009
新品同様に洗われたいつもの私服。小さなほつれ一つ無い。
使用人にも退がってもらい、煌びやかな服から解放されて、ようやくエイガストは一息つくことができた。
使用人の後に続いて城門に向かいながら、食事の後の話を思い出す。
ベイゲルフォードから今回の謝礼が渡された。
使用人の持つトレーに乗せられた金額に、エイガストは目を丸くする。数えなくても判る。多すぎる。
「い、頂けません。多すぎます」
「いいえ。貴方の働きはそれに見合うものです」
「そうではありません。一般の魔獣討伐と明らかに金額が違いすぎて、これでは私が不正を疑われかねません。勘定をさせて下さい」
「ほう」
使用人に頼んで薄手袋を用意してもらい、着用してからトレーの金額を数えやすく整え、大型魔獣の討伐報酬分を切り分けるように提示。そこから城壁に立った時に見た、主戦力であろう人員でざっくりと割り、五日間のおおよその保護費用を差し引く。
それでも十分な金額だった。
「この金額を討伐報酬として、役場を通して下さい」
「わかりました。今日中に渡せるよう手配しておきましょう。因みに、残りの金額を貴殿ならどこに回しますか?」
「そうですね。先ずは魔獣によって怪我をした方々の治療費でしょうか。次に壊された街道などの修繕費にあてます。それから経済。討伐の間は物流が止まりましたから、その補填をしたいです。それでも残る様でしたら、討伐にあたった兵士全員に手当てを出します」
「成る程。ではその様に」
「へ?」
思いも寄らないベイゲルフォードの言葉に、思わず気の抜けた声を出すエイガスト。
最初からエイガストが拒否した場合、彼の意向に沿う様に使用するつもりでいたらしい。
そんなエイガストとベイゲルフォードのやりとりを、隣で見ていたパーラスフォードは声を殺して笑っていた。
城門を出た所で、荷物と弓がエイガストに返却された。手の中に戻ってきた弓に心から安堵する。それほどに大切な物だったのだと、改めてエイガストは実感した。
鞄の中身の確認をすると、帳簿や契約書などを入れていた貴重品箱の鍵が開けられた形跡がある。兵士に確認をとれば、やはり中身を調べられていた。
内容が秘匿される事は当然で、改竄している訳では無いので見られて困る事でもないのだけれど、あまり良い気はしない。
ベイゲルフォードは箱の内容からエイガストの痕跡を辿らせたのだろう。
エイガストの確認を終えた頃にパーラスフォードが合流する。兵士が敬礼し、パーラスフォードも答礼で応える。
髪を後頭部高く結い上げ、黒いリボンで飾られている。
赤を基調とした膝丈程のワンピースドレスと、太ももまで届くハイブーツ。左肩から伸びる飾緒は、首元の黒いクロスタイに飾られたブローチと繋がっている。
腰のベルトには短剣とポーチバッグが下がっている。指輪や耳飾りの装飾品はあるものの、手ぶらなところを見ると、ポーチバッグはエイガストの鞄と同じく、大容量を詰め込める魔法が掛かっているらしい。
「お待たせしたかしら」
「いえ。丁度、確認が終わったところです」
「では、出発する前にお渡しする物がございます。少し屈んでくださるかしら」
パーラスフォードに言われるまま、エイガストはその場に片膝をつく。
伸びるパーラスフォードの右手がエイガストの頬を通り過ぎ、左の耳に何かをつけた。
「これは?」
「私の飾りと対になった、あなたの位置を示す物です。例え離れても、私はこれを辿ってあなたの場所を知ることができます」
「常に、ですか」
「私は法使ではありませんので、一日中監視をし続けることはできません。必要な時のみ使用します。決して外さないで下さいね。あなたの身に、いつ何が起こるかわかりませんから」
できるだけ過度にならない装飾を選んだと、パーラスフォードは言う。
小さな白銀の耳飾り。一見では傭兵がつける毒耐性の飾りと見分けがつかない。
しかし素材がとても質の良い物だということは、エイガストにも判る。
「対ということは、私からもパーラスフォード様を辿れるということでしょうか」
「ええ。あなたが優秀な法使であれば、可能でしょう」
そんな機会はないと、パーラスフォードは付け足す。
エイガストも同意見だった。自分よりも遥かに強いパーラスフォードが、危険に晒される状況が想像できない。
兵士に見送られながら、二人並んで街へ下りる。
国都だけあって、馬車も人も往来が激しい。
大通りは馬車用と人用で歩く道が分かれていて、交差点では交通制御人が立っている。
「ヴィーディフさん、市井では私の事を、パールと呼んで下さい。あと口調も、どうぞ楽になさって」
「はい。ではパールさんも、俺の事はエイガストと呼んで下さい」
承知しましたと優雅に笑うパール。
彼女が最前線で戦っていた将軍だと、誰が気付くだろう。少なくとも、城門で敬礼した兵士が将軍と呼ぶまで、エイガストは気付いていなかった。
エイガストは商会通りの方へ足を向ける。
建ち並ぶ店構えは、スフィンウェル国を拠点にする本会から、外国の分会まで大小様々。
主看板は自国の文字で、傍に各国の文字で表記しているところが多い。文字の読めない者は併記されている屋号紋を頼りに訪れる。
「どちらへ?」
「ヴィーディフの分会です。遅れた分の仕事が溜まってますので。あの、パールさんには、待ってもらうことになるんですが、その間どうしますか?」
