058
季節が晩夏に差し掛かろうとする頃、アレックとギヴは山を登っていた。
すぐにでも街を目指したいギヴだったが、傷が完治するほどの魔力はまだ回復しておらず、アレックもアレックで別件の用事を終わらせてからだと言い、信用を得るためにも仕方なく同行している。
ギヴの右手首には痣のような刻印が一周しており、アレックにも同様の刻印が左手首に一周している。
アレックがギヴと一時的に手を組むために施した非加虐の記紋。ギヴが人を傷つけるか、より強い魔力のどちらかによって紋様を消失させた時点で、アレックはギヴを敵と見做し協力関係を放棄するという。
ならばとギヴも同じものをアレックの魔力では消せない強力なもので施し、魔人を討伐後に抹消すると言って街に向かう事を急かすのだった。
アレックが向かう先は川の源流で、焼却したエンビの新種が一節足らずで再び咲いていた原因の追求。
現場に着いてアレックが気づいた事は、湧き出る水に含まれる魔力が多い事。これが周囲の土を豊かにしてはいるが、焼却した季節外れの花を短期間で復活させる程ではない。
「アレック、あちらを」
水の染み出す苔生した岩肌のずっと上に登ったギヴが、アレックを呼ぶ。舌打ちしながらアレックは魔法で高く飛翔し、ギヴの隣へ着地する。
ギヴの示した先には山に囲まれた大きな池と隣接する小さな集落。街と通じるような道は見当たらず、外部との接触がほぼ無い陸の孤島。
「あの池から流れてきている様です」
水底の土から染み出した池の水が、長い時をかけて山の反対に位置する岩の隙間へと流れる。その間に土中の魔力を吸収することで魔力が少し強くなる事は珍しく無い。
だが態々アレックを呼んでまでギヴが示した池に何があるのかと、目視で見つけられなかったアレックは魔力の流れの方を注視する。
「魔力溜まりか」
アレックの見えた魔力溜まりは池の底に多く沈んでいた。それが少しずつ土に染み込んで川に流れたらしい。
あらゆる物に宿る魔力は流動的なもので大半は数日で消えるが、数ヶ節経っても消えずに溜まる事が稀にある。
そんな時は魔法を使えば魔力溜まりは解消するうえに少し威力が増すため、野営地で見つけた時は火起こしの絶好の場所として取り合いになる事もある。
「どうも変だな」
「おや、どんな風にですか?」
「知るか」
規模が大きいせいか、通常見られる魔力溜まりとは違った違和を感じるも、上手く言葉に出来ずにアレックはギヴの質問を蹴った。
アレックはベルトのポーチから望遠眼鏡を覗き込んで、池の周囲を見回して違和を感じる場所を探っていると、池の上を漂う小さな筏を見つけ、その上には小さな子供が倒れていた。
弾ける様な飛翔で筏に向かうアレック。それをゆるりと追うギヴだったが途中で何かに気づき進路を変えた。
人一人がかろうじて浮く粗末な筏で横たわる人物を即座に抱き上げたアレックは、筏が沈む前に飛んで岸に移る。アレックが踏みつけた衝撃で筏は砕け池の上に破片が散らばった。
「おい、返事しろ!」
筏から救出した少女の頬を、アレックが軽く叩いて意識を確認するが目を覚さない。口元に手を当てれば、呼吸はあるがかなり浅い。どうやら睡眠作用のあるものでも口にしたらしい。
集落の落ち着いた場所で介抱しようと再び少女を抱えた時、数人の足音が近づいてくる。方向からして集落の人物だろう。丁度良かったとアレックが口を開く前に、顔を見せた集落の男たちが怒声を発した。
「余計な事をしやがって!」
「そいつを池に返せ!」
男たちから口々に飛び出す罵声から、少女を池に流したのは彼等だと判明する。アレックの少女を抱く腕に力が入った。
「お前等が少女を殺そうとしてンのはわかった。理由はなんだ」
「他所者のお前に言う必要はない!」
「なら俺も少女をお前らに渡す必要は無ェ」
「ふざけるな!」
怒った男たちは足元の石や枝をアレックに向かって投げつけるが、アレックが顎先一つ動かすだけで宙で止まり、逆に男たちに向かって飛んでいく。
「ば…バケモノめ!」
「おい、応援呼んで来い!」
