065
アイゼルトと別れたジュリアーナは、街の片隅にある寂れた診療所を訪れていた。
屋敷にいた子供たちの中で生き残ったのは三人。彼等の診察と治療を依頼する代わりに、足の不自由な老医師の手伝いをしている。
「軍の配給が来てたんで貰ってきました。調理場借りますね」
「ああ、好きに使ってくれ。子供たちはさっき目を覚ましたよ、声をかけておやり」
「ほんと? ありがとう」
作業台で薬草の調剤をする老医師を残し、ジュリアーナは奥の部屋へ。床に敷いた布の上で少し窶れた子供たちがお喋りしている。
「あ、ジュリ!」
「おはよう。調子はどう?」
「もう苦しくないよ」
「おなかすいたー」
「そ、良かった。さっき軍から配給品貰ったから、用意するね」
「やったー!」
「ええー。ジュリ飯作れんの?」
「あー、そんな事言うなら食後の飴玉無しにしちゃおうかなー?」
「うそうそ、ごめんって」
「しょうがないなあ。それじゃ、ちょっと待っててね」
部屋を出て扉を閉めた瞬間、ジュリアーナから安堵の涙が溢れた。子供たちは毒で魘されている間の出来事を、きっと覚えている。それでも明るく振る舞っているのに、大人の自分が泣いてはいけない。
頬を叩いて涙を堰き止め、ジュリアーナは子供たちと老医師が食べやすいように配給品からスープを作った。味が薄いと軽口を叩きながらも、鍋いっぱいのスープは子供たちによって綺麗に完食された。
食後の薬を飲んだ子供たちが口の中の苦味を飴玉で誤魔化してる間に、ジュリアーナは老医師の荷造りを手伝う。
混乱した街では辺鄙な場所の診療所の足の悪い老人なんて、強盗が真っ先に狙う恰好の的。だから物資を届けに来た軍が国都に戻る時に、希望者は乗せて行ってもらえる事を利用して、老医師は国都の手前にある小さな街にいる息子夫婦の元にしばらく身を寄せると言う。
子供たち患者のために今まで残ってくれた事に感謝し、ジュリアーナは謝礼を少し多めに渡した。
子供たちと共に馬車の待つ街の中央まで向かう途中、行く手を阻む男たちが現れる。薄汚れているが、上等な服を着たリーダー格の男が「荷を置いてけ」と剣を手に脅す。
その剣先は、身一つの子供たちではなく老医師の鞄を持つジュリアーナを狙っていた。
「あなたたち、こんな事をして良いと思ってる?」
「うるせェ! 黙ってそれを置いてけ!」
「軍の配給は来たし、もうすぐ薬だって出来上がるって聞いた。それでも私たちを襲うほどの理由って何よ?」
「お嬢さん、その男はクインデン商会の息子ですよ」
男の顔を知っている老医師がジュリアーナの後ろで語った。
クインデン商会は混乱の初期に街中の飲料を買い占め、かなりの高額で転売するという、被害が酷くなった原因の一つを担っていた。
そして耐えかねた住民が集団となって商会の倉庫を強奪し、商会長である彼の父が毒に侵された時、誰からも助けて貰えず死んでいったと言う。
「つまり、自業自得ね」
「ッ! このアマ!」
「図星突かれてキレてんじゃないわよ!」
顔を真っ赤に怒らせて、男は剣を振り上げてジュリアーナに駆け寄る。剣術の基本すらなっていない隙だらけの攻撃に呆れつつ、素早く杖の引金を引く。
撃ち出した魔法の鎖は男の両手を頭上で絡め取り、勢いよく後ろへ押し倒す。手から溢れた剣が顔のすぐ横に落下して男は情けない悲鳴を上げた。
男に付き合っていた仲間が逃げようと背を向けたので、同じく魔法の鎖で捕縛。その後に真上に空砲を撃てば、音を聞きつけた巡回の兵士が駆けつけるので男たちを引き渡した。
「ジュリすげー……」
「みんなはあんな大人になっちゃダメよ?」
ジュリアーナは老医師の手を引いて、ポカンとする子供たちに声をかける。我を取り戻した子供たちが、あっという間に強盗を退治したジュリアーナの背中に羨望の眼差しを向けていた事に、彼女はまだ気づいていない。
街の待合広場に並数台の戦馬車に、荷物を抱えた避難民が乗り込んでいく。
子供たちも馬車に乗り、国都の養育施設に保護される。この街で唯一の保護施設は魔人の屋敷しかないし、代わりの施設を建てる事も直ぐには出来ない。
帰る場所も保護者も居ない彼等だけでは、冬を越すのも難しい。子供たちも分かっている為か、行きたくないと我儘を言う事はしなかった。
「ジュリ、ぜったい会いに来てね!」
「負けたら許さないからな」
「待ってるからね」
仇を取ると言って街に残るジュリアーナと別れを惜しむ暇もなく、多くの避難民と共に子供たちを乗せた戦馬車は暗くなる前に街を出て行った。
『あーあー。ジュリ。聞こえるな?』
