057
ジュリアーナが屋敷に使用人として出入りする様になって、もうすぐ一節が経とうとしていた。
本部で調査して貰っていた屋敷の持ち主は外国にいた。十年ほど前にこの別荘である屋敷の管理を知り合いに任せ、その知り合いもまた別の知り合いに貸し出し、それが繰り返されてようやく今の管理者の名前がコルトという男性である事が判明するまでかなりの時間を要した。
屋敷を管理する三人の執事の中にコルトという男がいる。しかし年齢や外見の特徴が一致しないため同名なだけの無関係な一般民か、はたまたコルトと言う人物に成り代わった者なのか。それを明確にするだけの情報はまだない。
結局、屋敷の主人の正体も分からず仕舞いに終わり、振り出しに戻ってしまった。
ジュリアーナは昼休みに中庭を訪れる。夏の日差しは強いが木陰に入れば涼しい風が体温を下げてくれる。
偽の血い石の反応は数ヶ節以上この屋敷に関わった人に多く、なんらかの方法で少しずつ蓄積していった結果なのではとジュリアーナは推測した。
その方法で一番考えられるのは食事。賄い料理や菓子などが使用人や出入りする商会員に手厚く施されるが、ジュリアーナは全て断っていた。
そのため皆が食堂で食べるなか、ジュリアーナは中庭で買ってきた豆入りのパンを齧りながら情報紙を読んで休憩時間をとる。
「川上の村で枯渇病、有識者により被害最小限。アレックやるじゃん」
アレックから伝信にて既に知っていたジュリアーナは、一週間遅れの記事内容に目を通す。街の中心を流れる川がどこまで毒水化しているかはまだ調査中らしい。元々生水を飲む習慣はないが、煮沸をしっかりする様にという注意喚起で記事は締められている。
ジュリアーナが二つ目のパンを食べようと手を伸ばすが何もなく、視線をそちらに移すと見知らぬ子供がジュリアーナのパンを食べていた。
今にも餓死しそうなくらい恐ろしく痩せ細った体で、伸びっぱなしの金髪の間から見える左目は銀色をしていた。
「賄いがあんのに、わざわざパンを買ってんだ?」
「アタシにも好みがあんのよ」
「ふーん。使ってる素材も味付けも、そんなに違わないっぽいけど」
ジュリアーナが賄いを食べない事を非難する様な言い方をしてパンを食べ終えた子供は、ジュリアーナの顔を覗き込んで悪戯な笑みを浮かべる。
「もしかして、おまえ……」
この子供は何かを知っているのだろうか。
街に来る前に言われた「深入りするな」という上官からの警告を、ジュリアーナは今更ながら思い出す。
「信用したヤツの飯しか食えない“潔癖病”ってやつか?」
「そ……そうよ、悪い?」
「んや、別に。ホントにいるんだ〜って思っただけ」
「珍獣扱いしないでよ」
ジュリアーナは咄嗟に上手い言い訳が出来ずに、子供の解釈に乗っかった。潜入調査中の短期間だけとはいえ変人扱いされるのは少々悔しいが、任務遂行のためジュリアーナは我慢する。
「それよりアンタ、しっかり食べてる? ガリガリじゃない」
「仕方ねーだろ。つい最近まで臥せってたんだから」
「その割に元気じゃない、好き嫌いしてんじゃないのー?」
「潔癖病のおまえに言われたくねー。ま、ワインだけは飲まねーけどさ」
「え、なんで?」
「ここのワイン不味いんだよ。飯は美味いんだけどなー」
食事用ワインは水より安全で安く、煮沸のために火を使う必要もない。麦酒よりアルコール度も低いので子供も常飲できる一般的な飲料。
確かに美味しいものではないが、喉を潤すのにこれほど手軽なものもない。それを好き嫌いしてしまうと屋敷を出た後に生活し難そうだとジュリアーナは思う。
「あ、俺アイゼルト。しばらくここで厄介になる」
「あたしはジュリアーナ。子供たちのお世話を担当してるわ」
「じゃ、また会うかもな。パンごっそさん」
無邪気に笑ったアイゼルトはジュリアーナに礼を言うと屋敷の中に駆けて行った。
