054
晩夏に差し掛かる頃、もうすぐ赤く実りそうなフーリア六号改めストロベリーから順に販売用の鉢に植え替え、少しずつ出荷が始まっていた。
今日の分を積み終えたカストルは、護衛を一人だけ連れて荷馬車を走らせて行った。
「トグニーさん、今季分お願いします」
「ああ、もうその日か。ちょっと待ってくれ」
翌日に出荷する株の選定を終えたトグニーは、土の付いた手を洗い流して服の裾で拭い、ジャックと共に先に事務室に入っていたエイガストの向かいの席へ掛ける。
一年は六季節で一周し、地域にもよるが一季はおおよそ二節で区切られる。ヴィーディフの商会では季節毎に収支の決算報告書を出して貰っている。と言っても本格的な収益を上げるのはこれからで、今はまだ赤字ばかり。
「今季の報告書はジャックに作ってもらったんだがどうだ?」
「漏れも無いですし、問題ありません。しっかり書けてます。ジャック、ご苦労様」
エイガストが労いの言葉をかければ、ジャックは嬉しそうに目を細めた。
エイガストの事業を手伝うために協力を申し出たトグニーだったが、経験のない会計仕事に苦戦していた。半年ほどはカストルが補助に入るが、それ以降は彼等のみで運営して貰わなければならない。
初めはリノをトグニーの補佐として会計仕事をさせるつもりでいたが、以前働いていた商会で教えられていた内容が滅茶苦茶すぎて、覚え直す必要があった。
リノが矯正に手こずっている間、隣で一緒に読み書きや算術を学んでいたジャックが頭角を現した。リノも書類と向き合うより、畑や鶏の世話をする方が性に合っている様で、会計仕事はジャックとリノの二人で補佐する事になった。
エイガストは受け取った書類に印章を押し、国都の分会とセイクエット国の本商会の二つに分けて封をする。
「この後、ノーマとゼミリアスを連れて街に出ます。夕方には戻る予定です」
「わかった。畑の方は任せてくれ」
温室が出来る前にストロベリーを増やす時に使っていた畑には、晩秋に収穫するための早摘み甘薯と玉黍を植えた。
こちらには散水装置がないので桶に汲んで手作業で水をやる必要がある。今ではこちらの世話の方が忙しい。
出掛ける支度を済ませたゼミリアスとノーマが、ウエルテに跨がって村の入り口でエイガストを待っていた。
牛小屋の前で何度か乗馬の練習をしたが、街まで行く距離は初めてになる。少しだけ緊張しているノーマをゼミリアスが後ろから支え、エイガストが馬を引く。道中では追い越していく乗合馬車や、荷馬車とすれ違う。
「この道は広いからあんまり気にしなくて良いけど、街道には優先順位があって、最優先は軍、次に貴族や領主、乗合馬車と商隊と続いて、歩行者は最後。覚えておいてね」
国都と繋がるこの街道は広く作られているが、狭い道の場合は路肩に出て道を譲る規則がある。今後はカストルの代わりにノーマが荷馬車を引ける様に訓練する予定だ。
街に到着するとゼミリアスは買い出しに向かい、エイガストとノーマは国が運営する金融機関の貯金取扱金庫に向かう。
スフィンウェル国に籍を置く住民、または国内で就業する中規模以下の商会員が財産を預ける事が出来る場所。預けられるのは現金と宝飾貴金属に限られ年会費も必要になるが、軍が警備に当たるので家に置くより安全な為、個人でも利用する者は多い。
エイガストが不便に思うのは、スフィンウェル国でも主要となる五つの街に一店舗ずつしかないところと、外国には無いところ。金庫を利用する人の殆どが、エイガストの様に世界中を旅する訳ではないので当然ではあるのだが。
窓口でノーマの口座を作り、村では使わないからと手持ちの給金を全部預け、認識票と記録板を受け取る。
認識票に記録板を翳すと文字が浮かび上がり、金庫が預かっている合計の金額と、宝飾などの資産があれば個数が表示される。詳細は記載されないので記録を残したいのであれば、自分で帳簿を書かなくてはならない。
「認識票と記録板は預ける時も引き出す時にも必要だから、無くさない様に」
「はい」
金庫を後にした二人は買い出しに行ったゼミリアスと合流する。商店通りにウエルテを連れ回す事はできないので、その間だけ馬宿に預けている。
村に帰る前に小腹を満たす為、三人は喫茶店に入った。
「好きなものを選んで良いよ」
個室に通され、勧められるままメニューを目にしたノーマは少し固まって、一度エイガストを覗き見た。エイガストは和かな表情で注文が決まるのを待っている。
ノーマの隣に座るゼミリアスはエイガストから口止めされていると、口に人差し指を立てて示した。
文字の読み書きは仕事の合間に何度か授業を行なっている。教えた文字で書かれているため、ノーマがサボってなければちゃんと読める。試験なのだと気づいたノーマは、二人の視線に硬直しつつ注文を決めた。
全員の注文が決まり、しばらく待ってテーブルに品が並ぶ。