「部屋を用意して頂ければ、そこで。終わったら迎えにきて」
「わかりました。何か暇を潰せるような物を用意しますね」
周りの大商会に比べると、比較的小さめのヴィーディフ商会の分会。
足を踏み入れると受付の女性がこちらへと、二人に呼びかける。
「こんにちは。空いてる会議室と貴賓室を教えて下さい」
「少々お待ち下さい」
屋号紋の記章を受付に見せると、女性は手元のスケジュールを確認する。
「会議室は二階の六人部屋が、貴賓室は三階の月の間が空いてます」
「ありがとう。シュウ、マリエン、カストル、あと居ればリアーネに会議室に来るよう伝えて下さい。エイガストが来たと言えばわかります」
空いてる部屋を聞き出したエイガストは、先ずパールを貴賓室に案内する。
「好きな席で寛いでいて下さい。そちらの棚の本や小物は見て頂いて構いません」
「ありがとう。頑張ってね」
「ありがとうございます。何かありましたら、給仕係へお願いします」
パールの言葉に、少し擽ったさを感じながら貴賓室を後にする。
会議室に向かう前に更衣室へ。その道中に給仕長を捕まえ、貴賓室の要人の対応を任せる。
仕事着に着替えたエイガストが会議室の扉を開けると、茶褐色の髪を後ろに流した中年の男性が既に待っていた。
「準会長!」
「シュウ。お久しぶりです」
「予定の日を過ぎたのに連絡一つ寄越さないで、何してらしたんですか。心配したんですよ」
「すみません。色々、ありまして……」
「魔獣騒動がありましたから、巻き込まれてしまったのかと……ご無事でなによりです」
「ご心配おかけしました」
巻き込まれたというより、エイガスト自ら巻き込まれに行ったのだが、そんな事を言えばシュウは卒倒してしまうだろう。真実はエイガストの心の中に仕舞われた。
エイガストは上座に腰を掛け、シュウからいくつか書類を受け取る。
新たに分会に加わった工房や卸先などの確認、既存製品の製作や納品数の確認、販売先と売上状況の確認、新製品開発の途中経過報告書には付箋を貼って、詳しい内容を求める箇所と要望を綴る。
「遅くなりました」
会議室の扉が開き、瑩色の長髪を肩に流した女性と、寝癖が跳ねる灰褐色の髪に眼鏡の男性が入室する。
「マリエン、カストル、お疲れ様。急に呼び出してごめんね」
「とんでもございません。リアーネは先程、外出しましたので欠席です」
「わかりました。では例の件なのですが、南の村で畑を貸しても良いという方がいます。明日にでも契約に向かって欲しいんですが、行ける者はいますか?」
エイガストの呼びかけに手を上げたのは、手櫛で寝癖と戦うカストル。
「あ、僕動けますよ」
「では、そちらはカストルにお願いします」
「準会長。実は先日、東の村でも契約が進みまして、こちらはリアーネが取ってきました。これで次の段階に進めますね」
「秋には間に合いそうですね」
エイガストがほぼ趣味で育てていた、観賞用の花。春に小さな白い花を咲かせ、秋には小さな薄黄の実をつける。丁寧に世話をすれば三年くらい楽しむことができる、程ほどに人気のある植物。
何度か品種改良を繰り返した結果、赤い実をつけるものができたが数も少なく、商会として売るつもりもなかったので、花屋の友人の店に非売品として置かせてもらっていたもの。
それが今年の秋、赤い実の形が可愛いと一部で話題になり、販売の問い合わせが続き、花屋の友人が購入希望者リスト持ち込んできたが、エイガスト一人ではどうしようも無い数だった。
花屋の店が分会の管轄内にあったのでシュウに相談し、量産に向けての準備を手伝ってもらっていた。
「こちらが現在の予約件数。その他問い合わせを、別紙にまとめてあります」
「ありがとう」
育てた花を植える鉢を選ぶ。既にマリエンが会内での人気度を出してくれている。
友人の花屋だけでは手が足りないため、別の販路も必要。卸先のリストをカストルが出している。
予約リストにチラホラ混じる要人への配達の手配は、シュウが進めている。
エイガストの行商での利益を追加して予算を増やす。
畑二つ分の必要経費の再算出。
収穫見込み数。
販売価格。
売上高。
内税。
利益。
等。
等。
エイガストが部下のサポートを受けつつ、ある程度まとめた頃には、随分と時間が経っていた。
「明日、友人の店に寄りますので、俺の方から話はしておきます」
「わかりました。そういえば、準会長、今日は化粧してるんですね?」
会議室を出る際の、マリエンの言葉。
それを聞いたエイガストの表情が「忘れてた」と言っている。
「ええ、とても高位の方との面会がありまして……後で落とします」
「誰と会ったんです?」
「カストル」
言い難そうにしているエイガストに、助け舟を出したのはシュウ。詮索するカストルは、シュウに諌められれば素直に引き下がった。
「それでは私もこれで」
「あ、待って」
会議室を出る前にエイガストはシュウを呼び止め、一枚の紙片を渡す。
受け取ったシュウが内容を確認すると、火をつけ灰皿へ捨てる。
「……わかりました」
シュウがため息をつく。
ついニ節前に上がったセイクエット国の関税が、近々上がると言うもの。
金属類と薬品類の動向に注意、と記されていた。
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