閑話 手放したのは 下
冷たい。
目線の先に揺れる水面から光が差し込み、自分が水底にいるのだとわかる。
息苦しくは無い。微睡む意識の中で、ここが夢なのだと理解する。
暗い水底を歩く俺は、足元に沈んだ汚泥の塊を拾い上げる。
右手で泥を拭い去って現れたのは白い骨。小さな人の頭蓋だった。
よくよく見渡せば、足元に広がる幾多もの汚泥もどこか人の形をしている。
怒りなのか、悲しみなのか。この激情が何なのかは分からないが、赤く染まっていく視界の中、俺は腹の底から咆えた。
瞬いた次には地上にいた。
目的地があるのだろうか、見覚えのないボロ家にこの体は向かっていた。
「だれ……?」
勝手に入り込んできた俺に警戒する少年。痩せ衰えた体は細く、怯えているにも関わらずベッドから動こうとしない。いや、動けないのだろう。
唇が自動的に動く。何を言ったのかは分からないが、俺の言葉に少年はテルと名乗り、少し警戒を解いた様子を見せる。
テル。あの集落で池に沈められそうになった少年と同じ名前だと思考する間にも、体はテルのベッドへと腰を掛けて何かを語る。
「こう?」
俺の真似をして、テルは両手の指を組んで見せる。俺の体は頷き、また何かの言葉を残してその家を後にした。
俺はテルの仕草に、嫌な予感がした。
瞬いた次に見た光景は、違う家に移ったテルの側に少女がいた。
やはり、コレは夢の中だ。物や土地に残された僅かな魔力の痕跡を辿る時に見る記憶。謂わば残留思念。
でなければ、テルの身代わりに池に身を投じようとしていた少女ククを助けた後、集落の人間に囲まれて家に閉じこもっているこの状況を、俺が知るはずがないのだ。
「どうして……」
俺が居なくなった後に起こった彼等の記憶。
震える体を抱きしめ合う二人の周囲に耳を傾ければ、相変わらず自身等に降りかかった不幸は二人の所為だと喚いている。
自らの因習で魔花が生まれたと言うのに。犠牲者が出た悲しみを、幼い子供に当たる事で発散する大人たちに反吐が出そうだ。
大人たちによる集団暴行に憔悴しきったテルは、両の手を組んで俺の体が伝えたであろう言葉を紡いだ。
「おおいなるわれらがちちよ」
やめろ。
アレックの知る羅列ではなかったが、それが呪文だと直感で理解する。
本人の魔力量に関係なく、正しく唱えれば必ず発動する魔法の言葉。
「われらつみびとをあわれみたまい、そのうちへふたたびかえらんことをゆるしたまへ」
グラリと一瞬視界がブレた後、あれほど騒がしかった外の罵声が聞こえなくなっていた。外を確認すれば、農具と衣服が地面に散乱している。人だけがその姿を消した。
急に静かになった事で不安を覚えるククにテルは言った。
「村の奴らを全員消してって魔法におねがいしたんだ。良かったうまく行ったんだ」
「もう大丈夫なの?」
「うん、ぼくたちもう大丈夫だよ」
「そっか、良かっ」
安堵した束の間、ククの体が消えた。パサリとベッドに服だけが残る。
「え……?」
テルは何が起こったのか分からず、呆然とククが居た空間を見つめ、そしてテル自身も姿を消した。
アレックが再び目を開けると、頭上から覗き込む少女と古びた天井が見えた。少女はアレックと目が合うと慌てて外へ飛び出して行く。
アレックは凝り固まった腕を持ち上げ、自分の意思で動かせる事を確認した。重怠い体を無理やり起こし、頭痛と空腹を覚えて漸く夢から覚めた事を実感する。
何処かの小屋だろうか。見回した部屋の隅にアレックの荷物が置いてある所から見ると、物取り目的ではなさそうだ。
「お目覚めかい」
家主だろうか。足元に狩猟犬を連れた中年の男性が、先程逃げ去った少女と共に小屋に入ってきた。
「助けて頂き感謝します」
「礼なら娘に。雪の中お前さんを拾って看病したのはこの娘だからな」
アレックが改めて少女に向けて礼を言うと、少女は男性の陰に隠れながら小さく頷いて答えた。
男性の話によると数日前に川岸で倒れているアレックを少女が見つけ、高熱で魘され続けていたところを懸命に看病したと言う。正確な暦は分からないが、ギヴと対峙してからおおよそ二週間が経っていた。
「腹が減っているだろう。準備するから待ってなさい」
「何から何まで、ありがとうございます」
長期間眠っていた事による体の衰えと魔力の枯渇。今のアレックには空を飛ぶどころか、火熾しすら燐木に劣る。親子の下で数日間世話になり、魔力を回復させたアレックが再び集落を訪れた時には、もうギヴもアイゼルトもメヤと呼ばれた少女も居なかった。
