068
冷たい筈の秋の夜風が生温く肌に纏わりつく戦場で、二人の魔人が争いを始めてから随分と経った。
「正に化物だな」
戦闘が始まった頃から仮眠をとり、目覚めた後も魔人同士の戦闘は終わっておらず、疲れを見せないどころか強くなっているギヴに、アレックは正当な罵詈を吐いた。
最初こそ互いに魔法を撃ち合い、時折飛来する流れ弾で退避したスフィンウェル軍にも被害が出ていたが、次第に一方的な惨殺に変わっていた。その間もギヴは表情一つ変えなかった。
即座に塞がっていた筈の傷口からは血が流れ、自らの血の海に這い蹲るランの髪をギヴが掴み上げる。この程度に弱めれば人の手でも殺せるだろうと思ったギヴは、丘の上に退避してからもずっとこちらの様子を伺っていたパールを見上げた。
「行きましょう」
ギヴの視線を合図と受け取り、パールの率いる第一陣は前に出た。その中にアレックも含まれている。
彼等を待っている間、ギヴは街のある方角を見る。時々、膨らんでは弾ける魔力の躍動を感じ、街でも小さな戦いが起こっているのだと判った。今は落ち着いていて、その理由は人間は夜には寝るものだと思っていたからなのだが。
「……?」
小さな点だった魔力の塊が大きく膨らむ。また魔獣が生まれた。しかし、本来そこで止まる筈の魔力は膨張を続け、その強さは魔人に匹敵する勢いだった。
「ふッ…ふふ……クッ」
未だ回復しきってないランが笑い出し、ギヴは掴んでいたランの体を地に叩きつけた。ランを凝視するギヴの表情に、ランはより笑い声をあげる。
「子供の扱いは……あたしの方が上手かった…ようね……」
冷めた目でいたギヴの表情が、見る間に驚愕へと変わる。
「そう、そうよ。あんたのその表情……あたしはそれが見たかったの……」
恍惚の不気味な笑みを浮かべたランの言葉を最後まで待たず、ギヴは街を目指して転移した。忽然と姿を消したギヴに数名の兵士が騒めくが、パールは眼前のランを討伐する事に集中するよう指示を出す。
流した血は瘴気となって傷口へ還り、蹌踉めきながらもランは立ち上がった。
これ以上回復する猶予を与えてはならない。
アレックはランの頭上から魔力の塊を叩きつけるが弾かれる。視線と共に向けられた指先に戦慄が走り、直感的に横へ跳んだ。高温の熱光線がアレックの脇を掠めた。
間を置かず一人の兵士がランに斬りかかる。ランは指先一つ振るうだけで魔装具の刃を掻き消し、同時に所有者へ大量の魔力を逆流させて絶命させた。
一瞬、パールの表情が歪む。ランは嬉しそうに目を細める。
「人間のお姫様。あたしのモノにならない?」
「お断りします」
「そう。なら、力尽くで手に入れるわ」
ランが軽く腕を振るうと、先程絶命した兵士が立ち上がる。
目や口から流れる血はそのままに、魔装具の剣をパールへ向けた。操られた兵士のなんと遅い事か。パールは軽快なステップで剣を躱し、一息にランの懐に潜り込み右の拳を振り抜く。
魔力の盾に阻まれるも、それごと打ち砕き、殴打されたランは吹き飛んだ。それを追いかけた、追撃。何度も盾を張ろうとも、パールは打ち砕いては一撃を喰らわせる。
パールがランを抑えてる間に、ランに操られた兵士と繋がっている魔力を魔法兵士四人がかりで断ち切り、魔装具と亡骸を回収した。
悔しさと怒りと悲しみの感情で我を失わないように唇を噛み締めて、死者の見開いた瞼をそっと閉じた。
「魔装具は使用するな。全員青銅で向かえ!」
「魔法兵は媒介を悟られるな。苦手でも手を使え」
連続で繰り出されるパールの拳も、僅かに出遅れるタイミングがある。その隙を突いてランはパールを弾き飛ばす。地に伏す事なく耐えたが、胸を強く押されて呼吸ができず大きく咳込む。
ランは胸元から取り出した赤い石を手にパールへ迫る。間に入る兵士は剣を振るい、石を持つランの腕を斬り落とす。落ちた腕は地に落ちる前に浮かび上がり、兵士の足元を擦り抜けてパールへ飛んだ。
「何!?」
「あたしを前に余所見なんて、妬けるわ」
足元に気を取られてしまった兵士は、ランに顔を無理やり向けられてその口に噛みつかれる様なキスを受ける。兵士の体は見る間に枯れ木の様に萎んだ。
