076
深夜も近くなろうとする頃、ゼミリアスは目を覚ましてゆっくりと布団から抜け出す。エイガストや老夫婦を起こさない様に外へ出ると、白の装束と黒い嘴の仮面を着ける。
街の北側に広がる平原を目指す前に、ウエルテの様子を見に行く。馬衣を着て暖かそうに寝ている姿に目を細め、サヨナラと呟いて飛び立った。
晩秋の冷たい夜風に白い頬を染めながら、ゼミリアスは目的地で足を止める。雲のない星空の明かりが、ゼミリアスの眼前に立つ男の姿を浮き上がらせている。
「貴方から呼び出されるとは、思いもしませんでした」
魔人ギヴ。
アイゼルトが祖父と呼ぶ彼は、弟であるエイガストにとって探していた家族だった。けれど、エルフェンの街を壊滅して親兄弟を殺した、ゼミリアスにとっては憎き仇。
魔人とは言えエイガストに家族を殺す手伝いをさせたくない。ギヴが何処かに姿を消してしまう前に決着をつけようと、アイゼルトの枕元に置いた折鶴に文を書いた。思った通り、付着した悪意の方向からアイゼルトは手紙をギヴに渡してくれていたようだ。
「ボクと勝負しろ」
「構いませんよ」
ゼミリアスの言葉にギヴは速答する。
一切の迷い無い返答は、自分が倒された後の心配など考える必要も無いのだと、ゼミリアスがギヴを倒せる訳が無いのだと戦う前から確信している。その態度に悔しくて、ゼミリアスは奥歯を噛み締めた。
魔晶石の付いた短刀とカランソンの短剣を抜き、ゼミリアスは一歩でギヴの前まで飛ぶ。魔法で強化した身体速度は、目にも止まらぬ速さで剣を振るうが、ギヴは左手のガントレットの一振りで打ち払う。
弾き飛ばされた体が地面に着く前に、ゼミリアスは魔法の矢をギヴに向けて撃ち、着地時に付いた地面から魔法の鎖を地中へ走らせる。ギヴは右手の指を下へ向けて矢を落とし、足に絡んだ鎖は踏みつけて解除する。
ギヴは左手のガントレットに五つの炎の爪を宿し、ゼミリアスに向けて放つ。横に飛び退いて避けた地面に二つの爪痕が刻まれ、残りの爪がゼミリアスを追う。
フッと息を吹きかける様に一つを掻き消し、ゼミリアスは両手の刀剣で爪を受け止めて炎を奪い、薙ぎ払って撃ち返す。ギヴは右手を翳して返された炎を防ぎ、炎を隠れ蓑に飛び込んできたゼミリアスの手首を掴む。
振り払う間も無くギヴに引っ張られ、ゼミリアスは痛烈な一撃を腹に打ち込まれた。
「ぐッ……げぇェ」
ギヴに投げ捨てられたゼミリアスが激しく咳き込み嘔吐する。汚れた仮面を投げ捨て、背中を踏みつけるギヴの足目掛けて、ゼミリアスは逆手に持った剣を振るう。
それよりも先にギヴの左手から伸びる爪がゼミリアスの腕を貫き、あと僅かのところで鋒は届かず。反対の手から飛ばした刀も指先二本で止められた。
ギヴはゼミリアスの背に乗ったまま屈み、奪った刀をゼミリアスの首筋に当てる。苦しそうに呼吸するゼミリアスは、恐怖に身を震わせながらもギヴを睨みつける視線は逸らさず、痛みに歯を食いしばって握っていた剣を魔法で飛ばした。
剣はギヴの右頬を掠めて停止し、制御を奪われた剣は向きを変えて伏せるゼミリアスの鼻先の地に突き刺さる。
ゼミリアスの前髪がはらりと落ちた。
「おや」
たった今まで犇々と感じていたゼミリアスの感情がピタリと止んだ。荒かった呼吸も止まっている。気絶してしまったらしい。
ギヴは首に当てていた刀を捨て、腕を貫いていた爪を抜き、踏み付けていた足を退けてゼミリアスの襟首を掴んで持ち上げる。背中を強く叩けば喉の奥に詰まっていた吐物が飛び出し、息を吹き返した。治癒を施してゼミリアスの傷を塞ぎ、平原に放置する。夜が空ければ勝手に目が覚めるだろう。
「是非また、殺しに来て下さい」
人が死に直面した時に見せる、恐怖と嘆きと生への執着。
戦場で味わう死を覚悟した幾多の雑兵より、苛烈で激しいゼミリアスの生残への感情の方がギヴの力を満たしてくれる。だから、より自分を恨む様に、より自分を憎む様に、そして殺しに来る様に仕向け、死ぬ直前まで追い込む。
