ダンシングばあちゃん
平凡な毎日が美しい
「今日は休みかい?」
「しーごーとっ!」
本日、これでもう3度目。祖母は少しボケている。何度同じことを言おうが中々、彼女の頭の中には記憶されないらしい。それに加えて、近頃は耳もかなり遠くなってきた。目の前で、家じゅうに響き渡る声で話しても、聞こえているかどうかは定かではない。
さらにたちが悪いのが、こちらの声が聞こえてないにも関わらず、あたかも聞こえていますよ、という体で、返事をしてくること。単純なyes no疑問文であれば、会話は成り立たなくもないのだが、適当に文章で返してくる時がある。僕が「お昼は食べたか?」と尋ねると、「少し寒いね」と、こんな具合に全くかみ合わない。
さらにさらには、視力も悪いときた。テレビなんかは30センチくらいの距離で見ている。それは、あまりにも近すぎて見えとらんだろうと、思うくらいに近い。まるで、水族館の大水槽を眺めているかのように、首を上下左右に動かして、一生懸命にテレビを見ている。
こんなありさまだから、1人で外に出かけもしない。本当に一歩たりとも外に出ないのだ。かろうじて、ベランダに出る程度。さすがに彼女の体のことが心配になる。
4年前に最愛の夫を亡くして以来、ずっとだ。さすがの僕も、いくら彼女の覚えの悪さや、耳の遠さにいら立っているとは言え、御年九十を迎える彼女のことが心配である。が、しかし。妙に彼女は元気なのだ。いや、もちろん、物忘れは激しいし、声を張り上げても聞こえない時もあるし、目も悪く、全く外出もしないのだが、それにしては元気なのだ。
そう考えるのも、先日、友人の祖母が風呂で溺れて亡くなったという悲しい出来事が起きた。享年77歳。不慮の事故だった。友人からの話では、友人の祖母は足を悪くし、外に出かけられなくなったころから、かなり認知症の症状が進行したらしい。家族の名前も忘れ、自宅でもボーっとすることが増え、家の中を歩くことでさえも、やっとの状態だったようだ。
しかも、それは全てここ1年くらいのことだった。
と、この話を踏まえ、改めて考え直してみてたが、やはり僕の祖母は少し奇妙だ。
4年前から、ほぼ家に引きこもり。家ですることと言えば、テレビを大水槽みたいに眺めるだけ。それなのに、家の中では、割とすたすた歩くのだ。トイレにも彼女1人で行くし、僕が出かけようとすると、必ず玄関まで見送りに来るし、それは僕以外の家族に対しても、毎回見送りに行く。九十歳の足取りではあるが、全く問題はないように見える。
これはそうだ。絶対にそうだ。
祖母は絶対に、僕たち家族が居ぬ間に、ダンシングしているに違いない。
重低音のクラブミュージックをかけ、ビールでも片手に、九十歳とは思えぬ動きで、ダンシングしているに違いない。でないと、4年間、引きこもり生活をしているというのに、大してボケもせず、すたすたと家の中を歩き回れるはずがない。なんなら、掃除に洗濯までやってのける。
絶対にダンシングしている。
と、そんなことを考えながら、すたすたと玄関ま歩いてきた祖母に見送られ、僕は今日も仕事に行く。