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~姉妹~

~~ 蟲師 - 枕小路

 家の中に入ると、ニヴォーラはアプルをベッドに横たえていた。大きすぎてドアを通れないパリは、入り口に残ることを選んだ。他の客たちは、スラゼと一緒に広間で待った。そう、この夫婦は彼らを自宅へと招き入れたのだ。客が肉を食べられないことを知っていたニヴォーラは、彼らの前の座卓に乾燥フルーツの入った鉢を置いてくれていた。


 ニヴォーラがアプルの様子を見ている間に、グレーイが神の園で起きたことを語り始めた。スラゼは口を挟まず黙ってその話に耳を傾けていた。しかし、険しい表情を浮かべていた。


「で、要するにそんな経緯なんだ。」とグレーイが締めくくった。「アプルだけが生き残れたんだよ。」


 グレーイたちの話を聞いて、スラゼはようやく状況がよくわかった。心の中に残る疑問は尽きないが、より素直に話し始めた。


「カザンのやることには限度ってもんがねえな。」スラゼは頭を横に振りながら、深く息を吐いた。


「そうらしい。」とグレーイが答えた。「あいつは単なる気違いさ!」


「いや、それは狂気ではない。」と建築者は言った。「政治なんだ。俺に言わせれば、カザンの使者が神の園の評議会に追放されたときは、喜び勇んだに違いない。」


「なぜだ?」灰色の雲は混乱した面持ちで尋ねた。


「それがカザンにとって、自分の力を見せつける好機になったということだ。覚えておけ。これがベール大陸の住民との最初の接触なんだ。大陸中がカザンの威力を目の当たりにするだろう。そうすれば、戦わずとも大半の地域が屈服するはずだ。ヤツにとっては犠牲でもなんでもない。火のエルム、お前はどう思う?」


「カザンを止めるしかない。」アグニスは拳を握りしめながら言った。「ヤツの野望に終止符を早く打てば、早く平和が戻ってくる!」


 そのとき、ニヴォーラが部屋に入ってきた。全員が黙り込んだ。グレーイはその姿を見るなり、突然立ち上がった。


「彼女は危険な状況を脱した。」巨大なヒーラーは無表情のまま告げた。


「本当にありがとう!」雲は大喜びで叫んだ。


「アンタたちの中に、ヒーラーはいるのか?」


「ええと...いや、いないんだ。」


「それは奇妙だ。」とニヴォーラはつぶやいた。「応急処置を施されているようなのだが…まあいい。それはさておき、怪我の方は深刻だぞ。.顔や体に大きな後遺症が残るだろう。時間が経てばマシにはなるだろうが、完全に消えることはないと思ってくれ。」


 アグニスとグレーイの視線は虚ろだった。双方ともそれくらい予想はしていた。魔法のように、あの酷い火傷が完全に治ることはないだろう...。しかし、命が助かっただけでもありがたすぎる知らせだった。


「こんな状態で安定しているのは奇跡に近い。」とヒーラーは続けた。「明日には目を覚ますだろうが、しばらくはここで休息を取るべきだ。早く回復して欲しいなら、私の治療をしっかり受けてもらわないと。幸いにも、森には優れた肥料があるからな。」


「肥料?」アグニスは純真無垢な表情で尋ねた。


「知らない方が身のためだ。」スラゼが半笑いで言った。


 ニヴォーラは夫の隣に座り、グレーイも再び腰を下ろした。ヒーラーの鋭い視線がグレーイとアグニズに注がれていた。長い間、じっと見つめられ、段々気詰まりになってきた…耐えがたい…


