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一話

 きっかけは自販機でコーヒーを買う彼を見かけたことだった。中学生なのにコーヒーを飲むんだ。大人なんだな。なんて思いながら学ランの襟に囲まれた彼の喉仏を見ていた。自販機から街灯一つ分離れたところから彼を見ていた。

 塾の帰り道、十月の涼しい夜だった。

 

 次に彼と会ったのはそれから一か月後だった。叔母さんが経営しているカフェで手伝いをしていた時。日曜日のだらんとした空気が漂う昼下がりに彼はやってきた。彼は相変わらずコーヒーを飲んでいた。スマートフォンから延びるイヤホンを耳にかけて憂鬱そうに暇をつぶす彼になぜか目が行った。

 他のお客さんの注文を受け取りに行く途中彼のスマホの画面が一瞬見えた。『ショパン エチュードOp.10』と書かれていた。よく見ると彼は指を小さく動かしていたから、彼がピアノを習っているであろうことが分かった。

 どこに通っているんだろう。わざわざこんなところでもお手本を聞くだなんて熱心なんだな。その時わたしは彼に興味を持った。

 

 彼と会話する機会は案外すぐにやってきた。クリスマスの日。赤白緑でかざられて賑やかな街の中、わたしは華やかさのかけらもない市立図書館で勉強していた。

 暗号とも思える数字の群れと格闘していると、不意に後ろから話しかけられた。振り返ると彼がいた。

 消しゴムがどこかに飛んで行ってしまった、見なかったか、という彼の問いに首を振る。

「そっか、邪魔してごめん」

去ろうとする彼を引き留めた。

「一緒に探そうか?」

申し出ると彼は少し驚いて、その後遠慮がちに

「お願い」

と言った。

 懸命な捜索も空しく消しゴムは結局のところ見つからなかった。落ち込んだ様子の彼があんまりにも可哀そうだったので消しゴムを貸した。

 お互いの勉強がひと段落したあとわたしと彼は雑談した。そのとき彼のことを詳しく知った。

 実は同じ中学校に通っていること。駅前の有名なピアノ教室の生徒だということ。カフェでコーヒーを飲むのは、レッスンまで時間を潰すためだということ。

「すごいね、わたしもピアノやってるから知ってる。あそこ何人もコンクール金賞出してるんでしょ」

「そうでもない。俺はまだとってないし」

 まだ、ということはこの先取る予定なんだ、自信ありまくりじゃん。

 わたしの通っている教室は親切なおばあさんがほぼボランティアでやっているような小規模なところだ。

 ピアノのコンクールというものは規模にもよるけど、真面目に続けて相当な実力をつけた人ばかりが集まる。私のような凡人はコンクールになんてそもそも縁がない。わたしとは住む世界がちがう。同じ中学校に通っているはずなのに遠い人だった。

 言葉では表せない遠さを感じた。

 図書館の出口で別れるとき、ふと彼が立ち止まった。

「そういえば名前言ってなかったな。俺は天海天輪」

「わたしは宮古沙夜」

宮古な。分かった、よろしく。そう言って彼はわたしと別の方向へ歩いて行った。

 天海天輪、アマミテンリン。変わった名前だ。でも彼らしい。私は彼の名前を知った。


 彼、天海くんとはそれからも度々会った。カフェで、図書館で、街中でばったり会うこともあった。だけど学校では、わたしが二年一組で天海くんが二年五組で、教室が離れているしわざわざ話に行くほどの仲でもないので喋ることはなかった。

 

 名乗り合って三か月ぐらいが経ってやっとLINEを交換した。

 わたしは数少ないチャットルームの一番上にある天海天輪の文字を見てにやついた。鳥っぽいキャラクターが元気に『よろしく!』と言っている。変なスタンプ。天海くんって面白いところもあるな。

 わたしよりすごい世界で生きている人の案外庶民的な面を見れて、なぜか胸の底から嬉しくなった。


 しばらくして新学期が始まった。葉っぱが生えた桜の木の下のクラス分け表を見に行った。またあの先生かよ、やった、また同じクラスだね、なんて騒ぐ生徒たちをかき分けて進んだ。

 宮古の文字を探す。三年三組、二十九番、宮古沙夜。

 あった、これだ。担任の先生は誰だろう。担任の名前を見るために視線を上に向ける。その前に、見つけた。三年三組、一番、天海天輪。

 驚いて、それから誰かに肩を叩かれたので振り返った。

「同じクラスだって。よろしく」

 後ろにいたのは天海くんだった。

「うん。よろしく」

 とっさに出たのはそのぐらいだった。知っている人がいてよかった。話しかけてくれてうれしいな。だけどそれだけじゃ説明できないよろこびが胸の底を温めていた。

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