その後にアイゼルトと会う事もなくジュリアーナが帰ろうとした夕方、食事をしないジュリアーナのために料理人が持ち帰れる特別料理を用意してくれていた。コルトの指示でそうしたと聞いて警戒してしまい、受け取りに迷っていると執事のコルトがジュリアーナに声をかけた。
「本日も召し上がっては行かれないのでしょう?」
「え、ええ、すみません」
「いいえ。ご自宅でゆっくりご賞味ください」
「ありがとう…ございます」
押し付けられた料理を抱えて家路につく。
検査した後に問題が有れば処分すればいい。食べ物を棄てるという行為に気乗りはしないが、身を守る為には仕方ない事だと自分に言い聞かせるも、偽の血い石検出器に何も反応はなかった。
杞憂に終わった心配事に胸を撫で下ろし、すっかり冷え切った料理を口にする。美味しい。
添えられていた瓶にはラベルのないワイン。こちらも特に問題はなく、カップに注いで口に含む。ほんのり甘くて飲みやすい。
なぜアイゼルトがこれを不味いと言ったのか、ジュリアーナは首を傾げるのだった。
枯渇病のあった村から上流にも村は点在する。被害のあった村を辿れば、支流のどこから毒水となった原因が入り込んだのか遡る事ができる。スフィンウェルの兵士と魔療使と研究員を交えた班が調査のために上流を目指す。
被害のあった村では適切な処置がとられず、体力の少ない老人や子供の犠牲が多かった。街からは離れすぎていて連絡するすべである旅商人も、特産となるような物が無ければ滅多に訪れない田舎。
これから彼等に必要なのは金銭ではなく物資と人手。秋の収穫が遅れれば冬に向けての備蓄も遅れ、春が訪れる前に餓える恐れがある。調査班は国への報告と僅かな物資を村に置いて上流を目指した。
源流に近くなるほどに調査班の体調が悪くなる。川の水も飲まず、毒耐性を上げる装備を身に付けていても影響が出るほどに濃い毒が空気中にも蔓延しているのかも知れないと、彼等は鼻と口を布で覆って先を急ぎ、苔生した岩肌を流れる湧水の一帯にそれを見つける。
エンビと呼ばれる薬草花で吐剤や下剤の材料として利用されているが、花が咲くのは春から初夏にかけての話。真夏の今は花は落ちて葉の根元が黄色く変色している時期だというのに、岩肌を覆い隠すほどに群生したエンビが黒紫の花を咲かせていた。
薬剤として使用するのは主に根元だが、花粉にも同様の効果があり、風に揺れるたびに舞い上がる花粉が湧水に溶けて流れていく。
調査班は水源一帯で咲き乱れるエンビを数本採取し、残りは全て魔法で焼き払う。花がなくなりこれ以上花粉が水源に紛れる事は無くなったが、まだ根っこが残っている。放置していたら再び花を咲かせて被害者が出るだろう。岩の隙間に入り込んだ根っこを手作業で掘り起こし、これもまたしっかりと焼いた。
エンビが春ではなく真夏に咲いた原因を調べるため、調査班はエンビが生えていた周辺の水や土などを採取し研究室に持ち帰る。
解析の結果、エンビと似ているが毒性が数倍強い別種だった。そして耐熱に優れた毒性は、煮沸しても効果を失う事なく体内へ取り込まれてしまった。
強すぎた毒性により体内の水分と共に魔力も排出されてしまい、水分は間に合っても魔力の枯渇によって死に至る。
老人と子供の被害が大きかったのは、体力と水分だけでなく魔力も足りなかったのだ。
それでも扱い方さえ間違えなければエンビの新種は薬に転用できるとし、国の管理下で生育しようと採取した一部を栽培するが、すぐに枯れてしまった。
環境を生息していた地域に近づけるため、再び現地に研究員が向かい愕然とする。
焼き払ったはずのエンビの新種が、再び花を咲かせていた。
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