「アンタたちが来たのは、友のためだけではないのは分かっている。」とニヴォーラは単調な口調で言った。


 いずれこの話題が出ることは避けられなかった。アグニスとグレーイは目配せをした。双方とも何と答えればいいのか分からなかった。頼りにしていたパリもここにはいない。


「遅かれ早かれ、この出来事に向き合わなければならないと思っていた。」とニヴォーラは続けた。


 グレーイは背中に冷たいものが落ちるのを感じた。スラゼは無感情な顔でこの2エルムを見つめた。出会ったときと同じ表情だった。和やかな雰囲気は消え失せ、重苦しさが増していく。そして、巨大な緑の男が恐れていた質問を口にしたとき、状況はさらに悪化した。


「ハルの石のことだな?」


 外では、パリが自分の姿をまた透明にしていた。いつものように目を閉じて休んでいたが、スラゼの質問を聞いて、目を開けた。哀れな仲間たちに任せてしまったことを後悔し、パリは直ちに警戒態勢に入った。何が起きるかわからない。最悪の事態に備えねば!


 グレーイとアグニスは絶望的な様子だった。この後に何が起こるか怯えていた。結局のところ、このエルムたちについて何も知らないのだ。パリは直感から、素直に全てを話した方がいいと提案していた。グレーイが口を開きかけた時、アグニスが叫んだ。


「そうなんだよ! あなたたちに会いに来たのは、まさにその件でなんだ!」


「誰からそのことを聞いたのかは知らないが、私からは何も得られないことは知っておろう?」とニヴォーラは不気味な笑みを浮かべて答えた。


 笑うと、夫よりもはるかに鋭く切れ味のある歯が見えた。この歯こそ、ディオネ一族の特徴の一つだった。


 アグニスは顔をしかめた。グレーイには、アグニズが歯ぎしりをしているのがわかった。まずい。この精神不安定なエルムに任せておいては、状況が悪化するだけだ。下手をすれば、悪化どころか取り返しのつかないことになる。主人公は、悪事を働いて捕らえられた子供のように震えていた。勇気を示すと自分に誓ったばかりじゃないか!


「勘違いしないでください!」グレーイは自信がある風を装い、叫んだ。「俺たちの為じゃないんです!石を探しているのは...」


「なんでもいい!」とニヴォーラが吐き捨てるように遮った。「そもそも、私はほとんど覚えていないし、覚えていたとしても、何も言わない!アンタたちのためだ...」


「どういう意味?」アグニスは左の眉を上げて尋ねた。


 ニヴォーラはふいに立ち上がり、窓の外を見た。太陽は沈もうとしていた。かつてなら、この時間は、グレーイがアンシャンドラクトとの特訓を終える頃だった。今は、雨雲はここにいて、見知らぬ者と謎に囲まれている。ネフェリアを懐かしんだ時と同じように、神の園を懐かしく思い出した。そう、グレーイは過去に深く囚われているのだ。




「せっかくここまで来たのだから、私の物語を聞かせてやろう。」とついに巨大なニヴォーラが口を開いた。「いや…私たちの物語、だ。私と妹、カリニの物語。」


 ディオネの村が徐々に夜の帳に包まれていくにつれ、ニヴォーラは遠く苦しい過去に思いを馳せていった。


「妹は赤ん坊として、私は子供として生まれた。初めから、私たちは両親を困らせるのが大好きで、とてもやんちゃだった。成長するにつれ、外の世界に出たくなった。私たちは若く、情熱的で、冒険を欲していた。私たちを止められるエルムなどいなかった。」


 ニヴォーラは地平線を見つめながら微笑んでいた。美しい思い出が蘇ってきたが、それと共に暗い記憶も現れ、ヒーラーはグレーイとアグニスの前に戻って座った。


「私たちはある日、その石と、その石の持つ不思議な力について耳にした。」と彼女は続けた。「それだけで私たちの好奇心をかき立てるのに十分だった。石を探すために、ベール大陸のほとんどを回った。何度かシウ大陸を訪ねたことも。そのお陰で素晴らしい高地と、風景を見られた。」


