070
「返して欲しければ奪ってみなさい。けれど、私の魔法が解けた瞬間、あんたの父親は塵となって消えるでしょうね」
「少しずつの魔力でも、数十、数百集まれば、人一人くらい死の淵から甦らせる程度の魔力になるわ。あんたの父親も、目を覚ますかも知れないわよ?」
「折角目覚めたんだもの、好きに石を集めたら良いわ。あんたがあたし側につけば、アイツも簡単には手出しできないでしょうし」
「あんたたち親子を見てたら、あたしも子供が欲しくなっちゃったのよ。混ざり物は役に立たなかったから、本物のあたしの魔人を、ね」
真っ暗な微睡の中でアイゼルトは、不可能だとわかっているにも関わらず、魔人の誘惑に勝つ事ができなかった自分を呪った。
大きな地響きで目を覚ました街の住民は、崩壊した屋敷に凭れ掛かる黒い塊に恐怖した。真夜中でありながら一瞬にして大通りは逃げ惑う人々で溢れ、軍は街に居る兵士たちを総動員して郊外に退避させる。未だ毒の影響で一人では動けない者も多く、全員の避難を終えるには時間が必要だった。
屋敷に一番近い監視塔にウォルカとエイガストとゼミリアスの三名が登り、エイガストは弓を黒い塊に向けていた。
黒い塊に並の攻撃は通らなかった。それを上回る攻撃手段として、複数の法使による合体魔法や対大型魔獣用の大砲がある。それらと同等の威力を持つエイガストの弓で、黒い塊を射貫こうという作戦だった。
以前エイガストが魔力の枯渇で数日寝込んだ事を知っているウォルカは、パールからの協力者とは言え軍に所属しない一般民に依存するこの作戦を却下したが、ゼミリアスの膨大な魔力提供で倒れる心配がなくなったと言う本人の説得と、他に手立てが無い事から自分が側に付く事で許可を出した。
ゼミリアスが魔力を分け与え、エイガストが弓に魔力を集中し、レイリスの協力で硬く大きな矢を作り始めたところで、突然目の前に人が現れた。
左手には三色の魔晶石が装着されたガントレット。黒いローブには細かい刺繍が施され、飾緒の付いた宝飾で留められたマントを靡かせる、法使の風貌をした銀目の男。
「お待ちなさい」
「ギヴ……」
「エイガスト殿ッ」
ウォルカが前に出てエイガストを背に庇う。ギヴはウォルカに構う事なく監視塔に着地すると、エイガストとゼミリアスを交互に見た後、口を開いた。
「それでは足りません」
「何が、足りないんです?」
「黒い塊を射貫くには、お二人の魔力を全て使っても、足りません」
「あなたはアレが何か知っているんですか?」
「ええ、存じています」
監視塔の木柵に腰をかけながらギヴは、警戒する三人に楽にする様声をかけるが、より警戒させるだけだった。
それでも逃げ出さずに留まる彼等を見て、話を聞く意思があると考えたギヴは言葉を続ける。
「黄泉還りの魔法、と私は呼んでいます」
「よみがえり……」
「死者の帰還を願う魔法ですが、成功した例はありません。御しきれない魔力に術者は取り込まれ、歪んだ魔法は魔獣となります」
塊は魔獣が形を成す前の、卵の様な物なのだとギヴは言った。射貫くにはそれを上回る魔力が必要だとも。
死者を呼び戻したいと願った事は、大切な誰かを喪った者ならば一度は考えた事があるだろう。しかし方法がわからない以上、実行に移す事はない。
だがもし、方法を知っていて、必要な材料が揃っていて、取り戻したい誰かがいたとしたら。不確かなものだとしても、手を出してしまうのだろうか。
「私の力を使えば不足を補えます。手を貸しましょうか?」
「ナンィセァセン!」
「ゼミリアス……」
ギヴの申し出をゼミリアスが全力で拒否した。エイガストにしがみつき小さく体を震わせている。服に顔を埋めて見えないが、布越しに泣いているのがわかる。
エイガストはゼミリアスの髪を撫でて宥めながらギヴに言った。
「これは人間の問題です。あなたの手は借りません」
「そうですか。気が変わりましたらいつでもお呼び下さい」
羽化の時間は夜明けだと期限を告げたギヴは、視線を黒い塊に移すと沈黙してしまった。
ウォルカはこのままギヴを見張ると監視塔に残り、エイガストとゼミリアスは塔を降りて軍が拠点にしている郊外の天幕へ急いだ。
「ハンフティ……」
エイガストに背負われながらゼミリアスが小さく呟く。薄紅色の目がいつもより紅くなっていた。
「謝らなくていいよ」
「でも、ボクがわがまま言わなかったら、倒せてたかも知れない……」
「アイツが本当に味方かわかんないし、力を借りた結果とんでもない要求するつもりだったかも知れないでしょ。ゼミリアスが言わなかったら俺が言ってた。ウォルカさんも何も言わなかったし、これで良かったんだと思うよ」
「ん……」
エルフェンの街を破壊した事実がある以上、ギヴが協力的な部分を見せたところで信用はできない。ゼミリアスはエイガストの言葉を聞いて小さく頷く。
