049
翌日の陽が真上に差し掛かろうとする頃、母親と共に例の女の子が露店に訪れた。帰宅するなり宝箱をひっくり返した娘に母親が話を聞き出し、付き添いに来たと言う。
元気な笑顔で女の子が提示したのは花の刺繍の入ったリボンの髪飾り。
もうすぐ国都に行ってしまう耳羊が好きな友達に、どうしてもプレゼントしたいんだと女の子の持っていた髪飾りに、母親が刺繍を加えたらしい。
ゼミリアスは凝視する女の子の熱い視線に見守られながら、耳羊の置物を綺麗に包装して女の子に手渡した。
「今までで、一番緊張した……」
帰っていく親子の後ろ姿を見送りながら、ゼミリアスは胸を高鳴らせて言った。人によって価値の変わる物物交換を、お互いが気持ちよく終わらせる事の難しさ。
ゼミリアスは振り返って、黙って見守っていた後ろのエイガストを見る。ちゃんと出来ていただろうか、そんな不安混じりの視線で。
エイガストが笑って頷けば、ゼミリアスも安心して笑顔を浮かべた。
昼を過ぎて露店を閉じ、パールと合流して昼食を屋台で済ます。既に宿は引き払い、携帯食料と調味料を買い足して、二頭の馬を借りた。
次の街へ向かう途中にある、青を付与した場所への寄り道をエイガストが提案すると、ゼミリアスとパールも興味を示した。
エイガストを先頭に、酪農地を過ぎてから街道を逸れて林に入る。手書きの地図を見ながらエイガストは目的地を目指す。
「エイガスト、待って!」
林の中に開いた大穴が見えたその時、突然の制止にエイガストは手綱を引いて馬を停止させる。
呼び止めたゼミリアスが前に出て小さな風の刃を進行方向へ撃つと、見えない壁に当たって弾けた。
「阻塞?」
「誰だ!?」
大穴を囲う様に張り巡らされた阻塞の向こうから怒鳴り声が上がる。
赤い髪を後ろで結った中年の男性。手には杖が握られて、エイガストたちを睨んでいる。外套やマントといった法使の衣装と装飾品に身を包み、服に施された刺繍の模様は魔法研究所に所属する者らしい。
村も農地でもない林の中に入ってきた貸し馬と銀馬に乗った三人組を、怪訝な目で睨みながら法使の男は杖を構える。
「賊では無いようだが……なんの用だ?」
法使がゆっくりと揺らした杖に魔力が集まり、魔法の準備をしながらエイガストたちに問う。
阻塞に攻撃魔法を当てた事で必要以上に警戒させてしまったらしい。パールが先頭に立って両手の平を相手に見せて、敵意が無い事を示しながら答えた。
「この先に行きたいのだけど、何の阻塞かしら?」
「この先は行き止まりだ、何もない」
「いえ、青の能力変換を行う広場があるはずです」
男の答えをエイガストが否定する。
少しの間見合った後、法使の男は場所の移動を求めた。
阻塞沿いに少し歩くと出入り口となる門が建ってあり、そこを始点に設置された複数の中継機で囲い、魔法の壁を張って阻塞にしている。エイガストが実物を目にするのはこれで二度目だったが、広場を覆うほどの大きな装置は初めてだった。
これを維持している法使の魔力は相当高いのだろうと感心していると、門が開いて法使の男が出てきた。
「中に入る前に全員の身分を確認したい、提示できるものはあるか?」
「旅手帳でよければ」
馬は門の前に繋ぎ、順番に旅手帳の記述を確認して中へ通される。ただしパールの時に、あれほど強気だった法使の男が物凄く恐縮していたのには、少し気の毒だった。
ぽっかりと開いた地面の大穴の底に、雑草や苔が生えた人工的に造られた石の広場を見下ろす。以前、レイリスが付与する時に光った床に彫られた記紋の全貌を目にして、改めてこの石造りの広場自体が大掛かりな装置なのだと判る。
中央の台座にはレイリスが座って、広場を見下ろすエイガストたちを見上げている。
「大昔はここで青の属性が付与されていたのね」
「はい。今は壊れているのか作動しませんが、賊共に荒らされない様、入場を制限し昼夜見張を立てております」
ガレンと名乗った法使の男の発言に、エイガストが首を捻る。レイリスに頼んで弓の魔装具に青を付与をした時は、ちゃんと作動していたのだから。
そんなエイガストの表情をパールが横目で見つつ、ガレンの案内で大穴を降りる。
長い年月で風化したうえに木の根が絡んでデコボコに歪み、もはや階段と言って良いのかわからない階段を降りて広場に降り立った。
以前に抜けてきた洞窟への入り口には、やはり阻塞と見張りの法使が立っている。
同じ魔法を得意とする者同士気が合うのか、ガレンとゼミリアスは複数の魔晶石を使用した複合魔法について語りながら足元に刻まれた記紋を辿り、パールは洞窟前にいる見張りに話しかけている。