エルフェンの子供だ。後百年は食い扶持にも困らず楽しめるだろう。力加減さえ間違えなければだが。
「さて、どう言い訳しましょうか」
目下の問題としては、ギヴの右手首にあった非加虐の刻印が消えてしまった事。軍がアイゼルトを保護してくれているのは、人に加害しないという証明があったからだ。アイゼルトの食事に関しては人間に頼らざるを得ず、体の成長が追いつくまでは軍の庇護下にありたい。
ギヴは右手首に非加虐の刻印と同じ模様を刻み、それらしい魔力を絡めておけば、魔法をかけたアレック本人が不在の間は、誤魔化せるだろう。
竜との戦いで失った大半の魔力を回復して満足したギヴは、地を二回爪先で叩くとアイゼルトの待つ病室へと帰って行った。
エイガストが夜中に目を覚ますと、隣に寝ていた筈のゼミリアスがいない。少し離れた場所で寝ている老夫婦の方にも姿はない。用を足しに行ったのだろうかと思ったが布団に温もりは残っておらず、随分前に抜け出した様子だった。
老夫婦を起こさない様に静かに外に出る。空は白み、夜が明けようとしていた。辺りを見回してもゼミリアスの姿は見られない。エイガストはレイリスに所在を聞こうと右耳に触れた途端、悲痛な声で名前を呼ぶレイリスが正面に現れた。
「エイガスト様! ゼミリアス様がッ!」
エイガストは急いで家に戻ると、服も着替えず鞄だけ持ってウエルテを繋いでいる大木へ走った。いつもならこの時間はまだ眠っているウエルテが、落ち着かない様子で繋いでる手綱を咥えては引っ張っている。
エイガストが手綱を解くなり走り出そうとするウエルテに、エイガストは飛び乗った。興奮するウエルテの首筋を撫でながら、エイガストはレイリスから何があったのか聞き、ゼミリアスの倒れている平原を目指す。
太陽が昇り平原を照らす頃、地面に転がるゼミリアスを見つけた。広大な平原からゼミリアスを即座に見つけられたのは、地面に突き立ったゼミリアスの短刀に青の魔晶石が着いていたからだった。
嘔吐した形跡から呼吸の有無を確認し、生きている事に安堵した後は乾いた血で黒くなった服を脱がして傷を診る。青痣は残っているが傷自体は塞がっていて、魔法による治療があったのだと判る。
「ごめん…ごめんね……」
ギヴを相手にして生きている事に安心したと同時に、一言の相談もなかった事が辛かった。これまでにも何度か対決する機会はあったが、危険だからと、武が悪いからと、その度に先送りにしていた。
ゼミリアスの気持ちを蔑ろにしてしまった結果、エイガストを頼らない選択をさせてしまった事に、エイガストは悔しくて涙を溢した。
ウエルテに乗って帰る途中で、エイガストに抱えられたゼミリアスが目を覚ます。服は鞄の中からエイガストの物を適当に着せたためサイズが合っていないが、血や吐物で汚れたままより良いだろう。
寝惚け眼で二、三度瞬きをし、覚醒するや否や大粒の涙を流してゼミリアスはエイガストに抱きついた。
「エィ…ット……ボク……」
「レイリスから聞いた。無事で良かった」
「仇取りたくッ……でも……勝てなッ…た……」
「独りにしてごめん。次は俺も一緒に戦うよ」
「でも…あいつ……は……エ…ストの家族……」
「ゼミリアスの方が俺の大事な家族だ! だから、お願い。こんな無茶は、もう、しないで……」
エイガストはゼミリアスを強く抱きしめる。喪いたくない存在なのだと、想いを伝えたくて何度も名前を呼んだ。ゼミリアスはエイガストの腕の中で号泣し、その内泣き疲れて眠ってしまった。
居候している家が見えてくると、心配した老夫婦が二人を探して外に出ていた。泣き腫らした二人の顔を見て「喧嘩したの?」と訊かれ「仲直りした」とエイガストは答えた。
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