075
ティータイムも終わりかけた頃、腹を満たしたアイゼルトは座ったまま微睡み始める。エイガストはアイゼルトをベッドに寝かせ、そっと部屋を後にした。
「さっきのは?」
「折鶴。早く元気になる様に。本当は病気の人に贈る物だけど、アイゼルト怒るかな?」
「大丈夫だと思う」
アイゼルトの事を詳しく知っている訳ではないが、用途が如何あれ、悪意を込めていない物に対して怒るように思えなかった。エイガストの答えにゼミリアスは安堵した様子を見せた。
「エイガスト、この後どうする?」
「ゴンさんのお使いと役場に行って、今日はおしまいだよ。どこか行きたい所ある?」
「ウエルテの馬衣、見たい」
「いいね」
予定を組み立てながら二人は大通りから商店通りに向かい、お使いを頼まれた一軒の工房に入る。
掲げられた看板の絵は三枚羽根の鷲獅子。三代目カランソン鍛治工房だった。
工房の前には量産された包丁や農具の刃が並び、購入が決まってから研がれる。従来の一つ一つ鉄を打つのではなく、型に流す製法で量産する方針をとった。
カランソン製の刃物が安価で手に入りやすくなった反面、強度が下がるため武器の生産には向かず、それでも武器工房だった名残りだろうか、工房の隅には剣が僅かに並んでいる。
「いらっしゃい。何用ですか?」
「鉈の修理に出していた、ゴンさんの使いで来ました」
接客に来た女性にエイガストが割印の入った板を見せると、店員は店の奥から革の鞘に収めた刃物を持ってきた。刃物にぶら下がる割印の板を合わせて確認し、エイガストは鉈を鞄へと仕舞った。
「その子の剣、ウチのだよね。研いでかなくて良いかい?」
「ここのお爺さんに、研いで貰ったから、まだだいじょーぶ」
「あら、爺さんに会ったの? 元気してた?」
「ん」
「そうかい。爺さん共々、またよろしくね」
「ありがとうございます」
カランソン鍛治工房を後にし、次は露店が並ぶ通りを歩く。
長期保存できる瓶詰めや乾燥された加工食品、毛糸や染色粉などの織物用品、ランプ用の蝋、保温性の高い壁紙や隙間埋めの粘土。冬支度に必要な物が多く並び、昼近くなった今では売り切れになっている店もチラホラ伺える。
「もう少し何とかならない?」
「無理無理。これ以上安くしたら商売になら無ェ」
近くで交わされる会話を聞きながら、売れ残っている商品の価格を見れば、相場から随分と高く設定されていた。諸々の費用を差し引いても、半額で十分利益が出ると判るのは、エイガストが行商に出られるからだ。街を出る事なく一生を終える人の方が多い中で、その値段が適正かどうかなんて判らない。
商店通りから一番近い役場に入り、買取価格を記した相場の張り紙を見ると、最後に更新された日が一節近く前のままの物がある。
役人に確認したところ、魔獣が出現しない平和だった数年間で傭兵の来訪はなくなり、今回の魔人騒動で安全ではなくなった事で離れた農村からの仕入れが出来ずに休業している商会が多く、軍が支援出来る量にも限度がある為、住民は割高でも露店商から不足分を購入するしかないと言う。
掲示板には護衛依頼が貼られ、至急依頼な分料金も割増しされているが、先日エイガストが確認してから一件しか減っていない。
時間の余裕がある時に護衛を引き受けているが、数日単位で街を離れるような依頼は何件も受けられない。なのでエイガストは別の方面から支援する。
襟にヴィーディフ商会の記章を着けたエイガストが受付を済ませると、役場に買取で出された品を受け取る。
本来なら秋の収穫を終えると同時に冬支度を始めるのだが、毒や魔人の騒動で街の住民には準備期間がなかった。その分出来上がっている物を購入して間に合わせるのだが、その資金を得る為に私製品や不要物を売りに出す。
いくつかの商会が機能していないため、役場が引き取りを拒否していた一部の品をエイガストが買い取る事で継続させている。
手数料を含めた代金を支払い、二人は役場を出た。
その後はゼミリアスから要望された馬車用品店に向かい、ウエルテの毛色に合う馬衣を選ぶ。綿が入って温かく、雪の日でも良く目立つ真っ赤な色の馬衣と、馬用の耳飾りを購入してゼミリアスは満足した。
夕方も近づく頃、二人は街の郊外へと足を向ける。途中で山から降りてきた鹿を見つけてエイガストが弓で仕留め、血と内臓を捨てて布で包んでウエルテの背に載せている。ウエルテはちょっと重そうに、不満の鼻息を鳴らした。
