051
エイガストと別れて馬を軽く走らせて半日、パールは夕方になる前に国都に到着した。
門番に馬を預けて登城し、久しぶりの制服に袖を通した後、執務室の扉を叩く。内側の返事を待ってパールは足を踏み入れた。
「パーラスフォード、只今一時帰還致しました」
室内には元帥でありパールの父ベイゲルフォードと、執政を担うパールの兄クリヴィスフォードと執政補佐官、そして数人の政務者と将官の姿。
パールは自分の執務席に座り、置かれていた文書に手を伸ばす。前もって頼んでいた、国都から東にある地域についての数年分の資料に目を落とす。
「?」
パールは一つの項目に首を傾げ、東側以外の地域の記録と照らし合わせて再び首を傾げた。
一部の地域だけここ数年の魔獣の出現記録が無い。役場に上がる報告は、どれも街から遠く離れた農村の出来事。
平和なのはもちろん喜ぶべき事だが、なぜこの地域だけ出現しないのか、その理由が明らかではない。防衛費用の項目では少しずつではあるが、分配される予算が減少傾向にある。
「パーラスフォード将軍、報告を」
「はい」
考えに夢中になっていたパールは、元帥の呼びかけで顔を上げる。室内には魔竜討伐に関わる人員のみになっていた。
パールはエイガストに付き添った半年弱の間に知り得た、日常での彼の知識と人柄、対魔獣において弓と魔法の腕前、そして魔竜出現の際の協力を得た事を報告する。
「それで、彼の目は何を映すか、わかったの?」
「未来視や透視ではありませんでした。時折、視線が何かを追うので、魔力の様な不可視なものを見ているのではないかと思われますが、確証は得られていません」
「彼の口からは明かされていないんだね」
「申し訳ございません」
クリヴィスフォードの問いにパールは謝罪する。
誰にも知り得ないものを伝える事は難しい。証明する方法がないなら尚更、ただの狂言にしか聞こえないだろう。
王妃の言葉でさえ、最期の夢が証明されていない故に虚言だと言う者がいるのだ。何度も災害や魔獣の出現などを言い当ててきたにも関わらずに、だ。
それを知っている者たちだから、パールが未だにエイガストから打ち明けられていなくても責める事はなかった。
「毒の魔法とは、初めて聞きます」
「氷の魔法より上位の魔法だという事しか私も知りません」
「ジュリアーナ中尉の技術にも驚ましたが、それに劣りませんね」
「ですが、やはり一人にはできないでしょう。危険すぎます」
「彼自身悪用するつもりがなくとも、そうせざるを得ない状況にならないとは言えません」
魔法に覚えのある将官たちは、エイガストに対して敬意と畏怖を抱く。
氷の魔法を使う者は高位の法使として魔法協会に在籍しており、スフィンウェルの軍にも数名在籍している。その中でもジュリアーナ中尉は魔装具や魔動兵器の開発を多数手掛け、その功績から魔竜と相対する"青い光"の候補者としてクリヴィスフォードの部隊に所属している。
議題は討伐した魔人カルトイネスへと移る。
客船の乗船者の名簿と、船上で共に戦った者たちの出身地や雇用者を記載した資料を、報告書と共に全員で回覧する。
イェン王と頻繁に連絡し合うクリヴィスフォードは、粗方の内容を知っていたらしく、乗船者にセイの名前を見つけて苦笑した。
「魔人の出現ですか……」
「はい。乗船者に紛れていました。私も、本性を現すまで気づけませんでした」
「彼等は優秀な法使と聞きます。外見での判断は難しいとも」
「パーラスフォード将軍の話では、現段階で少なくとも二人は存在しているのだな?」
「はい、一人はギヴ。外見はそちらに記してありますが、姿を変えられている恐れもあります」
回覧している報告書の魔人の項目に概略化された絵姿が描かれていた。
これは絵心の無いパールの代わりにエイガストが描いたもの。普段から野花や薬草の絵を描いているだけあって、しっかりと特徴を捉えているため周知する資料として申し分ない。
「もう一人は恐らく、国都から東の地域のどこかに潜んでいます」
「どういった根拠で?」
