表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
91/94

褪色の記憶 上


遠くに出かけていた父と祖父が帰ってきた。

そう知らせを聞いたエイガストは、姉のアイゼルトと競走しながら急な山を駆け上がる。


「おやじ!」

「おかえり!」


エイガストとアイゼルトの声に、出迎えに来ていた村人たちと話していた男性が振り返る。全速力で走る二人はそのままの勢いで父に飛びついた。

父と呼ばれた男性の名はルーヴァン。彼は少しよろめきながらも、二人分の抱擁を受け止める。


「二人とも元気そうだな。村は変わりないか?」

「バッチリ守ってるぜ!」

「爺ちゃんもおかえり」

「ええ。ただいま戻りました」


魔法が使えて剣の腕も立つ父は、魔人の祖父ギヴと共に出稼ぎに出ている。家族全員が揃うのは二、三週間に一度。酷い時は一節(ひとつき)も帰って来ない。そして沢山の土産を抱えて、ようやく帰ってくる。

父の持ち帰る品々は村でも貴重な物で、外に出る機会のない住民にとっては大事な物資だった。アイゼルトとエイガストも父と祖父の土産話を聞くのは楽しみではあったが、会えない時間は恋しかった。


「モンドの所に寄ってから帰るが、一緒に行くか?」

「行く!」

「オレもッ」

「じゃあみんなで行こうか」


アイゼルトを抱いて歩き出すルーヴァンの背中を、ちょっと拗ねた目で見つめるエイガストに、ギヴは屈んで腕を広げて見せる。渋々と言いたげな表情で、エイガストはギヴの首に手を回した。


「ご不満ですか?」

「……」


エイガストはそっぽを向いて表情を隠す。

子供はちょっとした事で機嫌が変わる。もう少しすれば、拗ねる事にも飽きるだろう。ギヴはエイガストの背中を撫でて宥めながらゆるりと立ち上がると、遅れて息子たちの後に続いた。


ここは高い高い山の上にある小さな郷村、クレジェリス。

元々はギヴが妻のクレジェリスと共に、ひっそりと暮らしていた何もない場所だった。そこへ様々な理由で故郷(くに)を追われた者たちが、一人また一人と流れ着き、今では二十人程の住民が静かに助け合って暮らしている。

そのため種族も人族だけでなく、獣頭族やその混血、硬い皮膚と人語を解す甲蟲族、そして魔人までもが共存する独自の文化を築いていた。


時々、山の麓から魔獣が登ってきたり、盗賊が村を襲いにくる事もあったが、アイゼルトとエイガストの母であるサルーゼを筆頭に立ち上がり、住民全員で撃退。昨年からは剣を手に入れたアイゼルトも戦前に立ち、いつか父の旅に同行するんだと鍛えている。


いつまでも続くと信じていた平和は、突如として終わりを迎える。





エイガストが生まれて五回目の誕生節(たんじょうつき)。サルーゼからエイガストに大きな弓が渡された。

丁寧な細工の施された弓は、村のモンドが作った魔装具と呼ばれる魔力を使用して扱う武器だった。


「ルーから伝言でね、あと二、三日で帰るから先に渡しておいて欲しいって」

「ありがとう! オレもっといっぱい練習する!」


身長とほぼ変わらない大きさの弓を抱えてエイガストは意気込む。

今はまだ大きくて使い難いけど、硬い弦を引く訳ではないから工夫をすれば撃つ事はできる。

毎日豆ができるほど弓矢を練習している姿を知ってるサルーゼは、破顔するエイガストに苦笑する。


「魔晶石に色が無ェな?」

「うん、ちょっとやりたい事があって、魔晶石は空っぽでお願いしたの」

「ふーん。んじゃ、明日はそれ使って狩りに行こうぜ」

「うん!」

「あまり遠くへ行っちゃダメよ」

「わかってるって」


翌日、二人は早朝から山の中を走り回って獲物を追った。

アイゼルトから魔力の込め方を教えて貰い、枝と蔓で弓を支える簡易土台を作る。使い勝手の違う魔装具の弓では、初めのうちは何度も撃ち漏らしたが、少しずつ当たるようになってきた。