軍の寄宿舎にはギヴが訪れるため、ゼミリアスと出会ってしまわない様にエイガストは街の宿を利用しようとしたが、混乱が収まってまだ数日では営業しているところもなかった。
無理を承知でウエルテを預けていた民家の老夫婦に相談したところ、家の手伝いをすると言う条件付きで居候させて貰っている。
解体した肉は夕食分を残し、瓶詰めと燻製肉の保存食に加工する。角と骨も乾かした後は粉にして畑に撒けば肥料になり、剥いだ皮は売って家財の足しにして貰うつもりだ。
大鍋に並べた瓶詰めの肉は長時間かけてじっくりと加熱する。エイガストが保存食を作っている隣では、老婦のアンが鹿肉と根野菜のスープと、ゼミリアスが希望したナッツたっぷりのパンを焼いていた。
老婦のアンはゼミリアスを孫の様に気に入っていて、食事の際にはゼミリアスの皿が空になるとおかわりを促す。少食のゼミリアスもつられて沢山食べるので、少し頬が丸くなった気がする。元が細すぎるので丁度良くなったくらいだ。
「今日ね、あなたにお手紙が来ていたのよ」
「ありがとうございます。誰だろう?」
「兵士の人だったわ。明日もう一度来るそうよ」
食事を終えて外で肉の切れ端を干し肉にしようと準備していたエイガストに、アンが一通の手紙を渡した。
国の印影が記された高級な封筒に、若干の不安を覚えながらエイガストは封を開ける。横からゼミリアスも覗き込み、二人で確認した内容は。
「英雄称号の授与……?」
竜の討伐に助力した者へ褒賞金と勲章を授与する叙勲式典の、二人分の招待状。勲章は軍に所属する必要があるためエイガストは受け取れないが、その代わりに授与される英雄称号にエイガストは目を丸くした。
「射撃手だって。エイガストすごいね!」
「え、いや、流石にちょっと……」
「エイガスト、嬉しくない?」
「だって、竜の討伐は俺一人の力じゃないし、もっとすごい人は他にいるでしょ? 俺なんかが貰っても……」
射撃手。
かつて起こった大災害。数ヶ節もの間降り続けた雨により、地形すら変えた大洪水。
それを終わらせたのが、空の雨雲を割いて陽を取り戻したとされる弓の英雄、トクソフィリウス。
以降、空を割る程の腕前を持った射撃手をトクソフィライトと称えるものとなり、六十四年前の英雄ヘリワーズを最後に授与された者はいない。
確かに竜を撃ったのはエイガストだが、魔力の制御や強力な矢の生成はレイリスとアスゲイロンドとゼミリアスの協力があった。そして大量の魔力を供給する装置を作ったのはジュリアーナで、エイガストが撃つまで時間を稼いだのはウォルカ将軍の率いる軍隊だ。
自分一人では到底成す事などできない過分な評価に、エイガストは負い目を感じていた。
「なら、みんなに聞いてみる」
「え?」
「エイガストが、英雄称号貰っても良いか、聞いてみるの。みんなが良いよって言ったら、エイガストも良いでしょ?」
英雄称号は、弓の腕前の評価だけでなく、多くの人の声やエイガスト自身のこれまでの功績や討伐の経歴も含まれる。それを過小評価するエイガスト自身に、ゼミリアスは少し腹が立っていた。
「もしかして、怒ってる……?」
「ワ。エイガストが、エイガストを認めてくれないの、悔しい」
エイガストからすれば、戦闘においてゼミリアスやパールに及ばず、魔法もレイリスの協力がなければまともに使えないため、もっと評価される人は他にいると考えていた。しかし、自分の腕を過小評価するという事は、実際に認めてくれた人の声を軽視する事になる。エイガストがゼミリアスを認める様に、ゼミリアスもエイガストを認めているのだ。
「ゼミリアスは、俺が称号を受け取ると、嬉しい?」
「ワ」
「……ありがとう」
エイガストがゼミリアスの肩を抱き寄せて髪を撫でて宥めると、ゼミリアスは機嫌を直す。
「あの、レイリスさんは先程の話、どう思いますか?」
「私も嬉しく思います。ですが、エイガスト様が望まないのであれば、強要も致しません」
「……わかりました」
使者がもう一度来るのは翌日。一日で答えは出るだろうか。
網に並べた肉に香辛料を塗してから、ゼミリアスの魔法で乾燥させて干し肉を完成させると、除湿石と一緒に瓶に詰める。石はしっかり焼いて乾燥させたので一節くらいの効果が期待できる。
玄関のランプに油を足して二人は老夫婦を起こさない様に静かに室内に戻り、今後の身の振り方を思考しながらエイガストは目を閉じた。
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