アレックは夢の中で見た、ククとテルが最後に居た家を訪れる。
魔法で扉を塞ぐ家具を動かして中へ入り、衣服だけが残る藁を敷いただけの粗末なベッドを見つめる。
「大馬鹿野郎……」
テルは魔法の使い方を間違えた。
"村のやつら"を消すと願ったその魔法は、住人であったククとテルも含んでいた。彼はそれに気づかず衝動的に願い、そして望み通り消えた。
床に転がる木の板を拾う。
アレックがククに渡した、保護を要請する文章を書きつけた木片。今となっては不要なもの。
誰がテルにあんな呪文を教えたのか。予想はついている。
強く握りすぎて亀裂の入った木片を、火傷も厭わず掌の中で燃やし尽くし、アレックは静かに集落を去った。
「メヤ! いつ帰ってきたの?」
「え?」
友達に声をかけられてメヤは驚いた顔をする。ふと気がつけば、見知った故郷の街の入り口付近にある待合広場のベンチに座っていた。
声をかけた友達も、メヤの反応にキョトンと目を丸くする。
「おばさんから聞いたよ。一節もお勤めに出てたんだって?」
「う…うん。そう」
「だいぶ疲れてんね。また今度、向こうでの話し聞かせてよ」
またね、と手を振って去って行く友達の背中を見送りながら、メヤは呆然とする。
確かに一節、街の外に働きに出ていた。雇い主の下で食事と掃除と洗濯などの身の回りの世話をして、狩ってきた獲物の皮や角を捨ててしまうなら欲しいと言って譲って貰って。古びた鞄の中には別れ際に受け取った報酬の銀貨と、余った調味料や食材が入っている。
大変だったけど楽しかったという感情は残っているのに。 どうして。
顔も、声も、名前すらも、思い出せないのだろう。
とぼとぼと自宅に向かって歩き出したメヤを、アイゼルトは離れた家の陰から見送る。
「宜しいのですか?」
「帰りたいっつってる奴を連れ去る趣味は無ェよ」
魔人との混血で生まれたアイゼルトは、ギヴと同じく魔力の回復を人の感情で補う事ができる。メヤはその役割を担えるほどに、相性が良かった。
あの時、メヤが帰る事を望まなければ、アイゼルトの従者として連れて行く予定でいた。
「では、エイガストの元に?」
「無理無理。国の英雄様ンとこに指名手配された俺なんかが行ったら迷惑だ。それに、お前ゼミリアスをコテンパンにしたんだろ? 絶対ェ怒ってるからな」
「それはそうでしょうね」
恐らくゼミリアスは、ギヴと共にいるアイゼルトも敵だと認識している可能性が高い。エイガストがどう思ってるかは分からないが、熱りが冷めるまでは接触しない方が良い。
とは言え、軍に入らず旅を続けているのなら、いずれまた会うのだろう。
「そーいや気になる事があるんだ」
「なんでしょう?」
「あいつは各地で血をばら撒いてたんだろ? まだ石が残ってたりしないか?」
それを聞いたギヴは少し考える。
魔人や魔獣は倒せば消えるが、生物と融合した赤い石がどうなったかはまだ分からない。
「人と結びついていない石は消えたでしょうが、それ以外は確認していません」
「んじゃ、まずはその確認と行くか。場所はどうする?」
聞いてもいないギヴに、どこに行って何をしたと五月蝿かったランの自分語りがこんな所で役に立とうとは。ギヴはアイゼルトに幾つかの街を提示する。その中から一番近い街を目標に定める。
倒した後もランに振り回されて、アイゼルトは溜息を一つ吐いた。
ポケットからリボンを取り出し、左側だけ編み込んだ髪を結う。右目を隠したがるアイゼルトの髪を、メヤはいつもそう結ってくれていた。
身長はそれほど伸びなかったが、二十を超えた今の姿は指名手配として描かれた姿絵とは年齢が離れすぎていて、同一人物とは考え難いだろう。左の銀目を赤色に見える様に魔法を掛ければ、似ているだけの別人だ。
「お前もその姿は目立つから変えてくれ」
そう指摘され、少し考えたギヴが自身に魔法を掛けると、小型の白と黒の獣へと変貌する。
白獅虎。銀色にも見える美しい毛皮を手に入れるために乱獲され、とうの昔に絶滅した種族。それを知らないアイゼルトは「良いじゃん」と白獅虎になったギヴの背を撫でた。
「んじゃ、行くか」
視線を上げれば、もうメヤの後ろ姿は見えない。
アイゼルトはギヴを連れて、メヤに背を向けて歩き出した。
これにて青の射撃手第一部は終幕となります。
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