男たちが怯んだのは一瞬だけで、返ってきた石を両手で防ぎながら、男の一人が集落の方へと走り去る。頭に血の登っている今はアレックが何を言っても聞く耳を持たないだろう。
アレックは気絶した少女を抱えたまま高く飛び、喚きながら追いかける男たちが見えなくなる距離まで離脱する。
陽が沈み、集落からそこそこ離れた林の中で火を起こし、適当に捕まえた蛇を裂いたものを、これまた適当な枝に串刺して焼いている時に少女は目を覚ました。
「起きたか」
しばらくは夢現を彷徨っていた少女だったが、唐突に跳ね起きて走り出そうとする。しかし薬の効果が残っていたのか足がもつれ、倒れかけたところをアレックが支える。
「落ち着け。ここにお前を殺そうとする奴は居ねェ」
「おねがい! テルが! わたしが行かないと!」
アレックに縋る少女は、テルという者のために集落に戻ろうとしているらしい。アレックは少女を支える手に力を込める。
「落ち着け!」
「ヒッ……」
「……もうすぐ陽が沈む、集落の連中が何かやるにしても明るくなってからの筈だ。まだ慌てなくて良い」
アレックの強い力と恫喝に少女は恐縮したが、かえってそれがアレックの言葉を聞いて落ち着かせる要因になった。
少女が落ち着いた事を確認したアレックは、強く押さえていた手を離す。
「悪ィな。外から来たばかりで集落の事情が解らんまま助けちまった。良かったら教えてくれねェか?」
小さく頷いた少女はククと名乗り、池に沈められる事になった理由を話す。
この集落では毎年夏に咲く、とある木の花の数が少ないと、翌年は池での漁が少なくなる。それを回避する方法として人を池に沈める儀式があり、花の少なかった今年の儀式にテルと言う病弱な少年が選ばれた。彼を守るためにククは自ら池に入る事を志願したと言う。
「ずっと前に来た、しょうにんさんが言ってたの。テルのびょうきはマリョクが強いせいだって。大きくなったらなおるって」
「お前はそのテルって奴を守りたかったんだな?」
「うん……テルはね、とってもすごいんだよ! 糸つむぎも、おさいほうも上手でね! わたしみたいな、やくたたずじゃないんだよ……」
小さな集落だと、糸紡ぎや裁縫は女性の仕事で、男性は狩猟や力仕事を必要とされる。病弱な少年にできる範囲の仕事が、それくらいだったのだろう。
求められる仕事がこなせなければ、群れに認めて貰えないのは人間も動物も一緒だ。
「だったら尚更、お前を集落に返す訳にはいかねェな」
「なんで!?」
「返したところで解決しねェからだ。また何年かして不漁になった時、テルじゃなくなったとしても誰かが池に沈められちまう」
「……ぁ」
「先ずは調査だな。クク、例の花の場所は解るか?」
「ぅ、うん。でももう落ちちゃってると思うよ」
「構わねェよ」
食べかけの蛇肉を口に詰め込んで、さっさと火の始末を終えたアレックは、しゃがんでククに背を向ける。ククが背中に乗た事を確認すると立ち上がる勢いのまま飛び上がり、真っ暗な林も、星に照らされて煌めく池も、広場に篝火のある集落も眼下に空を舞う。
ククの示した場所に降り立ち、適当な枝に火をつけて周囲を照らす。葉だけになった数本の木と足元に落ちている枯れた花が、例の花だとククが言う。
アレックは一つ一つ木に触れて、木が保有する魔力量が多すぎる事を確認する。集落の先人は花の数を見て魔力の枯渇を認識し、人を沈める事で魔力という養分を池に与えていたのだろう。しかし魔法を使うアレックの事をバケモノと認識するような集落の男どもは、魔力過多によっても花が減少するという考えに至っていない。
アレックが木の他にも土や付近の雑草にも手を触れるのを見て、ククも真似をするがただの土であり草でしかない。
「畑や果樹の水やりは池の水か?」
「うん」
魔法を使えるか否かに限らず、人間も魔力を補給しなければ死ぬ。だからといって取りすぎてしまえば、それもまた体に害を生す。テルの体調不良は恐らく、食べ物による影響が強い。
儀式を行っても現状は改善するどころか悪化するだろう。
「クク、悪いが俺を」