「魔力使うのって、けっこう疲れる」

「強く込めすぎなんだよ。耳羊(うさぎ)くらいなら、そんな要らない」

「わかってるけどさ。なんか、力入っちゃうんだよ」

「ま、毎日やってりゃ、その内慣れるさ」


真上に昇った陽が少し傾いた頃。罠を仕掛けながら村へと引き上げている途中、アイゼルトが何かに気づいた様に遠くを眺め、右と左の目を交互に隠しながら確認をする。

紫の目は見えない物を見るのだとルーヴァンから教えられた。エイガストは偶然手に入れた赤い鱗の入った水晶からアスゲイロンドに会い、自分の目が三つの原色を映す事を知った。

アイゼルトの紫の右目は、人や物に取り憑く悪意が黒い粘体に見え、イタズラに仕掛けた罠なんかはすぐにバレてしまう。それが汚れなのか単細胞(スライム)なのか悪意なのかを見定める為に、怪しい物には見え方の違いを見る癖がある。


「何かあった?」

「なんか、ヤベェ気がする。急ごう」

「あ、待って!」


息を切らせて村へ戻った二人は、急いでサルーゼへ報告する。話を聞いたサルーゼも外に出て、アイゼルトの示す方角を睨む様に確認する。


「アイゼルト、エイガスト、全員に避難を呼びかけて! 山を降ります!」

「わかった。エイガストは右から回れ!」

「うん!」


言い終わらない内にアイゼルトは左手の道に向かって走った。エイガストも右の道から民家の扉を叩き、急いで山を降りるよう避難を呼びかける。

最低限の荷物だけ持ち、住民が急いで村から脱出をしていく中、広場にルーヴァンが墜落してきた。気づいた住民の一人が咄嗟に放った魔法で地面への衝突を防ぐが、左肩の傷が深いのか服は酷く血に(まみ)れていた。


