056
ギヴは呼吸を整える余裕もなく、傷口の胸を押さえて膝をついた。咄嗟に発動させた転移の魔法で現在位置はわからないが、どこかの誰かの畑らしい。
傷の回復が遅い。気は進まないが今は死ぬわけにはいかないと、ギヴは視界に入った家に犠牲となってもらう事にした。
男と女と子供が四人。ギヴの腕には産まれて間もない赤ん坊。
家族を守ろうとギヴに立ち向かった男の腕を、指一本振る動作だけで折ってしまえば、残りの女子供は大人しくなる。部屋の隅で固まって震える一家を見張るように椅子に座る。
一家にとっては長すぎる恐怖の夜が明けて、窓の隙間から光が差し込む頃には、ギヴの傷は完全に塞がってはいないが流血が治まっていた。
足りないが仕方ない。これ以上は回復しないだろうと判断し、ギヴは腕の中でよく眠る赤子を憔悴しきった女に返して家を出ていった。
体内の魔力を治療に回しているため空を飛ぶ事はせず、歩いて道中に実っている果実を食い尽くしながらランのいる街を目指す。腹に入る量も限界があり魔力として蓄積するにも時間が必要なため、本来なら人間の様に食事で補う必要はないのだが、非常事態の今は少しでも魔力のある物を口に入れた。
地形から推測して、それほど遠く離れていない場所に転移していた。数日で到着出来そうだとギヴが考えていた時、背後から蹄の音と共に殺気が近づいてきた。
馬がギヴを追い越す寸前に一歩横に逸れて距離をとる。先程まで歩いていた場所を槍の刃が薙いでいた。
視線を馬の背に乗る人物に移すと見覚えのある人間の男。エイガストと共にムルクと戦っていた彼の名は。
「アレック」
「手前ェに気安く呼ばれたか無ェな!」
走る馬から飛び降りながらアレックは怒鳴り、槍を構えて間合いを取る。
背中が軽くなった馬は少し離れた位置で走るのをやめて、主人が戻ってくるのを近くの草を食みながら待った。
「魔人さまが葡萄泥棒とは情けねェ」
「緊急時ですので」
アレックが踏み込んでは何度も槍を突き出す。
撓る槍を最小限の動きで避けながら、ギヴは手にしていた最後の果実を口に放り込む。腹は重いが、若干魔力が補えた。
「丁度いいですね。貴方に、是非協力して頂きたい事があります」
「俺には無ェな!」
行動ですら黙れと言わんばかりに、拒否の言葉と共にギヴの喉元を薙ぐ。
だからと言って黙るギヴではなかった。一歩退がって刃を避けると構わず言葉を続ける。
「この先の街にランと名乗る女の魔人がいます。私は彼の方を倒したい」
「おーおー。共倒れしてくれりゃ、こっちも助かるってもんだ」
「残念ですが、魔人は魔人を殺せません。争う事はできますが、止めは必ず人である必要があります」
「ほーん。で、俺がお前ごとブチ殺せば良いと」
「貴方にそれが出来るならば、私は構いませんよ」
ギヴが踵を打つ動作とアレックが腕を振るう動作はほぼ同時。同じ威力の魔法は打ち消し合い、衝撃の音だけが残って広がった。
次の魔法動作に入るアレックに、ギヴは手のひらを翳す。人差し指と中指の間には、歪な形の赤い石。警戒したアレックは動きを止める。
「こちらに見覚えは……あるようですね。人あるいは動物に植え付け、その者が死ぬ時に抱いていた一番強い感情と結びついて魔獣へと変える、いわば種子みたいなものです」
警戒して槍を構えたまま動かないアレック。魔法もいつでも撃てる様に滞留させているが今すぐ放たない様子をみて、ギヴは話を続ける。
「彼の方は、エイガスト並びにスフィンウェルの将軍とシルフィの末王に関心を持っており、私に連れてくるよう命令しました。恐らくはこの石を利用して彼等を魔獣に変えるつもりです。元が強い素材です、上手くすれば魔人にも成り得るでしょう」
「させる訳無ェだろうが!」
「ええ、その通りです」
アレックは軍の命令で東の調査を任されている。その発端となったのは、ギヴからの依頼という形で国都の東にある街へパールが向かう事になったからだ。協力を得るだけなら態々アレックを今ここで味方につける必要はない。いずれここに訪れる、お人好しの彼等に頼めば良い。
それが待てなくなったから"緊急"なのだとアレックは考えた。
「んで、お前の本当の目的はなんだ?」
「それは、ご協力頂けると?」
「さぁな。だが"緊急"なんだろう?」
少しの間見合った後、ギヴは深く息を吐いて全身に渦巻いていた魔力を解いた。刃を向けるアレックに対して無防備を晒す。核の場所さえ知っていれば一振りで終わるだろう。
「私の子が彼の方に奪われました」