パールの目前に迫った腕はアレックによって串刺しとなって地に縫い付けられていた。青銅の武器は魔力を通し難く、魔法で強化する効果は得られないが、ランの送り込む魔力の逆流を防いでくれる。
ランの魔力に全力で抵抗していたパールには少しでも休息が必要だ。二人の魔療使が素早くパールの両脇を抱えて前戦から遠ざける。
アレックは高濃度の酒を串刺した腕にかけ、燐木を擦って火をつけた。焼け落ちた腕は瘴気となって散り、残った血い石をアレックは踏みつけて砕く。
枯れた兵士の体は折れた首から千切れ、ランの手には頭部だけ残っていたが、クシャリと音を立てて握られて砂の様に砕け散る。落ちた右腕は疾うに生え替わり、兵士から奪った剣が握られている。
「フンッ」
青銅の槍を振るいランを追い立てるアレック。青銅の長斧で連携するナーガス。刃がランの左手を掠め、魔法動作の邪魔をする。
退がって距離を取ろうとするランへ、後方から青銅の矢の雨を降らせる飛矢隊。
仲間を殺された人間が見せる感情を期待していたランは、無心の彼等に少し苛立つ。
「アイツの入知恵ね。ほんと、邪魔しかしない……ッ!」
妬みと嫉み。それに准じる憎しみ。その感情を得ようと、見せつける様に兵士を殺して見せたのに、彼等の感情は驚く程に凪いでいた。
ランは左腕を一振りし、飛矢隊の第二波を全て撃ち落とす。右手の指では半円を描き、武器を手に迫る兵士の足を魔法の刃で斬りつける。それでも止まらぬ進撃に更なる魔法を放とうと左手を翳し、手首から先が崩れ落ちている事に気づいた。
「ひッ!?」
黒く壊死っていく腕は、ランの回復速度と相まって肘へと広がり、ランは慌てて左腕を斬り落とした。そんな腕に気を取られて注意を欠いたランの首を、ナーガスが背後から刈り取る。
ランは落ちかけた自分の頭を右手で支えるが、うまく繋がらない。首の斬り口は左手と同じく、黒く壊死り始めていた。
「ごれ……ガル…ィネズ…殺し…だ毒……」
ランは自分の体が崩れた原因を悟る。
つい先日、海で遊んでいたカルトイネスが人間に討伐され、その死因が回復速度を利用された毒だった。毒を生成した弓の青年が不在だったから、兵士の武器に塗られているとは思ってもみずに油断していた。
毒だと分かれば解毒の後に回復を行えばいい。しかし、カルトイネス程に回復速度が早くないランでは、回復が終わる前に新たに斬り傷を負い、そのうえ兵士等の感情から強化する事もできず、攻撃に回せる魔力が減り防戦一方になり始めた。
首を落とし、背を裂き、足を貫き、腹を薙ぐ。
アレックとナーガスは視線のみで意思疎通を行い、一方が注意を引いてる間にもう一人がランに一撃を入れ、飛矢の届く場所まで追い詰めては離脱を繰り返し、ランの持つ核の位置を探る。そして、他の傷口よりも優先して治療する下腹部を集中的に狙った。
「調子に……乗ってンじゃ、なィわよ!」
ランを中心に全方位の地面に亀裂が走り、大きく陥没する。空を飛べるアレックは上へ逃れたが、ナーガスは下半身が地面に埋まってしまった。
ナーガスの首を狙ってランが剣を振り上げ、アレックが翔けつけるより速く間に入って攻撃を防いだのはパールだった。
「下腹部!」
「ッふ」
アレックがランの弱点を叫ぶ。パールは左手でランの手の上から柄を握って剣を受け止め、攻撃を防ぐと同時に捕えて逃さず、鋭い爪のある右手の青銅の籠手でランの下腹部を貫く。
押し出された血い石は宙を舞い、アレックの槍で粉々に砕かれた。
「これで…終わ…たと……思わなィ…こと…ね……」
パールの腕が引き抜かれたランは、自力で立てずその場に崩れ落ちた。体の端から黒い霧となって溶けていく。
「魔人は……何度でも…蘇る。人間が…生きて…る…限り……」
「そう。なら何度でも討ち滅ぼしてあげるわ」
「……憎嫉で溢れる世界で……また…逢い……」
大地に残る大きな爪痕と犠牲者を残して、跡形も無くランは消え去った。
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