エイガストは中央で座っているレイリスの元へ。
青の魔晶石を介して共に旅をしていても、彼女はいつもここで独りでいたのだと思うと、エイガストの胸の奥が少しだけ軋む。
「ただいま」
何と声をかけるか迷って出た言葉が、帰還の挨拶だった。
レイリスとの朝の挨拶は街にいる間に済んであり、ここに立ち寄る事も告げている。二度目の訪問なのだから間違ってはいないと、エイガストは自分に言い聞かせる。
レイリスは目を丸くして、ほんのり耳の赤いエイガストが言った言葉を反芻する。
過去にレイリスと言葉を交わす者と出会えた事はあったが、自らレイリスに関わろうとする人は誰一人としていなかった。
「おかえりなさい。エイガスト様」
レイリスは初めて口にする迎えの言葉を噛み締める。
遠い遠い未来の果てでも、今日のこの日を覚えていられる様に。
陽が落ちる前に広場を去り、街へと向かう。
エイガストは去り際に、台座に置いた魔晶石を六日くらい放置する事を勧めた。
エイガストがレイリスから聞いた失敗の理由は二つ。
エイガストの弓に具わっている魔晶石は能力変換を行うための加工処理が施されていたために、ほんの僅かな時間で済んだが、その加工がされていない人工魔晶石は、付与に物凄く時間がかかると言う。
とは言え数日の放置は法使たちも行っていた。
それでも失敗し続けたもう一つの理由は、法使たちが自分たちで装置を操作しようと魔力を流し、レイリスの操作を邪魔する事にあった。まさか装置を操作する者が別に居るとは夢にも思わず。
法使でもないエイガストの助言にガレンは渋い表情を見せたが、強制するつもりはない。
広場に人がいる事でレイリスが孤独を感じずに済むのは望ましいが、彼等に作業を強いられたくも無い。レイリス自身は構わないと微笑むが、エイガストにはそれが少々不服だった。
その内、付与が成功した話をレイリスから聞くのだろう。
三人は駆け足で馬を走らせ、陽が沈み切る直前に街へ到着した。
閉店作業中の貸し馬屋に滑り込んで馬を返し、宿で一晩明かした翌日、エイガストは逓送組合に向かった。
「籠の大きさは如何しましょう?」
荷物の運搬に使用する配送箱は有料で貸し出されており、引越し等の大量の荷運びが必要な時に便利だ。少々高めの値段だが、返却すれば料金の一部が戻ってくるので保険料だと思えばそう高くは無い。
大型の配送箱を借りたエイガストはパールを待合室に残し、ゼミリアスと二人で施設の裏手にある広い作業場へ向かう。
右手側には各地の逓送組合へ発送する仕分け場があり、左手側には各地から集まった荷物を宅配か施設留めかを仕分ける場がある。
仕分けた荷物は配送屋の手に渡り、街の住人に配られる。大きな荷物を担当する鵜翼や、手紙の速達を担当する艶黒翼に混じって子供たちの姿もある。
様々な理由で親の収入が少ない子供たちを支援する数少ない職場。後ろ盾が巨大だからこそできる地域貢献。エイガストも幼い頃に小遣いが欲しくて働いた経験がある。
「あれェ? エイガストさんじゃないですか?」
エイガストが借りた配送箱に名札を貼っていると、荷車を引く厳つい顔の男性が声をかけてきた。驚いたゼミリアスはエイガストの後ろに素早く隠れ、それを見た男は少しだけショックを受ける。
「えっと……あ、ラグさん!」
エイガストは記憶を手繰り寄せて名前を呼ぶと、合っていたらしいラグと呼ばれた男は、厳つい顔を綻ばせて頷いた。
村がクルガンに襲われた時に鉈で応戦した勇ましい男性。その時に肩を負傷していたが無事に完治したらしい。
「お元気そうで! これから来るんです?」
「はい。今から買い出しに行きますので、夕方には着くかと思います」
エイガストが名札をつけた配送箱を指すと、ラグは成程と一つ頷き、空の荷車に配送箱を載せた。
村で採れた野菜を売りに街に訪れ、帰りに村宛ての荷物を受け取って帰るつもりで逓送組合に来たが、今日は荷物が無かったとラグは言う。手配する手間が省けたと、エイガストはラグに搬送の心付を渡す。
露店を任せた連れの元に知らせに行くと言って、ラグとは一度別れた。昼過ぎに出発するラグの予定に合わせて、エイガストは手早く買い物を済ませる事にする。
「その村にはどのくらい滞在するの?」
「そうですね、秋に出荷するので年末までは居ると思います」
「なら私は、一度国都に帰る事にするわ」
「わかりました。気をつけてくださいね」
「勿論よ。時々様子を見に来るから、逃げちゃダメよ?」
「わかってます」