「先立って元帥には報告申し上げましたが、エイガストに魔人ギヴから接触があり、とある魔人を倒してほしいと依頼されました」
パールの発言に周囲が一瞬騒めくも、ベイゲルフォードの一瞥ですぐに治まる。
「場所は国都の東の街。明確な位置の指定はありませんでしたが、私はこの街ではないかと推測します」
「この街は東部でも非常に安全な街ですよ」
「安全すぎるんです。記録上では数年前から減少し続け、この三年間では小型の魔獣すら出現していません」
「いえ、些少ですが目撃報告はあります」
「その目撃された位置は、街から随分と離れた駐在兵の居ない農村ではありませんか?」
パールはクリヴィスフォードに東部の地図を広げてもらい、今年と昨年の魔獣の報告された場所に駒を置く。すると、一つの街を中心に魔獣のいない円が出来上がる。
討伐のために軍を動かし民の安全を守る、故に魔獣のいない場所は看過されがちになる。一つ一つの報告だけでは気づかない、意図的に作られた安全地帯。
ベイゲルフォードはパールに一つの質問をする。
「将軍。魔人が魔獣をある程度制御できる恐れは?」
「あります」
パールの解答に全員が沈黙する。
シルフィエイン国の前王や王妃を魔獣へと変え、パールの前でギヴがムルクを魔獣へと変貌させるところを目の当たりにしている。そのどちらも大型の強力な魔獣だった。
魔獣が出現しない理由がただの偶然ではなく、魔人によって調整されたものだとしたら。それが、より強い魔獣を生み出すためによって引き起こされた現象なのだとしたら。
場に居る者が皆、最悪の事態を想定する。
「では、引き続きパーラスフォード将軍は、彼の身辺警護に当たるように」
「了解しました」
「クリヴィスフォード執政官は、調査兵の編成を。ウォルカ将軍は、東部の街周辺の再調査を」
「はっ」
将官等が退室し、スフィンウェル家のみになる。
沈黙の中パールは室内を見回す。元帥もクリヴィスフォードも、報告書や資料に目を通している。
「お父様」
「なんだ」
「最近異動してきた兵たちは、如何ですか?」
「……ああ、随分と威勢の良い者たちだ。鍛え甲斐がある」
「そうですか。それは、良かったです」
パールの随分と遠回しな聞き方に、元帥も資料から顔を上げてパールを見る。気恥ずかしさにパールは元帥から目を逸らした。
今回の異動で元帥の配属になった者は、パールの結婚相手の候補者として推薦を貰った者たちだ。気にならない筈がない。
しかしパールはその半数以上と面識がないため、後日全員との面会の時間を設ける事になっている。元帥と同席で。
「パールが聞きたいのは、リンゴールデッド少佐の話だよね?」
「お兄様!」
今度こそパールの顔が紅くして声を荒げた。クリヴィスフォードが元帥に北西海域部隊出身の人物だと言い、思い当たった元帥は小さく頷いた。少し前に大尉から少佐に昇任させた魔装兵士の男だった。
パールは必死に違うと否定するが、強い男なら誰でも良いと言っていたパールが意識する相手に、元帥も少し興味を抱く。
コホンと態とらしく咳をして、パールは本題を切り出す。
「リンゴールデッド少佐に、魔竜の話をしたいと思っています」
「信頼できそう?」
「真に受けはしないでしょうが、最悪の事態にならない様に行動できる人です」
「判断はお前に任せる」
「ありがとうございます」
任せっきりにしていた自分の隊に赴き、将官や佐官等の報告を受け、今後についての会議を行う等の雑務をこなした数日後。
少佐となったアレックと結婚相手として面会する際に、魔竜が出現するという予見を元に行動している事と、"青の候補者"としてエイガストを保護する為に同行している事を明かした。
アレックは即座に魔竜の調査に加えるよう要望し、通常の任務と兼任する事になった。
パールが全国から集められた十数名に及ぶ結婚相手との面会を終えた頃には、夕方になっていた。
夕食の前に誰もいない演習場で一人、影を相手にパールは拳を振るう。パールの額から汗が流れる頃、ハンカチーフと水筒を持ったアレックが演習場を訪れた。
「お疲れっス」
