071
通常の結晶化装置は投入口から魔力の多い水や土などの素材を入れて、魔力を抽出して結晶化させる。
ジュリアーナの装置は素材を入れる投入口の代わりに記紋を描いた銀板があり、触れる事でその人の持つ魔力を抽出して結晶化させる。魔法を使わなかった日の魔力を貯めておきたいという、ジュリアーナの我欲で生まれた代物だった。
「どうですか?」
「ちょっと調整が必要だけど、何とかなるかも」
長い棒の先に計測装置を付けたエイガストの問いかけにジュリアーナが答える。カンテラの灯りを左右に振って、分割した装置を持って後方で待機していた兵士を呼ぶ。
組み立てる作業を興味津々に眺めているエイガストの服の裾をゼミリアスが引く。
「エイガスト」
「ん?」
「結晶化しないと、いけないかな? 直接弓に魔力を流すのは、危ない?」
ゼミリアスが直接エイガストに魔力を分ける様に、黒い塊から抽出した魔力を活用できるなら、結晶化という作業を飛ばせるので時間も短縮できる。だが、実際にそれを行なっても安全なのかはエイガストには判断できず、ジュリアーナに尋ねてみる。
「魔力を制御できれば問題ないけど、自信ある?」
「……試してみないと、なんとも」
魔力の扱いが未熟なエイガストでは、勢いよく注がれる魔力を暴発させかねない。レイリスに協力して貰えるとは言え、今までとは勝手が違うという事で、エイガストは試行の機会を求めた。
「それもそうね。それじゃ、調整後に半分の出力で流してみる。それで大丈夫そうなら、本番としましょう」
「ありがとうございます」
「それじゃ、今のうちに休んでて。後で呼びに行くわ」
ジュリアーナと複数人の技師を残し、天幕に戻ると監視塔にいる筈のウォルカが待っていた。
「エイガストさん、すみません。魔人に逃げられました」
「いえ、無事で良かったです」
ウォルカ一人でギヴを止められるとは思ってなかった。むしろギヴがウォルカに手を出さなくて良かったと、エイガストは思う。
エイガストはこの後の作戦をウォルカに伝えて、借りている天幕に戻ってきてようやく一息吐いた。座った時にポケットに入れていた水晶が転がり落ち、それに気づいたゼミリアスが拾って渡した。
「落とした」
「ごめん、ありがと」
「……名を呼べ」
そこで、また声がした気。今度ははっきりと聞こえてエイガストは周囲を見渡す。警戒するエイガストにつられてゼミリアスも周囲を確認するが、気になる気配はない。あるとすればエイガストの持つ水晶から続々と溢れてくる魔力だろうか。
「どうしたの?」
「いや、えっと……名前を呼べって、声が……」
「……これ?」
「……水晶?」
水晶から溢れる魔力。前回もエイガストが水晶を手にした時に、周囲を見回していた様子をゼミリアスは覚えていた。
ゼミリアスのその話を聞いて、エイガストもマジマジと水晶を眺める。屋敷で見た時と変わりなく、鮮やかな赤い鱗が入ってる以外ただの水晶だ。
「もしかして、この赤い鱗が関係するのかな?」
「鱗?」
「うん、水晶の中の」
「……それ、ボク見えてない」
屋敷でゼミリアスと共に隠し部屋を捜索したヒューイも、水晶の事は話しても赤い鱗に関する言及はなかった。
互いに沈黙して、水晶を見つめる。
エイガストに見えて、ゼミリアスに見えない赤い鱗。そこで二人が連想するのはレイリスだった。
「レイリスさんと同じ。俺の目にだけ見える存在……」
「私と同じで赤色に関係する方でしたら、赤の属性を司るアスゲイロンド様かもしれません」
「アスゲイロンド……」
エイガストがその名を口にした途端、突然現れた大きな赤い何かにエイガストの視界は塞がれた。よく見れば細かい鱗がびっしり生えていて、それは水晶の中の物とよく似ている。ゆっくりと視線を上に向けると、大きな爬虫族の目が四つ、長い首を擡げて見下ろしていた。
「うわァ!?」
驚いてひっくり返ったエイガストをゼミリアスが支えに寄ると、エイガストはゼミリアスにしがみついた。守ろうとしてくれているのか、ただ驚いて反射的に抱きついただけなのか、エイガストの視線の先には何も見えないのでゼミリアスはどうして良いか戸惑ってしまう。
「よもや我の顔を見て怯えるとは、忘れたとは真であったか」
「ならば我との約束も覚えていないでしょうね」
「嘆かわしい限りだ」
「そう仰らずに。こうして再び巡り逢えた事を喜びましょう」
大きな嘴が生えた鬣蜥蜴と鰐を混ぜ合わせた様な顔を二つ持つアスゲイロンドは、それぞれの口で会話する。一つの胴体に二つの知性を持っているらしい。