「ルーヴァン何があった!?」

「魔獣の群勢がこっちに向かってる! 父さん(ギヴ)が足止めしてるがどこまで保つか分からない! みんな一番遠い避難壕へ!」


ルーヴァンの言葉を受けて皆の顔色が変わり、少し混乱気味に駆け出す。

アイゼルトとエイガストも避難させようとサルーゼが促す前に、逃げる住民から声がかかる。


「ルーヴァン! レヴェロ婆さんが出てこねェ!」

「俺見てくる!」

「待て、アイゼルト!」


膝が痛いと言って最近は外に出る頻度が減っていたレヴェロ。年老いた自分が足手纏いだとわかっている為、このまま残るつもりだろう。アイゼルトは彼女の家へ駆け出した。

アイゼルトの後を追おうとするルーヴァンを止めてサルーゼは言う。


「ルー。あなたは山を降りて」

「馬鹿を言うな」

「あなたのその怪我で戦えるわけないでしょう? ここは任せて、エイガストをお願い」


魔人の血によって普通の人族より傷の治りは速いが、それでも左腕が動かせる様になるには暫くかかる。村に襲来する魔獣を引き止める役目を担うには、傷が深すぎた。


「……わかった。愛してる」

「私も、愛してるわ」


短い抱擁。サルーゼはエイガストとも一度だけ強く抱きしめると、アイゼルトを追いかけて走った。

母を追おうと暴れるエイガストを右腕で抱き上げ、ルーヴァンは避難壕へと走る。


「レヴェロ婆! 逃げるぞ!」


叩いても出てこない扉を壊して家へ踏み込み、寝床で丸まるレヴェロにアイゼルトは声をかける。

甲蟲族の彼女は三対の(あし)を折り畳んだまま、顔と触角だけを起こしてアイゼルトを見た。


「大きい声出しなさんな。儂はここに残る、さっさとお行き」

「置いてけるかよ、ふざけんな!」

「儂は十分生きた。それにクーを独りにはできんよ」

「だったら生きてまた戻ってくりゃ良いだろうがよ!」


レヴェロが祖母と仲が良かった事は、いつも話を聞いてたからアイゼルトも知っている。だからといって村に残して行くのは話が違う。

小窓から見えた外からは、黒い大きな悪意の塊が近づいてきている。抵抗するレヴェロをアイゼルトは無理矢理担ぎ上げて家を出る。人族より小柄な種族とはいえ、子供の力ではレヴェロを背負って山を降りるのは無茶がある。


「アイゼルト、こっちへ!」


サルーゼと合流し急いで山を道を下るが、赤黒い塊が行く手を立ち塞ぐ。

獣の頭が二つ。長い胴体には種類の違う脚が四対。蛇の尻尾。角か牙か分からない骨が肩から何本も突き出している。


「なんだ、これ……」

「魔獣を合成したというの……?」

「そうだよ。かっこいいでしょ」


接ぎ合わせた皮膚、房ごとに違う色の髪、額から生えた大きくて歪な角と、乾いてドス黒くなった血と同じ色の眼。ズルリと魔獣の額から生えたのは、少女の様な顔をした合成人間(キマイラ)の上半身だった。

魔獣は歪なその姿に反して、高速でアイゼルトに向かって突進する。すかさずサルーゼが前に出てアイゼルトを庇い、左手に装着する魔道具のガントレットに爪を生やして薙ぎ払う。

別の道から逃げようとアイゼルトは周囲を見回すが、左右にも後ろにも歪な魔獣が取り囲んでいる。焦るアイゼルトの死角から小型の魔獣が迫り、気づいた時には避けられない程に接近していた。魔装具の剣柄を握った右腕を噛みつかれ、仰向けに押し倒される。


「その子を放しんさい!」


背負われていたレヴェロが魔獣の顔に向かって体当たる。

緩んだ牙からアイゼルトは腕を引き抜く事ができたが、次に牙の餌食となったのはレヴェロだった。


「婆さん!」


魔獣の首を斬り落とそうと剣身を生やして振るうも、利き手である右腕に受けた傷の痛みで狙いが逸れる。魔獣はレヴェロを咥えたまま合成人間(キマイラ)の元へ走り出し、空から降ってきた斧で首が落ちた。


「まだ残っていたのですね」


上空から降りてきたギヴは魔獣の頭部を踏みつけて蹴散らし、地に突き刺さった斧を右手で取り上げる。それを合成人間(キマイラ)に向かって投げ、サルーゼの腕を捕える触手を切り裂く。