ゼミリアスの前には林檎のジュース、ノーマとエイガストには珈琲が置かれる。軽食としてパンケーキとスコーンに柑橘の蜜煮を添えた甘味と、ビスケットのチーズ乗せが並んだ。
珈琲に口をつけたノーマは苦味で顔を歪ませ、添えて出された牛乳と砂糖を全部入れた。それでも口の中に残る苦味を蜜煮をたっぷり乗せたスコーンを頬張って誤魔化した。
エイガストと共有で提供された牛乳も砂糖も全てノーマに使われたので、エイガストはビスケットを食べながら珈琲を飲む。
「苦く無いんですか?」
「苦いよ」
「え」
「これはゆっくり時間をかけて飲むものだから。そうしたら、沢山話しができるし、ゆっくり休めるでしょ?」
カップ一杯を飲み終えるくらいが、休憩時間に丁度いい。
ついでに珈琲には眠気覚ましの作用がある事を教え、夜には飲まない様に注意した。
「読めなかった文字や、解らなかったものはある?」
「え、えっと。文字は読めたんですけど、し…シュゼ…ットって何ですか?」
「そうだなァ。口で説明するより、見たほうが分かりやすいね」
エイガストは店員を呼んで二人分注文する。
パンやビスケットは軽食として屋台でもよく見るが、シュゼットは皿で提供するので店に入った事がなければ知らないだろう。
店員がカトラリーをノーマとゼミリアスの前に並べ始め、楽しみだと期待するゼミリアスとは対象的に、ノーマは慌てふためいていた。
「そんなに緊張しないで。すぐ隣いる先生の真似をすれば大丈夫だから」
エイガストに先生役を振られてゼミリアスも一瞬固まる。スフィンウェル式の作法はパールから教わったが随分前の事で、作法が不要な村での生活が続くと忘れがちになる。エイガストはゼミリアスにも演習の場を提供した。
「前は、こんな事、しなかったのに……」
文句を言いながらもゼミリアスは一度、姿勢を正して座り直した。育った環境が良いので所作はエイガストよりずっと綺麗だ。こうして時々思い出すだけでゼミリアスは十分だろう。
ノーマも力一杯背を伸ばしていたが、移動式の焜炉が来てテーブルのそばで調理を始めると、見ることに集中してしまい体勢は崩れていった。
薄く伸ばして焼いたパンを柑橘ジュースで煮込み、ブランデーを加えて火を点ける。燃え上がる鍋の演出にノーマもゼミリアスも目を輝かせた。
たっぷりと休憩し、お土産の菓子を手に街を後にした。
ノーマは菓子を包む箱に覚えがあるけれど、いつ見たのか思い出せずにいたが、帰宅した時にリノとジャックに何を食べたのか聞かれた時に気づいた。少し前にリノとジャックが街に出た時のお土産だ。
「知ってたなら先に言えよ」
「それじゃテストにならないし」
「あのね、リノはスフレッティ食べたよ」
「僕はシブーストにした」
「なんだよ好きなの食べてんじゃん」
「だってまだ食べたことも見たこともなかったんだもん。ちゃんと解らないメニューでしょ?」
抜け目のない二人にノーマはちょっと感心する。
早速菓子の箱を開けてジャックが食べ始めたのを見て、リノも菓子を口に入れる。エイガストが外出している今なら、夕飯前に食べるなと取り上げられる事もない。
「お前ら、結構ずる賢いんだな」
「まーね」
ちょっと得意気に答えるジャック。ノーマは菓子の箱を閉じて、二人の手が届かない高い棚に仕舞った。
「あ、まだ食べてるのに!」
「あとひとつだけ!」
「ダメ。残りはエイガストさんの許可もらってから」
服を引っ張って愚図る二人を払ってノーマは部屋に戻った。
ジャックと共同で使用している部屋には二つの机と二段ベッド。勝負に負けてノーマが下段を利用している。
何もない机に置いた鞄から認識票と記録板を出して鍵の掛かる抽斗へ仕舞い、鍵は紐を通して首から提げた。
「将来、か……」
喫茶店でエイガストと交わした内容を思い返す。
ノーマの返済は三年で終了し、それと同時にヴィーディフ商会から転職する事ができる。そのまま在籍するも良し、働きたい職があるなら紹介状を出すとエイガストは言う。けれどノーマは今を生きる事しか知らず、漠然とした将来に何をしたいのか分からない。
ジャックはこの村に自分を差別する者がいなかったからと、成人したら正式に雇って貰うと決めていた。リノですら船乗りになりたいと言う夢があり、カストルに色々相談しているところをノーマは知っている。
いつになく憂鬱な気分になっている自分の感情に、ノーマは一度深く深呼吸をして切り替える。長くも短い三年の猶予がある。今すぐ決める必要はないし、成るようになる。
そう決めてしまえば滅入った気持ちも少しだけ持ち直し、窓の外で立ち昇る煙を見た。
「ッ!」
ノーマは乱暴に扉を開け、驚いて固まるジャックとリノを置いて家を飛び出した。
エイガストがいる村長の家に駆け込み、息継ぐ間もなく叫んだ。
「火事だ!」
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