063
川を隔てた二つの街が、橋が架けられた事で一つの街になったのは随分昔の事。
いくつもの支流が一つになった大きな川。過去に何度か洪水に見舞われた事もある。その度に人々は対策を立てて備えていたが、毒に汚染された川の水を撒き散らしながら悠然と泳ぐ魔獣に対しては、為す術もなかった。
避難する人々の流れに逆らい、鳥にも似た奇妙な形の防毒マスクをつけたジュリアーナは川へと向かう。
「まずは一発!」
右手に持つ魔装具の杖から魔法を発射する。撃ち出した赤い弾丸は川の中央に佇む魔獣の巨体へ直撃。小さな風穴を開けるもすぐに塞がってしまう。
当てたのは水面に出ている魔獣の背面。効きの弱さから核に近くもない。頭部を確認しようにも、魔獣の巨体を宙に浮かせるほどの魔法をジュリアーナは使えない。強固な魔獣に刺激を与え続けて顔を出す様に仕向けるしかない。
「魔人に、食中毒に、略奪の次は大型魔獣。ほんっとに休む暇もないんだから!」
魔装具の杖の調節ネジを回して威力を上げ、もう一つのネジを回して黄と赤の魔晶石に合わせる。魔法を発動させる記紋を描いた莢を杖に装填し、魔獣の背面に再び撃ち込んだ。
大きな音と共に炎が爆ぜる。最初の一撃とは比べものにならないほどに、魔獣の背面を大きく抉った。魔獣の体は川面に沈み、辺りはしんと静まり返る。
魔獣は消えていない。核はまだ残っている。ジュリアーナは物陰に身を隠すと莢の種類を変更し、魔獣の次の行動に備える。
川の水を激しく波立て、魔獣が水中から飛び出した。
巨大な口と寸胴な胴体、短い四肢ながら馬並みの速さを誇る水辺の王獣、鰐獣。しかしその体躯は通常より数倍も大きく、簡単に人を飲み込む事ができるだろう。
巨大な体に押し出された川の水は、土手を超えて街に流れ出す。通りに置き去りにされていた屋台や木箱を押し流しながら、激流が物陰に潜むジュリアーナに迫る。
走るジュリアーナの足が水に飲まれる寸前、背中を誰かに掴まれた彼女の体が空へと舞う。さっきまで自分がいた場所が濁流に呑まれていくのを眼下に、ジュリアーナの体は二階建ての屋根へと下ろされた。
「だいじょーぶ?」
白い衣装に身を包むエルフェンの子供が、ジュリアーナの隣に降り立つ。ジュリアーナの無事を確認したエルフェンの子供は、魔獣に向かって飛び去った。
ジュリアーナは慌てて防毒マスクの拡声器の音量を上げて叫ぶ。
「川の毒はまだ完全に消えてないの! 水に注意して!」
一時は川の周辺にまで影響を及ぼしていた毒だったが今は落ち着き、今は川の水さえ体内に入れなければ体調を崩す事はなくなった。それでも魔獣が川で暴れて水飛沫を上げる為、接近するなら口や鼻に入らない様に保護する必要がある。
小さなエルフェンの子供は手を振ってジュリアーナに聞こえた事を合図する。よく見れば、口元に黒い面をしていたので警告の必要はなかったのだが。
エルフェンが魔獣へ魔法を放ち、ジュリアーナから遠ざかるように気を引いている間に、ジュリアーナは家の間隔が狭いところを選んで屋根を移動し、魔獣の全体が見える位置に立つと腰に提げていた本型の検出装置を起動する。
検索範囲を魔獣一匹に絞り、行動の癖やエルフェンの攻撃を受けての反応と魔力の流れを計測する。
「お腹側かなー? 内部だったらヤだなー」
噛みつきや突進、似つかわしくない長い尾でエルフェンと交戦する鰐獣の魔獣は、攻撃が届かない距離に離れると魔法を使い、その身は川から上がろうとしなかった。
目視できる場所に核はない。あるとすれば、ずっと水面下に隠された下半身か体内。ジュリアーナは下腹部周辺だと予測している。
ジュリアーナは検出装置を腰のベルトに結び直すと前戦の様子を観る。数人ながら魔法兵士の姿も見られるが、水に気を遣いながらの戦闘により、思う様にいっていない。
魔獣を陸に上げる手段として、足元の水を凍らせる方法がある。そうすれば毒の水を撒き散らす心配もなくなり、街中を戦場にする必要もなくなる。それだけの魔力はジュリアーナにはないが、エルフェンの膨大な魔力ならば可能となる。
そうとなればとジュリアーナがエルフェンの元へ向かおうとした時、橋を渡る人影が視界の隅に入った。毒の影響が出てから危険区域として立ち入り禁止されている場所に、エルフェンだけでなく人間まで立ち入りを許すとは。
ジュリアーナが降りる場所を模索して屋根を駆ける間に、大弓を持つ青年は橋の真ん中に立って魔獣へと構える。
「ちょっとちょっと、何考えてんのよ!」
外観で大弓が魔装具だと判るが、大型の魔獣を射抜く高出力に耐えられるほど頑丈には出来ていない。時々居るのだ。戦場を掻き乱す、腕自慢をしたいだけのお坊ちゃんが。