「……は」
「いえ、正確には懐柔されたフリをして隙を狙うつもりなのでしょうが、狡猾な彼の方もまたそれに気づいているでしょう。私は」
「おい、まて」
「何でしょうか」
額を押さえて眉間に皺を寄せるアレックが、饒舌に語り出したギヴの言葉を遮る。
魔人が自らの身を差し出すほどの"緊急"とは何か。アレックは魔人すら飲み込む様な災害や魔竜の話かと推測したが、全くの予想外だった。
「子供? 魔人の? 意味がわからん」
「理解する必要などありません。貴方は彼の方を討伐し、私は子を奪還する。それだけです」
ギヴは魔力を解いたままアレックのすぐ横を通り過ぎて、草の上で暢気していた馬に向かう。
そんなギヴの首にアレックは槍の刃を当てる。
「協力するとは一言も言って無ェぞ」
「貴方は言葉より態度で表しますね。そんなところは私の子にそっくりです」
「マジでやめろ。気色悪ィ」
本気で気疎うアレックの表情に、ギヴは目を細めた。
東の街で調査を続けるジュリアーナはベンチで項垂れていた。
あれから魔獣検出器を改造した偽の血い石検出器装置の情報を何度調整しても、表示される点滅の数は変わらなかった。それからは反応のあった人物の一日の行動を監視したり、彼等が関わった建物に関して調査を進めて、ようやく共通点を見つけ出せた。
街の一角にある大きな屋敷。商会員だったり使用人だったりと、業種も性別も年齢も様々だったが、この屋敷に出入りする多くの者に検出装置は反応を示していた。
背の高い鉄柵に囲われた屋敷の広い庭では、多くの子供が遊んでいる。おおよそ五十人は居るだろうか。この街にいた全ての孤児を引き取って屋敷に住まわせている。
何も知らなければ称賛される行いなのだろうが、偽物でも血い石が関連するとあれば、引き取られている子供たちの身が気がかりだった。
屋敷の内部で何が行われているのか。屋敷の持ち主の照会を待つ間、ジュリアーナは調査のために使用人として潜入する事にした。
「なんだよジュリ。もうバテたのかー?」
「ねーねー、もういっかい!」
ベンチで項垂れているジュリアーナを数人の少年少女が取り囲む。
ジュリアーナが配属された場所は子供たちの世話。部屋の清掃や食事の用意はもちろんの事、手の空いた者は一緒に遊ぶのも仕事の一つなのだが。底なしの体力を相手にして、既に消耗していた。
「お願い、少し休ませて……」
「だらしないなー」
「じゃあねじゃあね、えほんよんでー」
「紐あそびしたい!」
「つぎはボクのばん!」
「わたしだもん!」
「ちがうもん!」
「はいはい、喧嘩しない。ジュリはお仕事がありまーす。遊ぶのはまた後ねー」
ジュリアーナを取り合って口喧嘩を始めた子供たちを止めたのは、屋敷内でのジュリアーナの相方で仕事を教えてくれているメアリ。この屋敷には一年以上勤めているというが、主人には一度も会った事がないという。それでも給金は高く職場環境も悪くないという事で、別の働き場に行こうとも思わないんだそう。
「ジュリったらモテモテね」
「人気すぎるのも困りものだわ」
メアリによって子供から解放されてようやくジュリアーナは一息つけた。この後は干してある大量の洗濯物を取り込んで畳む仕事が待っているのだが、自分で体力配分を管理しやすい分、家事の方がよっぽど楽に感じられる。
屋敷に勤め始めて数日経ったが、屋敷の主人には未だ会えていない。屋敷を取り仕切るのは三人の執事。主人の部屋に入れるのも彼等のみ。使用人にとっては彼等が屋敷の主人のようなものである。
忍び込む事も考えたが、執事たちの気の配り方やの足の運びからジュリアーナ一人では太刀打ちできないと思い、今は様子を伺うのみに留めている。
その日の洗濯物を片付けた後は夕食の準備。中庭から厨房に向かう途中、カーテンで閉じられた窓の前を過ぎる。子供たちは毎日夕食の前に一堂に集められ、しばらくの間出てこない。子供以外で中に入れるのは三人の執事だけだ。
子供たちに聞いても口止めをされているのか、教えてはくれなかった。窓越しに微弱の魔力のうねりを感じる。同行しているメアリには気づかない程の僅かな流れ。一体何を行っているのか、中から音は聞こえない。
「ジュリ何してるの? 行くよー!」
「ごめん、今行く!」
足を止めてしまっていたジュリアーナは、慌ててメアリを追う。そんな彼女を見ていた人物には気づかないまま。
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