集落の長のところに。そうアレックが言おうとした時、池の底が赤く光り出す。それと同時に水底に溜まっていた魔力が、細い管に吸い上げられる様に上昇する。
アレックはククを抱えて空へ離脱。眼下に広がる池は禍々しい赤色に染まり、水底から上がってきた複数の細い管は、互いに絡み合って一つの茎となり、巨大な蕾をつけた。
「おい手前ェ! 何のつもりだ!?」
アレックは池から生えた茎の根元に、ずぶ濡れのギヴを目敏く見つけると上空から怒鳴った。ククを抱いているため、安易に近づく事ができない。
「原因はこの子です」
呟く様な声量にも関わらず、ギヴの言葉は離れたアレックとククの耳に届いた。ギヴの前に絡みついた茎によって水底から地上へと押し上げられたのは、骨と腐った肉片になった小さな赤子の死体。
アレックは咄嗟にククの視界を塞いだ。
「強い魔力を持ってしまった為に、棄てられてしまったのでしょう。彼等は魔法を使う者を"バケモノ"と称する様ですので」
池の異変に気づいた集落の男たちも家を飛び出し、各々に武器となりそうな農具を手に身構えている。
そんな彼等の前にアレックは急いで降り立つ。
「ここは危ねェ! お前等は家ン中に隠れてろ!」
「うるさい! バケモノの癖に命令すんな!」
「アレは何だ? 俺たちを殺すつもりか!?」
反抗する男たちはアレックの言葉に耳を貸さず、退くどころか追い返そうとアレックに迫る。ククを抱えたまま、アレックはあの花と戦う事はできない。かと言って置いて行けば男たちに何をされるか分かったもんじゃない。
両者が言い争っている間にも、巨大な蕾が少しずつ開き、その隙間からは黒い瘴気が漏れ出てくる。
「集落に、本当のバケモノをお見せ致しましょう」
「おいギヴ! 止めろ!!」
「……目覚めなさい」
ギヴの言葉を合図に開花した巨大な魔花。花粉の代わりに散る黒い瘴気は、触れた木々を枯らしながら夜の闇に紛れて風と共に集落へ降りかかる。
アレックはククを背中に隠し、大きな防護壁を自分と男たちの前に張る。が、風に煽られた瘴気は防護壁の端から流れ込み、絶叫しながら逃げ出す男たちを包み込む。包まれた時間はほんの数秒だったが、全身の水分を吸い取られた様に干からびた姿になって倒れてゆく男たちを見たククは、恐怖のあまり意識を失った。
「手前ェ裏切る気か!?」
「裏切る? おかしな事を言いますね」
黒い瘴気の中を平然とし、魔花からアレックの防護壁の前まで優雅に飛びながらギヴは答えた。
「幼子が生み出した周囲に影響を与えるほどの歪な魔法と、それに反応してしまった魔力溜まり。私はそれを解消する為の形を与えただけに過ぎません。私が誰も傷つけていない事は、あなたの刻印が証明してくれています」
約束を反故にはしていないと、右手首の非加虐の刻印を見せつけるようにギヴは言った。
「本当はもっと強い魔獣にもなれる素質はあったのですよ。でもそうなれば貴方一人では対処できなかったでしょう?」
ギヴは右手の指を振って周囲の瘴気を遠ざける。分散され薄まった瘴気で即死する事はなくなっても、体から水分と魔力を急速に奪っていく猛毒である事に変わりはない。
風に乗った瘴気は集落の外へ広がり、山を下りた先にある村は、先日までエンビの新種による毒で疲弊している。僅かでも瘴気が届けば、その村までもが滅んでしまう。
「速攻で殺る!」
アレックは棒状の耳飾りを乱暴に引きちぎり、魔力を通して槍の魔装具に戻す。周囲の安全の確認と、ククに手を出さないようギヴに釘を刺してから、アレックはククを残して魔花に向かって飛んだ。
速攻と宣言した通り、アレックは飛翔する速度を緩めずに、開いた花の奥に煌めく魔花の核である血い石を一閃する。しかし硬質化した核は傷一つ入らない。
二度、三度とアレックは何度も斬りかかり、魔法を打ち出すも血い石は全てを弾き返した。魔花が直接攻撃してくる事はないが、毒の瘴気のせいでこまめな離脱が必要となり、攻撃に集中できずにいる。
「ったく、面倒臭ェな!」
