073
「なかなかに暴れモノだな」
「それでこそ、御し甲斐があるというもの」
アスゲイロンドは装置から送り込まれる魔力の流れる方向を整える。
魔力には流れる方向があり、万物の中にも流れる方向がある。魔力を結晶化させるのに無駄に魔力を消費するのは、その過程で大半が外へ流出してしまっているためだ。
今回は結晶化ではなく矢の作製だが、やる事は同じ。エイガストの手から弓へと、魔力を整列させて流し続けるだけ。その激流に刺激されてエイガスト自身の魔力が暴れているが、それを制しているのはゼミリアス。その魔力制御にはアスゲイロンドも一目置く程だった。
魔力は風だ。そうゼミリアスに教えてくれたのは二番目の兄だった。
強い力に歯向かっても吹き飛ばされるのは己自身。だから、流れを利用して自身の望む方向へ魔力の風を吹かせれば、空だって飛べるのだと。
エイガストの中で魔力が荒れ始めている事が、触れた手からゼミリアスに伝わる。強い魔力の流れに誘発されたエイガストの魔力が、砲撃の制御に手一杯のエイガスト自身を襲っている。ゼミリアスは触れた手からエイガスト魔力をゆっくりと引き込む。
以前はエイガストに与える事しかできなかった魔力を、いつからかエイガストから貰う事もできるようになっていた。理屈も原理もわからないが、エイガストに許されている気がしてゼミリアスは嬉しかった。
引き込んだ魔力はゼミリアスの中で落ち着かせて、再びエイガストに戻す。最初こそ苦痛を伴ったが、何度も繰り返す内に二人の中で一つの大きな魔力の循環ができあがる。
力強い循環の流れは、装置から流れ込む魔力を凌駕し、遂には全てを飲み込んで大きく膨らんでいった。
二人の協力を得ても、軸となるエイガストが折れては意味がない。痛みで意識を手放さないように必死に弓を握りしめるエイガストの手に、レイリスの手が重なる。感触のない彼女の手は、いつもエイガストを輔けた。
ゼミリアスのおかげで少しずつ体の痛みが和らぎ、流れる魔力の熱さだけが残る。魔力を繋げた結果だろうか、エイガストの目に様々な物に宿る魔力が見えた。装置の導線、庭に生える草木、戦闘中の兵士、繰り出される魔法、飛来する法使、そして魔獣。
雑念が消えて砲撃に集中できる様になると、エイガストは独り時間が止まっている感覚に陥った。体内で急速に巡り続ける魔力の高まりが、エイガストの速度感覚を狂わせる。
音の無い世界で狙い定めた黒い塊から這い出る歪な竜が、助けてと泣いている様に見えた。
「レイリス」
「はい」
エイガストの呼びかけに、レイリスは穏やかに応える。
「周囲に被害を出さずに、魔獣だけ倒したい」
兵士たちと竜の距離が近い。破壊力の高い矢を撃てば、彼等にまで被害が及ぶ。
エイガストの要望に、少し考えてからレイリスは答える。
「青の属性は不動。動きを止める事が、青の力です」
風は凪ぎ、水は凍てつき、炎は消え、生命は終える。赤とは真逆に位置する属性が青。
レイリスは少し瞼を伏せて、エイガストに尋ねる。
「私の事が、怖ろしくなりましたか?」
「いいえ」
エイガストは即答する。
「レイリスさんは、怖くありませんよ」
そう言ったエイガストの表情は、いつもレイリスに笑いかけるものと同じだった。嘘偽りではなく、気遣っての言葉でもない。エイガストの言葉に勇気づけられたレイリスは、弓に流れ込む魔力から一振りの矢を作り上げた。
強大な魔力を凝縮した矢が宿すのは、深い深い夜の色。
永き睡りへと誘う、夜の青。
「撃てます」
レイリスの言葉を合図に、エイガストは足元のレバーを踏み、ジュリアーナに合図を送る。ジュリアーナが拡声器で兵士に号令を送る声を遠くに聞きながら、エイガストは矢を放つ。
黒い塊から顔を擡げる竜は、飛来する青い軌跡を大きな口で飲み込み、そして、青い光が天を貫いた。
眩しさに誰もが目を伏せるその輝きは、遠く離れた中大陸のシルフィエイン国でも確認されたと言う。
ようやく光が収まり、再び目を開いた時には、竜の姿も埋め尽くしていた魔獣の姿も消え去っていた。
エイガストの希望通り、レイリスはその力で周囲に被害を出さず、竜の生命活動を止めた。
白む空から差し込む光を浴びながら、エイガストはゆっくりと弓を下す。