アイゼルトはギヴの足元で甲殻に亀裂(ヒビ)の入って蹲るレヴェロを抱え上げる。取れない事がわかっていても、レヴェロに纏わりついた悪意の塊を拭う。


「ジジイ、その腕……」

「安心なさい。いつでも治せますよ」


ギヴの左腕は袖ごと肘から先がなくなっていた。

斬り口に焼けた跡と僅かに付着する悪意の塊に、あの合成人間(キマイラ)に腕を取られたのだと、アイゼルトは直感する。そして腕を治療する余力すら惜しんでいる事も。

触手から逃れたサルーゼがアイゼルトに駆け寄り、無事を確認して強く抱きしめる。


「ルーヴァンは?」

「エイガストを連れて先に降りました」

「よろしい。貴方がたも早く降りなさい」

「逃がさないよ」


合成人間(キマイラ)が言った直後に、アイゼルトが抱えていたレヴェロの体が破裂。甲殻を内側から裂いた赤と黒の(まだら)な触手が、アイゼルトとサルーゼの体を貫いた。

ギヴが即座に触手を引き抜いたが、胸を抉られたサルーゼは既に生き絶え、腹を貫かれたアイゼルトは痛みに(もが)いて抱き上げるギヴにしがみつく。


「ありゃ、殺すつもりなかったんだけどなァ。まァ本命は残ってるから()っか」


ギヴの背後でケタケタ笑う合成人間(キマイラ)を無視してギヴはアイゼルトの傷を癒す。だが流血が止まり傷が癒えた後もアイゼルトは苦しみ続ける。

ギヴはサルーゼの死体を半分飲み込んだ合成人間(キマイラ)からガントレットごと左腕を割いて取り返し、自らの左腕に結合させて合成人間(キマイラ)に詰め寄る。


「あの子に何をした?」

「わあ、そんなに怒らないでよ。仲間が増えるんだからキミも嬉しいでしょ?」

「仲間?」

「そ。ランから聞いたんだけどさ、この結晶を植え付けてから死ぬと魔獣化させる事ができるんだ」


合成人間(キマイラ)が見せる、魔獣の核となる(あか)い石に似た結晶。右の手のひらに乗せた結晶(いし)から伝わる負の念は、魔獣が生じる時によくある感情だった。

魔獣の核を模して作られた結晶は、肉体を求めて生者に取り憑く。苦しんでいるアイゼルトは、この念に乗っ取られまいと抵抗しているのだろう。


「取り除く方法は?」

「さあ? ボクは知らない」

「そうですか」


馴染んだばかりの左手のガントレットに爪を生やし、ギヴは合成人間(キマイラ)を裂く。何が起こったのかわからないと言った表情のまま、細切れに裂かれた合成人間(キマイラ)はギヴの放つ強い炎で体を焼き尽くされ、小さな核を残して地に落ちた。

魔人同士で行える限界まで合成人間(キマイラ)の力を削いだギヴは、呻き声すらあげなくなったアイゼルトを抱き上げる。呼吸はしているが意識がない。アイゼルトの塞いだ傷口に根付いた赤い結晶を取り除こうと爪を立てたギヴの上から声が降ってきた。


「取らない方が良いんじゃないかしら」


ふわりと鮮やかな赤紫の髪を靡かせて女が降りてくる。こめかみに角を生やしたこの女が、合成人間(キマイラ)が口走っていた魔人ラン。彼女は足元に転がる(あか)い石を拾い「小さくなって」と(あざわら)いながら、すぐ後ろに控えていた緑髪の男に預けた。

ギヴは彼女の後ろに控えるもう一人の男に視線を奪われる。目に生気はないが、その容姿は紛れもなくルーヴァンだった。

ランは驚愕するギヴを嬉しそうに目を細めて眺めた。


「その状態で石を無理矢理取ると死んじゃうのよ。別にそうなっても、アタシは困らないんだけど」

「何が目的ですか?」

「あなたに協力して欲しい事があるの。聞いてくれるわよね?」


ルーヴァンとアイゼルトの二人を人質にすれば、ギヴが拒否できない事をわかっていて女は返事を待つ。


「この子に一切の手出しをしないと誓うならば」


ギヴは女の背後に立つ男と核だけになった合成人間にも視線をやる。女に従属する者も含まれているのだと、最後にルーヴァンを見た。


「ええ、私たちの父に誓いましょう。私は人間とは違って約束は守るわ」


アイゼルトを抱いて転移したギヴを見送り、ランが撤退の号令を出すと、周囲を取り囲んでいた魔獣たちは赤い結晶となってランの手のひらに戻った。


「あの子は、目覚めたらどっちに付くかしら?」


背中に取り憑く大きな蜘蛛に支配されたルーヴァンが最期に零した涙を、「楽しみね」と笑いかけるランが拭い去った。



ここまで読んでくださりありがとうございました。


よろしければ下記の★にて評価をお願いします。

誤字脱字も気を付けておりますが、見つけましたらお知らせください。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