悪態を吐きつつもアレックは突撃を繰り返す。刃の傷はつかないが、刻印は入る事を確認し、一つ二つと印を増やす。
要点に印を刻み終えたアレックは岸に降り立ち、槍の石突部分を強く地面に打ち付けた。
一瞬、真っ白な炎が周囲の昼夜を逆転させる。
直後に轟く音が全身を揺さぶる。
強い赤と黄の複合魔法。
白熱の炎は眩い雷となり、魔花の内部を焼き尽くしながら瞬時に走り抜ける。
閃光が消え、訪れる静寂と暗闇。
未だ消えない魔花の表面は焼け焦げ、熱された内部からは蒸気が上がる。そして茎の一部だけ赤々と燃え上がるそこは、ギヴが"原因"だと言った赤子の死体があった場所。
アレックは肩で呼吸しつつ槍を構えてそこへ飛ぶ。花の奥にあった核と思われた血い石は既に焼け崩れてしまって偽物だと判明している。残り火の奥に本物の血い石を確認し、アレックは矛先を向けた。
パチパチと燃える炎の音に紛れて、赤子の泣いている声が耳に届く。
「良い子だから、もう眠ンな」
躊躇う事なく突き出されたアレックの槍は、炎の中で燻る血い石を貫く。
霧散する魔花と共に散っていく炎は、風に流されて空へと消えていった。
翌朝。岸辺にいた男たちは瘴気によって半数が死亡しており、生き残った者も瘴気に触れた体の一部は使い物にならなくなっていた。
家屋内で眠っていた者たちも僅かに瘴気の影響を受けており、不調を訴える。症状はエンビの新種による中毒と同じく、体内の水分と魔力を急速に排出してしまうもの。アレックは軽症者と共に治療に当たっていた。
池や周囲の魔力の保有量は少し多い程度に収まり、来年からは魚も繁殖し畑の収穫も上がるだろう。アレックがそう説明した上で儀式の中止を訴えれば、本物の魔花を目の当たりにした者たちの説得もあり、集落の者たちは首を縦に振った。
魔法による伝信で国に報告をしたものの、魔法で空を飛べるアレックやギヴと違い、山奥にある集落に救援部隊が辿り着くにはそれなりの時間がかかる。
アレックには東の街の調査という極秘の任務があり、同じ任務についているジュリアーナからの定期報告が途絶えている事から、救援が到着するまで待つかを悩んでいた。
「下流で混乱が起き始めた様ですね」
万全の状態に戻ったと自己申告するギヴが、街のある方面を見ながらそう言った。アレックは源流に咲いていたエンビの新種を魔花を討伐後に再度焼き払ったが、既に流れた毒は川を下って街まで至ってしまったらしい。
苦手な記者にまで情報を提供したのに、結局は被害を出してしまった自分に腹を立てる。
「楽しそうに言ってんじゃねェよ」
「そう見えましたか? それは失礼いたしました」
心にもない言い方をするギヴに、アレックは隠した手で魔法の刃を飛ばす。ギヴはフッと息を小さく吐くだけで、首元に迫った刃を消し去った。そんな二人を見送りに駆けてくるククには、パチンと弾ける音が聞こえただろうか。
アレックは適当に拾った木の板に文字を焼き付けてククに渡す。受け取ったククは文面を不思議そうに眺めては、ひっくり返したりして見ている。
「何日かしたら下の街から医師やら兵士等が来るから、こいつを渡せ。後は奴等が何とかしてくれっから」
「テルのびょうきも、みてくれるかな?」
「ああ、そうして貰える様に書いておいた。俺は今から行く所がある。二人で大丈夫か?」
「うん! おじさんありがとう!」
「おじッ……じゃあな」
屈託のない笑顔に怒る気も削がれ、けれど少し拗ねたアレックはぶっきらぼうに別れを告げた。
今回の儀式は阻止したとは言え、一度殺されかけたククとテルが今後も安心して集落で暮らせる訳がなかった。今は集落の隅にある空き家になった家に移っている。後日訪れる救援部隊に、二人を施設に搬送する手続きを依頼した木片。ククはしっかりと胸に抱き締める。
この集落の人々がこのまま暮らすのか、麓の村に降りて移住するのか。それはこれから彼等自身が決めていく事。
アレックとギヴは地を蹴り、空へと舞い上がると東の街へ向かった。
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