握っていた水晶には亀裂が入り、中の鱗は黒く変色してしまっている。忘れるな。撃ち終わった後、そう言い残してアスゲイロンドの声は届かなくなった。
今度こそ必ず会いにいこう。エイガストは力無く、水晶をもう一度握りしめた。
「ゼミリアスのおかげで頑張れたよ。ありがとう」
「ん」
疲れて少し眠そうにしながら、ゼミリアスはエイガストの腰に抱きついた。
甘えるゼミリアスの髪を撫でながら、エイガストも欠伸を一つ吐く。倒れるほどに魔力を消耗する事はなかったが、疲労感と眠気が強い。横になったら即座に眠れる自信がある。
「レイリスさんも、ありがとうございました」
「お役に立てて何よりです。エイガスト様もお疲れ様でした」
ただ互いに礼をしただけなのに、向かい合うと気恥ずかしくなってエイガストはすぐに目を逸らしてしまった。レイリスは小さく苦笑する。
エイガストが逸らした視線の先で、庭の兵士たちが竜を倒したにも拘らず、武器を構えているのが見えた。彼等の視線の先を見れば、竜の消えた場所にアイゼルトを抱いたギヴが立っていた。
消えた竜の中から一人の子供を抱えたギヴが現れ、ウォルカは咄嗟に武器を構える。他の兵士も相次いで武器を取ったが、パールが停止の命令を出して一歩前に出る。
「その子が、貴方の大事な人?」
「……ええ」
いつも涼しい表情を見せるギヴが、立ち上がれずに膝を着いたまま肩で息をしている。ギヴの腕で眠る子供は痩せ細っていて、一瞬死んでいるのかとパールは思ったが、呼吸している事に気づいて安堵する。
ギヴの子供であるらしいが髪の色も顔つきも似ていないため、実子ではなく拾い子ではないかと、この時のパールは思っていた。後に銀色の目を見て二人の繋がりを知る。
「医師に診せるわ。連れてらっしゃい」
立ち上がる手助けをしようとパールが右手を差し出すが、ギヴが手を取る前にチラリと視線を巡らせれば、取り囲む兵士たちの視線には敵意が込められている。少しでも反抗すれば、一斉に飛びかかってきそうな勢いだ。
全員を蹴散らす事は容易いが、今は残り少ない魔力をアイゼルトの安全確保に温存しておきたい。
「それは有難いお申し出ですが……よろしいのですか? 私は人間の敵ですよ?」
「貴方とアレックの契約はまだ切れてないわ。なら、協力関係はまだ続いてるでしょう?」
キョトンとするギヴの右手首には、アレックと交わした非加虐の記紋がまだ残っていた。執事の男を引き裂いた以降、すっかり忘れていた。
そんな些細な事など無視すれば良いだけなのに律儀に守ろうとするパールの姿勢は、味方に対して強い友愛意識を抱くスフィンウェルの一族だからだろうか。それ故に裏切りには苛烈な報復が待っているのだが。
「成程。では我が子を保護する代わりに、私に何をお望みですか?」
「他に潜む魔人の情報と、魔獣が発生する仕組みと条件が知りたい」
「詐偽を、述べるかも知れませんよ」
「貴方はこれまで、話をはぐらかす事はあっても嘘を吐いた事は無かったと思うのだけど、違ったかしら?」
数回しか会話を交わしてない敵対する相手を、そんな風に思っていたのかとギヴは薄く笑った。
そして、少なくともパールだけは信用できると考えたギヴは、パールの差し出す右手を掴んだ。
「わかりました。この子が回復するまでの間、世話になりましょう」
「きえちゃった……」
「こんな朝早くにどうしたんだい?」
青く光った遠くの空を眺めていた寝巻き姿の赤紫色の髪の少女を、同じく寝巻き姿の男性が見つけて声をかける。
少女は男性を父と呼び、嬉しそうに駆け寄った。
「あのね、むこうのお空が、パーって光ってね、助けてのこえ、どっか行っちゃった」
「そっか。誰かが声の主を助けてくれたんだね。嬉しいかい?」
「うん!」
良かったねと男性は少女を抱き上げる。
「こんなに冷たくなって。さァ、僕と一緒にもう一眠りしよう。僕たちも助けての声を上げる人を助けに行かなくちゃ」
「はーい」
父親の温かな腕に抱かれた少女は、青い光が消えた空にサヨナラと手を振った。
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