天幕に着くまでの長い距離は、夜風が腫れた目頭を程よく冷やし、気持ちが落ち着くのに丁度良かった。
監視塔に行っていたエイガストが塊を撃たずに戻って来た事で、軍の拠点は慌ただしくなる。ギヴの言葉を鵜呑みにするつもりはないが、今よりも魔力を底上げできる方法があるならば、それに越した事はないだろう。
エイガストの話を聞いて呼ばれたのは、屋敷の地下でアイゼルトと戦っていた薄紅色の髪の女性、ジュリアーナだった。
「こうして対面するのは初めてね」
「あの時は助けて頂いて、ありがとうございました」
「アタシこそ義兄の分も合わせてお礼を言うわ。そこの君も、ありがとう」
エイガストの後ろに隠れていたゼミリアスにもジュリアーナは礼を言い、ゼミリアスは照れながら頷いた。
互いに軽く挨拶を交わし、ジュリアーナが使用している天幕へ足を踏み入れたエイガストは、中をほぼ占領している魔動装置に目を見張った。
「これ、もしかして結晶化装置ですか? しかもこんなに小さい……」
「これで、小さいの?」
「うん。俺の知ってる結晶化装置は天幕三つ分くらいの場所が必要で……あ、この管をこっちに回せば幅を抑えられるのか」
「大きな物を作るわけじゃないから、そんなもんよ」
天幕いっぱいに広がる装置に嬉々とするエイガストの後ろで、あまり興味なさそうに眺めるゼミリアス。
そんな二人を横目にジュリアーナは小さな机の上の図面や書きかけの記紋を押し除けて、乳白色の半透明な石を空いた場所に置いた。
「で、その装置で作った魔石がコレ。弓に合うように調整したいんだけど、良い?」
「はい。お願いします」
適当に座ってとジュリアーナは言うが、椅子らしき物はない。ジュリアーナ自身も箱型のなんらかの装置に座っている。エイガストは頑丈そうな装置を選んで座り、膝の上にゼミリアスを乗せた。
弓を受け取ったジュリアーナは中身の記紋を見て手を止める。本来備えているはずの魔力制限が無い。これでは持ち主が際限なく魔力を込める事が可能となってしまう。改造でも加えたのかと考えるも、書き換えた形跡が見当たらないため、最初からそう作られている。
「この弓を作った人は誰?」
「……わかりません。幼い頃に貰った物なので……」
言葉を濁すエイガストの回答に、ジュリアーナは一瞬手を止めるが、すぐに何もなかった様に質問を続ける。
「そう。じゃあ耐久度は分かる?」
「検証した事がないのでなんとも言えませんが、今までで一番強力だったのはシルフィエインで魔獣を二体同時に倒した時ですね」
金剛杵を使用した射撃は一つの街を縦に割いて尚、多数の盾隊によって空に弾かなければならなかった威力。その他にも何度か大型魔獣を射貫いたにも関わらず、魔力灼けした様子もない。
エイガストの弓はジュリアーナの手がけた大砲よりずっと、耐久度に優れていた。
「耐久はバッチリみたいね。後は魔石用の外部装置を取り付けてこっちは終了なんだけど、問題は魔石よね」
机に置いた小さな魔石一つで、誰でも小型の魔獣を倒せる程の魔力を得られる。しかし結晶一つ作るのに法使数人分の魔力が必要となり、魔力効率は悪い。それでも通常より魔法を使う回数が増える利点は大きい。
「軍人からは提供して貰えるとして、住民からも協力して貰いたい所ね。法使でもない人から集めるなら、相当な人数が必要だから」
「あの、装置が集められるのは人限定ですか?」
「いいえ、魔力を含むなら何でも良いけど。物で人以上に魔力を保有する物って、そうそう無くない?」
「一つ、試して貰いたいものがあります」
人間と魔人。二人きりで残された監視塔の上では沈黙が続いていた。
ギヴは視線こそ黒い塊から外さなかったが、ウォルカに疲れないか尋ね、否定で返されたのが唯一の会話だった。
脅威ですらない相手に睨まれ続けても取るに足らないが、僅かでも身動ぐ度に威嚇されるのは鬱陶しくはある。距離が保たれてる分、無邪気に群がる児童よりマシだが。
静寂の中、ギヴは眼下の塊に近づいていく数人の影を見つける。持っている灯りに照らされた人物は、エイガストとゼミリアス、そして薄紅色の髪の軍人の女性だった。
長い棒を黒い塊に向けて何かしている彼等を、興味深そうに眺めるギヴの口角が上がる。何人かを犠牲にして魔力を補うものだとギヴは思っていたが、微かに聞こえる会話からは黒い塊の持つ魔力を転用しようとしているらしい。それが上手くいくなら、ギヴの手は確かに不要だろう。
徐に立ち上がるギヴに、ウォルカは身構え剣に手をかける。目を閉じたギヴの姿が薄くなり、逃すまいと伸ばしたウォルカの手はすり抜けた。
空気しか掴めなかったウォルカ一人が監視塔に残された。
ここまで読んでくださりありがとうございます。
よろしければ下記の★にて評価をお願いします。
誤字脱字も気を付けておりますが、見つけましたらお知らせください。