 グレーイはその精神や飽くなき探求心に身に覚えがあった。グレーイの目は輝いていた。一方、ニヴォーラの表情は変わらなかった。しかし、妹の名を口にして以来、彼女の声には悲しみの響きが混ざっていた。


「何年も何年も経ったが、私たちは何も見つけられなかった。」とニヴォーラは続けた。「諦めて村に戻ろうとしたとき、老エルムに出会った。名前は覚えていないが、みんな『ナラ長老』と呼んでいたな。」


「ナラ長老!?」グレーイは仰天して尋ねた。


「そうだ。」とニヴォーラは答えた。「本当の名前は覚えていない。実際、彼は名前をいつも変えていた。本当に奇妙なエルムだった。時々、私たちの気を引くためだけに手助けしているように見えた。」


 間違いない。アンシャンドラクトのことだ。


「一方で、ナラ長老は印象的なエルムだった。いつも興味深い手がかりを持っていた。彼が言うところはどこでも調べに行った。そしてある日、ついに答えに辿り着いた。奇妙で、石があるはずのない場所、狭くて不気味な場所だった。」


 無表情だったニヴォーラの顔に、悲しみの色が浮かんだように見えた。しかし実はそれは悲しみではなく、恐怖だった。


「私は中に入るのを拒んだ。怖かったのだ。壁に一種の絵のようなものが描かれていた。今でも覚えているが… 身の毛がよだつ顔の絵だった。それに加え、奥の方から恐ろしいナニカの気配がしていた。ここにハルの石はあると確信するのに十分な証拠が出揃っていた。石はもう目の前にあるのに、心の奥の方から、行ってはいけないと言う声がした。」


 ニヴォーラは少し間を置いた。話すのが難しそうだった。不吉な物語の終わりに近づいていた。


「カリニは中を見に行くと言ってきかなかった。」と、ニヴォーラは震える声で言った。「何時間も待っていたが、あんまりにも戻ってこないので様子を見に私が中に入るのを決心した時、ちょうど妹が戻ってきた。まるで獰猛な獣に取り憑かれたようで、私を殺そうとした。必死に抑えようとしたのを覚えているが、正確に何が起きたのかはわからない。あまりにも一瞬の出来事だったんだ…。」


 ニヴォーラの目が潤んだ。スラゼは慰めようと妻の肩を抱いた。冷たく冷酷な大男だと思っていたが、思いやりもあるようだ。


「自分の身を守り、殺されないようにとした挙句…私は妹の命を奪ってしまった。」とヒーラーは視線を下げて言った。「今でも、命のない可哀想な妹が私の腕の中にいる姿が目に浮かぶ。見開いて充血した目、歪んだ表情、膨れ上がった血管...」


「ニヴォーラ、もういい」とスラゼが遮った。


 彼女は口を閉じた。長い時間が経った今でも、その痛みはほとんど和らいでいなかった。グレーイはまた一つ、悲劇の物語をコレクションに加えることができた。緊張しながら、彼は指をかじっていた。一方、アグニスは完全に冷静だった。グレーイより鈍感なのだろうか?いや、大切なエルムを失うことがどんなことか、アグニズもよく知っていた。


 物語の結末を聞いて、パリは外でつぶやいた。


「家族に関する悲しい思い出がないのは、どうやらアタシだけみたい…」


 ニヴォーラがするべきことは、この物語を終わらせることだけだった。深く息を吸ってから、結末を話し始めた。


「あの場所には邪悪な霊が宿っていた。そうに違いない。その場に何者も入ってきて欲しくない霊が。おそらくハルの石を守るナニカだったのだろう。先に進めなくなり、私は村に戻ることにした。この出来事を忘れようとあらゆることをしたが、想像通り、今でも心が張り裂けそうな思い出に囚われたままだ。妹を死なせた事実が私を呵責し、決して逃れられない…だから、頼む。その呪われた石のことは、諦めた方がいい!」