彼等の会話内容から、エイガストとアスゲイロンドは過去に話をした事があるのだと知る。
「お、おふたりは、俺……私をご存知なのですか?」
「ええ。幼き汝と我は"友達"となったのですよ」
「す、すみません。小さい頃の事は、覚えてなくて……」
「知っておる。汝が青と逢った事もな。だのに我の元には一向に訪れぬとはどういう事だ」
「すみません……」
声を荒げるアスゲイロンド。目を見開いて怒りを露わにする表情に怖気付き、謝罪を繰り返すエイガスト。ゼミリアスはエイガストの視線の先にいる何かを睨みつける。
「エイガストを虐めるな!」
「む。虐めてなどおらぬ。そも此奴が先に我との約束を違えたのだ。それを窘めて何が悪い」
「そんなに凄んでも、白鴉に我の声は届きませんよ」
温和な口調のアスゲイロンドが、ゼミリアスの鼻先にまで顔を寄せて対抗するアスゲイロンドを宥めると、フンスと大きな鼻息を立てて顔を離した。
大きな首二つが繋がる胴体は更に大きく、後ろ半分が天幕の外へはみ出している。不可視の存在でなければ天幕が壊れていた。
「改めて名乗ろう。我はアスゲイロンド。世界の赤を担う者」
「属性は活動。赤は全ての源にして、全ての始まり」
一通りの小言を言えて満足したのか、荒々しかったアスゲイロンドの声色は落ち着いていた。
エイガストは溜息を一つ吐いて抱えていたゼミリアスを解放する。それでも厳かな低い声にエイガストの緊張は解れない。
「汝の事はずっと観ていた。我の力が必要だろう?」
「え、でも……」
「魔力の制御。今回の作戦、不動の青には負担が大きいと思いましたが、如何ですか?」
アスゲイロンド視点では違う様だが、覚えていないエイガストからすれば初対面。いきなり力を貸すと言われても、どう扱えば良いのか戸惑いを隠せなかったが、レイリスに負荷をかけてしまっているなら話は別だった。
エイガストは視線をアスゲイロンドからレイリスに移す。アスゲイロンドとの会話は聞こえていないのか、レイリスは強張っているエイガストを心配そうに見つめていた。
「レイリスさん。もしかして、今回の作戦は難しいですか?」
エイガストに聞かれ、レイリスは小さく息を飲む。
そして、少し落ち込んだ表情を見せた。
「全力でお手伝いさせて頂きますが、どこまで通用するかは……正直言って分かりません」
魔法を上手に使えるレイリスなら今回も大丈夫だろうと頼るつもりでいたエイガストは、相談も無く決めた自分の身勝手さを恥じた。急に謝られたレイリスは、自分も難しいと拒否しなかった事を詫びる。
ゼミリアスが話が進まないと止めるまで互いに謝罪合戦を三回ほど繰り返し、レイリスからはアスゲイロンドの力を借りるべきだと勧められた。
「話は纏まりましたか?」
「協力してくれると助かりますが、どうしてそんなに良くしてくれるんですか?」
「当然、"友達"の危機だからに決まっているだろう」
アスゲイロンドの顔が得意げに笑う。怒っていたのもエイガストが約束を忘れていたからで、こんなにも友好的な彼等に怯えていたのかと、エイガストの胸が苦しくなった。
「あの、どんな約束をしたのか聞いても?」
「成人を迎えた暁には、我の納められた地を訪れる事」
「それはまだ、有効ですか?」
「勿論だ。さっさと片付けて逢いに来い」
「……はい」
装置から提供される魔力の制御はアスゲイロンドが、矢の強化をレイリスが担う方針で策を固め、ジュリアーナが呼びに来るまでの間、ゼミリアスとエイガストは身を寄せ合って仮眠を取る。
そんな彼等を炎の赤から覗いているアスゲイロンドは上機嫌だった。
「ようやく我の力を示す時がきたな」
「手腕を奮うのは久し振りです」
「全く。記憶を無くしたと知った時は気を揉んだが、彼奴の手に戻る事になろうとは」
「正式な縁を結べていない我の声は、人工の魔晶石を介せませんからね」
「これもまた縁か」
アスゲイロンドが介せる様な天然の赤魔晶石は魔法協会や貴族が所有しているため、法使でもないエイガストが手にする事はまず無い。
時に魔力溢れる秘宝となり、時に不気味な声の響く呪われた品として、多くの所有者を渡り歩いた水晶がエイガストの手に渡ったのは偶然だったのか。魔人に立ち向かう父に託されて一度はエイガストの手を離れたが、こうして再び彼が手にしたのだから必然だったのかも知れない。
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