馬車を見送るジュリアーナの耳に突然届く、少し籠った声はアイゼルトの伝信。一方的なので受け取る事はできても返す事はできない。
夜には拠点で落ち合うというのに態々言葉を飛ばしてきたという事は、予定の変更でもあったのだろうか。そう思ったジュリアーナは内容に注意する。
『ジジイがランを戦場に引き摺り出した。コルトを殺るなら今しか無ェ。すぐ屋敷に来い』
ジジイが誰の事を示しているかは知らないが、魔人であり屋敷の主人であるランと敵対していると言うなら、アイゼルトの味方なのだろう。
ランの部下であるコルトはジュリアーナより大きな石を持っている。アイゼルトと二人がかりとは言え、しっかりと対策を取らなければ負ける事だってありえる。
そう考えて、ふと巡回する兵士の姿が視界に入った。
斜陽の光が間も無く世界の果てに沈む頃、屋敷に踏み込む時に備えて早めの夕食を済ませたエイガストとゼミリアスは、軍の天幕の一角を借りて武器の整備と道具の確認をしていた。
「ゼミリアス、大丈夫?」
「ん、大丈夫」
そう言いながらも少し落ち着かない様子だったので、準備を終えた所でエイガストが手招いてゼミリアスを隣に座らせる。
ゼミリアスの気持ちが高揚して落ち着かない様子を見ていると、逆にエイガストは少し落ち着くことができていた。
「エイガストは書けた?」
「一応ね。レイリスさんの見えた範囲だけだけど」
レイリスの目を借りて簡易的に記した屋敷の見取り図。後で知る事もできるだろうが、エイガスト自身が早めに知っておきたくてレイリスに頼んだ。
魔人の住む屋敷についてエイガストも独自に聞いてみたところ、屋敷に対して恐怖や不快感を持つ者は少なく、むしろ街中の孤児を引き取り養育していたと言う事で好意を抱きながら、庇護される子供の待遇の良さを羨ましいとさえ感じていた程だった。
しかし、川の毒による騒ぎが広がってから屋敷から子供たちの姿が消えた。商会との取引は途絶え、以降閉ざされた門が開かれる事はなく、夜に部屋の明かりが灯る事もなくなったと言う。
自分たちの安全確保に必死で、街の人は誰もその行方を知らない。手がかりを探す為にも、描いた見取り図から探索する場所を絞り込もうと睨み合う。
「エイガスト様」
呼びかけにエイガストが顔を上げると、少し戸惑った様子のレイリスが覗き込んでいた。
「お屋敷に誰かが近づいております。暗くて良く見えないのですが、お二人ほど……」
「軍の人では無さそうですか?」
「明かりを持たずに移動しておりますので、はっきりとは……申し訳ありません」
「いいえ。知らせてくれてありがとうございます」
エイガストは礼を言うと見取り図をポケットに仕舞い込み、ゼミリアスと共に天幕を出る。
この拠点は街の南側の外れにある平野に陣取られている。屋敷の位置は街の南東。そこまで遠い場所ではない。
屋敷に向かう準備をしている兵士の合間を縫って街に向かう。その途中でウォルカに見つかり声を掛けられた。
「エイガスト殿、ゼミリアス殿。どちらへ?」
「あ、えっと。ちょっと、気になる事が……」
「……。屋敷で何かありましたか?」
言い淀むエイガストが無意識に向けた視線の先と進行方向からウォルカは目的地を言い当て、エイガストが小さく頷くと今度は目的を質問した。
「その、暗くてよく見えなかったんですが、誰かが屋敷に近づいてて……その確認に」
「そうでしたか。イヴァル少将、彼等について行きなさい」
「ハッ」
ウォルカは後ろに控えていた将官をエイガストとゼミリアスの護衛に指名する。長い金色の前髪を掻き上げてイヴァルは「よろしく」と片目を閉じる。
不確かな内容で兵士の手を煩わせる事にエイガストは戸惑うが、イヴァルも屋敷の調査に向かう用事があると言ってエイガストの背中をグイグイ押し、結局一緒に行く事になった。
軍で入手した話によると、無人となった屋敷に忍び込んだ者が出てこないらしい。通報を受けた以上、屋敷内を捜索しなければならず、イヴァルがその任務を受けたという。
「独りで行くつもりだったんですか? 他の人は?」
「僕は独り部隊なんですよ。指揮官やれる程の能力もないですし」
単独部隊と聞いて思い当たる任務は、諜報や暗殺。伺う様に横目で見るエイガストと目が合えば、イヴァルはとても愛嬌のある笑みを返してきた。
これが作った笑みだとするなら、敵には回したくないとエイガストは思った。
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