隣接する家が途切れ、屋根伝いに走れなくなったジュリアーナは身体強化の魔法を自分にかけて飛び降りる。本当なら縄を使って安全に降りたいところだが、今は橋の上のお坊ちゃんを止める事が先決だ。
「いッ……ッッたくない!」
着地の衝撃で痺れる足を我慢して走る。走れば涙目だって乾く。ジュリアーナが橋のそばまで来るころには、弓を構えた青年の矢は、槍の様に巨大化し、濃い青へと変色する。
ダメ。あの橋の柵は低い。矢を放った反動で、青年は橋から落ちてしまう。走りすぎて制止の声も出せない。
ジュリアーナは杖の魔晶石を青に変更し、莢の記紋を拘束用に素早く差し換える。ジュリアーナが狙いを青年に定めて放つのと、青年の矢が魔獣へ放たれたのはほぼ同時。青年の矢は川の水を凍らせながら突き進み、魔獣の後ろ半分を吹き飛ばした。
仰け反った魔獣の顎に煌めく血い石をエルフェンの子供は見逃さず、勇敢にも魔獣の傷が塞がる前に飛び掛かって核を打ち砕く。魔獣は風に溶けて消滅し、エルフェンは凍った川の上に降り立つ。
矢の威力を示すかの様に左右に分かれた氷漬けの川に呆然とする魔法兵士とは違い、エルフェンは驚く事なく氷の上を渡って青年のいる橋の方へと歩く。
魔獣の討伐を確認し、ようやく橋まで辿り着いたジュリアーナは大きく呼吸をして息を整え、魔法の網で地面に拘束された青年のそばに寄る。
弓の魔装具と大型の魔獣を一撃で葬る青い矢、そして将軍と同じ耳飾りを確認したジュリアーナは、この青年が国都の射撃手であり"青の候補者"なのだと確信する。
「弓の威力に対しての反動力はちゃんと計算しなさい。最悪怪我じゃ済まないんだから」
ジュリアーナは髪を結んでいるリボンを解き、魔力を消耗してぐったりしている青年の手に握らせながら苦言を呈す。
凍った川を渡って近づいてくるエルフェンの子供が来る前に、ジュリアーナは青年に背を向けた。
「じゃ、将軍とアレックにヨロシク言っといて」
拘束魔法は時間が経てば消えるし、エルフェンならその前に難なく解いてしまうだろう。駆け足でその場を後にし、誰も見ていない事を確認して路地に入り、抜け穴を通って地下への階段を降りる。
細い通路に明かりはない。ジュリアーナはマスクを取ってカンテラの明かりを点けて奥へと進むと、行き止まりの小部屋で銀色の目を持つ少年が一人待っていた。
「よぉ、どうだった?」
「どうもこうも私の敵う相手じゃ無いわよ、多少は削ったけど。止めは他の子に取られちゃったわ」
「そいつァ残念だったな」
笑いながら心にもない言葉で労う少年アイゼルトが手招き、ジュリアーナは溜息を吐きながら左腕の袖を捲って正面に立つ。
肘の近くに現れた血い石。気づいた当初には小指の先にも満たなかった大きさは、今では大粒の釦に近い。アイゼルトが言うには魔獣を倒すと大きくなり、他の石を吸収する事でより強い力を得ると言う。
しかし強くなりすぎた石は本人の理性と肉体を奪い、血い石の主の支配下に置かれる。この石の主は、街の孤児を拾い上げ、街の慈善活動を率先して行って住民の信頼を得て、石を持つ者同士を戦わせて資金を稼いでいた屋敷の主人だ。
「そうそう、ガプルが死んだぞ」
ジュリアーナの石を診ていたアイゼルトの言葉に、ジュリアーナはビクリと肩を震わせた。
三人の執事の一人。小太りの壮年の男。子供たちには陽気なオジサンだが、屋敷に出入りする女性に対して時々舐る目線を向ける気持ち悪い男、というのがジュリアーナの印象。彼が数日前にコルトの命令で街の外に向かった事は覚えている。
「アイツが連れて行った子たちも、みんな……?」
「だろうな」
「そっか……」
「あまり怒ンなよ。取り込まれるぞ」
「わかってる」
川の毒に当てられた子供たちが、看病をしていたジュリアーナの目の前で次々と魔獣へ変わっていった。同僚で先輩だったメアリは魔獣になった子供たちに襲われ、彼女もまた魔獣へと変貌したあの日。笑いながら魔獣を取り込んでいった執事たち。
石を強化するために養われ、人のまま死ぬ事も許されず、魔獣となっても彼等の使い捨ての道具にされる。真実を知った怒りで石に意識を乗っ取られかけたジュリアーナをアイゼルトが止めていなければ、今頃は執事たちの仲間入りになっていただろう。
その時からジュリアーナはアイゼルトと共に行動している。
「ん。今日のはデカかったな、二人分吸収しても良いと思うぞ」
「じゃあそうする」
屋敷にいた子供たちはもう居ないが、医療院で寝込む人の中に石を持つ者は多い。彼等が魔獣に変わる前に少しずつ石を取り込む、目的こそは違えどその行為は執事と同じ。ジュリアーナはその日から軍への定期報告を絶っている。
ジュリアーナは部屋の隅の古い棚に防毒マスクを置き、アイゼルトの後ろの梯子から外へと向かった。
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