 グレーイがまだ指を噛んでいる間、アグニスは誇り高い姿勢で腕を組み、眉をひそめていた。このままでは終われない。ハルの石の在り処を聞かずに、ここを立ち去るつもりはなかった。


「心配してくれてありがとう。」とアグニズは言った。「だが残念ながら、問題はあなたが考えているよりずっと深刻なんだ。俺たちは自分のために石が欲しいわけじゃない。とある野望を阻止するためなんだ。…カザンが何年も、その石を探し求めている。もしアイツが先に見つけたら...」


 アグニスは一瞬言葉を切った。彼が話すのを聞いても、誰もこのエルムが、カザンの息子だとは夢にも思わないだろう。その目にも髪の動きにも、怒りの色が表れていた。何が何でも、この夫婦から答えを聞き出すつもりなのだろうが、どういう方法を取ろうとしているかまでは、仲間たちにも明かしていなかった。


 必要とあらば、力ずくでも。


「カザンは、あなた方が神の園と呼ぶ地域を粉々にした。」と燃えるエルムは続けた。「唯一の生存者が隣の部屋にいる。だから、邪悪な霊だろうが知ったことか!石がそこにあるなら、俺たちは行く!」


 グレーイはアグニスを心から好きではなかったが、この点については同意見だった。神の園であんなことがあった後、アグニズの言葉に反論する余地はない。もう二度と、あんな光景を見るのはごめんだ。


「アグニスの言う通りだ。」とグレーイは後押しした。「あなたに起きたことを本当に残念に思う。起きなければ良かったのに、と心から思う。でも、あなたにはその経験を無駄にしない力がある!」


「貴様ら、なにを!」とスラゼの声が雷のように轟いた。「もしこのまま話し続けるなら…」


「いいんだ。」とニヴォーラが制した。「話させてあげよう。」


「あなたは旅で最愛のエルムを失ったかもしれない。でもその旅が何百万もの命を救うことになるかもしれない。」とアグニスはグレーイの言葉を継いだ。「もしハルの石があの大悪党の手に渡ったら、友や兄弟姉妹、家族を失うだけじゃ済まない。全てを失うことになるんだ!」


 ニヴォーラは瞬きもせず二つのエルムを見つめた。まるで彫像のように。客の心の内を見透かそうとしているみたいだ。長い顔と大きなアーモンド型の目が、スラゼよりも一層恐ろしく見せていた。無意識のうちに、アグニスは頭を少し後ろに引いた。この大きな...食虫植物に催眠術をかけられるのが怖かったのだ。


「ちょっと疲れた。」と彼女は突然立ち上がって言った。「日も暮れた。私たちも休むべきだ。スラゼ、彼らを部屋まで案内してくれるか?」


「分かった。」夫も立ち上がりながら答えた。


 スラゼも落ち着いたようだった。グレーイ一行が家に足を踏み入れることを厳しく禁じていた男が、今やそのエルムたちを部屋まで案内しようとしている。皮肉なものだ。


「ご迷惑でしょうか?」とグレーイが尋ねた。


 2エルムともグレーイの問いには答えなかった。だがニヴォーラは席を立ち、グレーイの方に来た。さらに近づき、アグニスに負わされた腕の火傷を観察した。ヒーラーは優しくその上に手を置いて調べた。グレーイは飛び上がり、小さく「痛っ」と声を漏らした。


 そして「あのメンフクロウにも食べ物を持って行ってくれるか?」とスラゼに言った。「やっぱりまだやることがあった。」


 夜の闇の中、ポツンと一羽ぼっちだったパリの耳に、それはまるで愛のポエムのように響き、パリは嬉しさで羽をバタバタと動かした。


ようやく休める時がきた !

みんなに、ではないみたいだが…

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― 新着の感想 ―
ハルの石については日本では「春」を思わせる言葉で明るい雰囲気を感じさせる言葉ですが、ここではどうも禍々しいものを感じさせますね。今回もとても面白かったです。
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