074
竜を討伐してから数日が経過した。
軍によって汚れていた街は清掃され、街を横断する河の浄化も終え、冬を前にした家屋の修繕も急いで進められた。
毒の蔓延も収束し、国都からの支援物資や隣街からも商人が訪れ、街は活気を取り戻しつつあった。
パールは一度国都へ帰還し、ギヴとアイゼルトの処遇をウォルカが引き継いでいる。
国都に連行しなかったのは、アイゼルトが体調を崩し、長時間の移動に耐えられないと軍医が判断したためだった。ギヴは今のところ兵士の訊問にも大人しく答え、それ以外の時間はアイゼルトが入院している部屋に入り浸っている。
ウォルカから面会の許可を得ているエイガストは、用事の序でにアイゼルトの部屋へ立ち寄った。
「こんにちは。体調は如何ですか?」
「んー、今日はマシな方。ゼミリアス、ジジイは居ねェから安心して良いぞ」
「ん」
アイゼルトが苦笑しながら声をかけると、エイガストの後ろからゼミリアスがひょっこり顔を出す。室内の至る場所にギヴの魔法が張られているため、ゼミリアスはギヴの在否を目で確かめるしかなく、顔を合わせない様に病室に入る前はエイガストの陰に隠れている。
ギヴがシルフィエイン国で行った行為の事をアイゼルトは知っているため、多少の態度の悪さは仕方ないと思っている。
「差し入れに蜂蜜茶を持ってきました。飲めますか?」
「おお、悪ィな。医師の持ってくる薬は苦くて敵わねェ」
エイガストから水筒を受け取ったアイゼルトは、一気に飲み干して口を拭う。余程口の中が不快だったのだろう。茶菓子を出す前に茶が無くなってしまった。
部屋の隅に置いてある、以前の夜にエイガストがギヴに押し付けたポットに、水と荒綿で包んだ茶葉を浮かべた。ゼミリアスの魔法で直ぐにお湯が沸き、二杯目の茶を淹れる。
「もうすぐ袖が足りなくなりそうですね」
「ジジイの話じゃ、四年分くらい進めたらしい」
「十歳前後が一番の成長期ですからね、身長はもう少し伸びると思いますよ」
出会った当初は八歳の身体だったアイゼルトは、今では十二歳程に成長している。身長はゼミリアスを追い越し、椅子に座るアイゼルトの爪先も床に着くまでになった。
眠り続けている間は魔力を補えても食事が出来ず、餓死を回避する為にギヴはアイゼルトの成長を止める事で延命させていた。目が覚めて食事をする事が出来る様になり、無理矢理止めていた成長を少しずつ戻している。急速な成長による身体への負担が、発熱と痛みと倦怠感として現れている。
「そーいや、何か思い出したか?」
「……すみません」
数回の見舞いの間に、エイガストはアイゼルトとギヴから過去に何があったのかを聞いた。両親の名前、生まれた故郷の名前と出来事、親しかった友人の名前などを聞いても、何一つ実感が湧かない。
けれど酷く寂しい気持ちが胸を締め付けて、深く考える事を拒絶する。エイガストは、興味があればとギヴが記した故郷の場所を手帳に挟んだまま、未だ確認出来ないでいる。
「思い出せねーモンは仕方ねェし、俺だって忘れてる事はいっぱいあるし別に良いんだけど。その割には全然疑わねーんだな?」
「それが、俺も思った以上にすんなり受容れてしまってて、驚いてます」
「なら、完璧に忘れたんじゃなくて、思い出したく無いだけなのかもな」
「そうかも、知れません」
「責めてる訳じゃねーからそんな顔すんなって」
現実を受け入れられず記憶を閉ざす事で自分を守る本能。思い出したいと思う気持ちはあれど、本心はまだ思い出す事を拒否しているのだろう。
落ち込むエイガストにアイゼルトは世話のかかる奴だと笑って、エイガストの口に茶菓子のクッキーを突っ込む。美味しい、と綻ぶエイガストの表情を見て、アイゼルトは満足そうに自分もクッキーを頬張る。
「多分、まだ心が準備できてねーんだろ。そのうち思い出すさ。俺的にはお前が姉と認識してくれただけで満足だし、今はそれで良いんじゃねーの」
「……そういう事にしておきます」
「そうそう。お前は真面目だからな。もうちょっと気楽に考えろ」
アイゼルトが菓子を取ろうと手を伸ばしたが既に皿の上は空になっていた。ちょっと残念そうな顔をするアイゼルトに、ゼミリアスが「食べる?」と自分の皿を寄せる。
「ゼミリアスは良い子だなァ。困った事があったらなんでも言いな」
「じゃあ、エイガストの小さい頃の話、教えて」
「良いぜ。何が聞きたい?」
「面白い話」
「ちょっと、ゼミリアス!?」
自分の覚えていない過去の何を暴露されるのか。
動揺するエイガストを他所に、椅子から降りたアイゼルトは部屋の外に誰も居ない事を確認してから鍵を掛ける。そして手の角度を気にしながら左腕を腰に当てて右手を左腕の輪に突っ込むと、水に沈む様に右手の先が消えた。エイガストの持つ鞄の収納拡張とはまた違った収納方法に、エイガストは驚きゼミリアスは好奇を示す。
アイゼルトが取り出したのは、先日の戦闘で使用していた剣の魔装具。柄の頭付近には三色の魔晶石が埋まっている。
エイガストは全ての種類を知っている訳ではないが、アイゼルトの持つ魔装具が店で売っていた物とは違う事はわかった。施された装飾の絵柄はエイガストの弓と良く似ている為、同じ製作者だと推測できる。
未認可で作られた魔装具は本来没収される。エイガストはパールの監視の元で許可を得ているが、魔人側に属するアイゼルトは国に奪われない為に収納の魔法を使って隠していた。
アイゼルトが差し出す剣をエイガストは何となく受け取ったけれど、自分の魔装具では無いので魔力を込められる訳でもなく、アイゼルトの意図が分からず首を傾げる。
「お前さ、剣にアゲイドって名付けてよく話しかけてたんだぜ」
「武器が喋るって言う?」
「え、何、今もその癖あんの?」
「ん」
武器に名前を付けて話しかける行為には、エイガストにも大いに心当たりがある。記憶を無くしていても、誤魔化し方は幼い頃と全く変わってなくて、ゼミリアスにも「同じだね」なんて言われてエイガストは恥ずかしさに顔を覆った。
アイゼルトにエイガストの目が映すものが何かを明かせば、大笑いした後に納得してくれた。
「……アゲイド?」
エイガストは剣の柄頭に下がる三色の魔晶石から赤色に触れ、幼い頃に"友達"となった存在を思い浮かべ、そっと魔力を流す。アイゼルトが教えてくれた当時呼んでいた彼の愛称を口にすると、大きな嘴と鬣蜥蜴の双頭を持つ者が浮かび上がった。
「ふむ。数日ぶりだな」
「こんなに早く再会できるとは思っても見ませんでした」
「…………はい」
竜を倒した後、しばらく会えないだろうと哀愁を漂わせていた手前、数日で再会を果たしてどんな顔をすれば良いのか。
嬉々とするアスゲイロンドとは反対に、エイガストは複雑な気持ちのまま返事をするのだった。
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