「ありがとう、丁度休憩しようと思ったところよ」
アレックが労うと同時に豪速で投げた水筒を、難なく受け取ったパールは一気に中の水を飲み干す。
次に受け取ったハンカチーフで汗を拭い、独特の肌触りに目を細める。南東部の地域で独特の製法で織られるティーレ生地が気に入ったのか、パールは暫しの間、その柔らかさを楽しんだ。
「気に入って貰えてなにより」
和むパールの表情に釣られてアレックも満足げに笑い、壁に立てかけてある訓練用の槍を手にして構える。
「一戦、どうっスか?」
「良いわよ。いらっしゃい」
パールの返事を合図に、アレックが深く踏み込で一突き。突き出された槍をパールは右手で左に押し払い、その反動で右前に一歩踏み出す。
パールの左手が柄を掴む前に、アレックは払われた槍を素早く引く。その間にもう一歩踏み込んだパールは腰を落として、右半身を引く。繰り出すのは拳か、蹴りか。
槍を両手で握ったアレックは、パールの掌底を柄で受ける。アレックが防御した槍の柄にぶら下がって体勢を素早く落下させ、パールはアレックの足を薙ぎ払う。
体勢を崩したアレックを投げ飛ばさんと、左手で胸ぐらを掴んだパールが体を反転させながら腕を引くも、踏ん張ったアレックが槍を回転させて胸ぐらと柄を握るパールの手を払う。払った勢いのまま回転する槍はパールの足元を薙ぐ。
アレックを投げられないまま屈んだパールは、左足を振り上げる勢いを利用して右足のみで体を捻りながら跳び、逆さになった頭上を槍が薙ぎ払っていくのを見る。
パールの振り上げた足はアレックの首をしっかりと捕らえ、下手に抵抗すると首の骨を損傷するため、アレックは押し倒されるしかなかった。
左足が首を挟んだまま、アレックの胸の上にパールが座って胸部を圧迫する。彼女の右手は槍の柄を掴み、槍先は天を向く。
「私の勝ちね」
「くそが……」
アレックの上から降りたパールは、不満の表情で上体を起こすアレックに「楽しかった」と満足気に笑って右手を差し出す。
パールの助けを借りて立ち上がったアレックは、直ぐに離れていこうとするパールの手を掴んだまま離さない。
「アレック……?」
「悔しいスね。俺は何年もパーラスフォード様の信頼を得ようと足掻いてたってのに、たった半年の男に先を越されるなんて」
「それは……ごめんなさい」
「謝る必要はありません、これは俺の努力不足です。ですので」
パールの右手を握ったまま、アレックは片膝をついて敬愛のキスをする。
顔を真っ赤にして言葉を失ったパールの表情を見て、アレックは得意そうに笑った。
「パーラスフォード様の隣に立つのは、この俺です。あなたが打ち果たすと言うなら、魔人だろうが魔竜だろうが、お供します」
「そ、いう、ことは、頂点に、た、立ってから、だわ」
「ええ勿論。他の候補者は全員蹴落とすつもりっス。でも、それだけじゃあなたの全ては手に入らないらしい」
過去に何度かアレックから告白を受けているパールも、射抜くようなアレックの視線に動揺を隠せず、目線を泳がせながらパールはキスを落とされた手を引っ込める。
再び手を取られない様に胸の前でしっかりと握っているパールの姿に苦笑しながらアレックは立ち、必死に目を逸らそうとするパールの顔のすぐ横に手を伸ばす。
何をするのかとアレックの手を目で追ったパールが見たものは、後ろで結んだ髪を一房掬い、態とらしく口づけの音を立てるアレックのしたり顔。
「これからは積極的に攻めるんで、覚悟しておいて下さいね」
時告げの塔から、日没の鐘が鳴る。
硬直してしまっていたパールは、その音で我に返り、アレックを直視できずに演習場を走り去る。
戦闘事において右に出る者はないパールも、恋愛事には形なしになる。国を背負う彼女に、そんな事を考える暇も余裕もないのだから。
やれやれと溜息を吐くアレックは、パールの去って行った先を暫く見つめていた。
ここまで読んでくださりありがとうございます。
よろしければ下記の★にて評価をお願いします。
誤字脱字も気を付けておりますが、見つけましたらお知らせください。