ねようとはしない。パリでさえ…
とうとう、出会った場所に到着した。あの城壁の真ん中にある、小さな切れ目のところだ。パリはフクロウの姿に戻り、背中にアプルをおぶった。さあ、未知の世界へ出発だ!
「もっと歓迎してやりたかったのだが…」とスラゼが告白した。
なんと、彼が謝っている。その言葉はただの謝罪ではなかった。いい加減に吐き出されたものではなく、誠実さと後悔が確かに込められている。彼らは肉食で、独特の見た目をしている。だが、それが彼らの価値を決めるわけではない。それが、事実だ。この世界は、悪に蝕まれている。だが、それだけではない。無数の温かい魂も、確かに住んでいるのだ。
グレーイにとって、この惑星の素晴らしい景色と、その温かい魂こそが、自分のエルム生に美しさをもたらしてくれるものだった。
スラゼはそれ以上何も言わなかった。ただ、微笑んでいた。彼を知っている者からすると、それだけでも十分、大事件だった!みんなは感謝と敬意の印として、頭を下げた。しかし、本当に去ってしまう前に、燃える石炭が、最後にもう一つ付け加えた。
「お前ら、早く逃げた方がいいぞ!」と深刻な顔で告げた。アルドン帝国のヤツらは来月を待たずやってくるかもしれない…忠告したからな!」
「心配するな、既に手は打ってある。」とスラゼが答えた。「親切にありがとう、アグニズ。」
なんと名前で呼んだ。スラゼが誰かのことを名前で呼ぶのは初めてのことだ。
「親切だと?」火のエルムが鼻で笑った。「いや、違ぇな。ただ俺はカザンの邪魔をしてやりてぇだけよ。勘違いすんな、緑の巨人よ。」
「何だと?」スラゼがまごついて呟いた。
「あ、それと言い忘れるとこだった…俺はアグニズじゃねぇ。」石炭のエルムはパリにウインクしながら続けた。「俺はザグニだ!」
突然のため口と、最後の言葉でスラゼは動揺していた。建築者はそれでも何も言わなかった。そして旅立つ彼らを見送った。配偶者の元へ戻る前に、飛んでいく旅行者をじっと見た。次の目的地…ハルの石へと。
悲しみを抱え、主人公たちはニヴォーラとスラゼの元を去る。
不思議なハルの石を見つけることは本当に出来るのだろうか?