共に行動を始めた当初の、パールの監視から逃れようとした気持ちは今のエイガストには無い。それはパールもわかっているので、このやりとりは既にただの習慣と化していた。
この街の軍部に馬を借りに行ったパールを見送り、エイガストとゼミリアスは商店通りを歩く。
温室と並行して建設中の住居兼管理小屋となる家は、炊事場と浴場がまだ出来ていないため、完成するまでは誰かの家に世話になるしかない。
畑の管理を任せているカストル経由で、契約主であるトグニーに収穫までの間滞在する事を手紙で伝えてはいるが、決して裕福な家庭ではない。突然増えた寄食を養うのは大変だろう。
長期滞在する間に必要となりそうな日用品だけでなく、食料品も買いに商店通りを巡る。
麦粉、油、各種調味料、食器類、寝具、等々……
次から次へと購入する大荷物は、昼までに配送箱まで届けて貰うので、気にする事は手元の資金のみ。少し張り切りすぎたと反省しながらも、視線は店の窓から覗く製品の数々へ注がれる。
その途中、ふとエイガストが足を止めた。
「どうしたの?」
「この外套の素材になってる部分に、ちょっとだけ関わらせて貰った事があってね。感慨深いなァって思って」
エイガストの目線の先は、道具店の飾り窓の向こうにある、最新の防水外套を見ていた。
半年ほど前にボゾン商会に提供した被膜液は、織糸工場にて防水布として織り上げられた。その布が裁縫工房に買われて仕立てられた商品の一つが、この防水外套。製品名はカッパと記載されている。
従来の防水外套は布地と革と被膜を重ねて作られていて、丈夫だけど重たく、皺となる場所から被膜部分が剥げ、何より乾きにくくてカビが生えやすいのが難点だったが、カッパは随分と軽そうだ。
まだ価格は高めだが、量産の体制が整えばいずれはこちらが主流になるだろう。
「寄ってく?」
「そうだね。畑仕事用の作業着も欲しいし」
店では二人分の作業着とカッパを購入。これも配送箱に届けてもらう。
陽が高く昇った昼頃、屋台で買った串焼きをつまみながら、ラグの店を探して露店の並ぶ広場を歩いていると、先にエイガストを見つけたラグが自慢の大声で呼んだため、すぐに合流できた。
「成果は如何ですか?」
「ボチボチ。まァ、いつも通りだな」
ラグの兄であるニドーがそう言うが、広げた露店に野菜類はまだ沢山ある。形も大きさも悪くない。鮮度だって今朝の捥ぎたて。ただ、見回せば同じように野菜を売りに来る者は少なくない。売価を下げる競争により、どの店も思うように収益が上がってない。
「売れ残った野菜はどうしてるんです?」
「村の奴等に配るか、牛に食わせるか、畑に棄てるくらいか」
「勿体ないですね。どこかに売り込みに行ったりは?」
「飲食店は専属が居るし、加工場は自分の畑を持ってるから、よっぽど不作の時じゃなきゃ声はかからんしな」
「なるほど……」
エイガストは、もう一度周囲を見渡す。
商店や屋台と違って、露店は路上に敷いた布の上で商売をする。展開は不定期で、場所取りも早い者勝ちで毎日違う。
夏も盛る季節に入ったと言うのに、屋根のない露店広場で販売員も行き交う客も、汗を拭っている。
「ゼミリアス。ちょっと手伝ってもらえる?」
「ワ。何をするの?」
ニドーの後ろに置いてある盥を露店の正面に置いたエイガストは、悪戯を思いついた子供の様に笑い、ゼミリアスに水で満たして貰う。
鞄から大弓を出し、レイリスの協力で氷を出して盥へ入れた所で、ゼミリアスがハっと気づく。隣接する露店の販売員も、好奇の目でエイガストを見ている。
エイガストは売り物の一口黄瓜と鈴生り赤茄子を氷水の中へ放り込み、値段を書いた札を盥に立てかけて、蓋に穴の空いた瓶に塩を入れて用意した。
「エイガストさん、そりゃ無ェっすよ」
「俺等だって食いてェ」
ラグとニドーがそれぞれに抗議の声を上げる。
喉を潤したい客たちに冷やした野菜は即座に売り切れ、調理が必要な野菜を買ってくれた客には、ハンカチーフを残った氷水で濡らして涼んでもらった。
出発する予定の頃には殆ど野菜は残らず、エイガストの配送箱があっても荷車に余裕があった。
多くの馬車が往来する待合広場に、一際目立つ黒い軍馬。馬鎧を着ていないのに、周囲の馬より体格が一回り大きい。
その傍らにはパールの姿。銀馬のウエルテに乗るゼミリアスと、その後ろで荷車を引くエイガストたちの姿を見つけて手を振った。
「お待たせしました」
「そんなに待ってないわ。随分と大荷物ね」
「何かと入り用でして」
「大きい馬を借りて正解だったわ。荷車は村の手前まで馬に引かせるから、そっち側繋いでくれる?」
「はい」
牽引帯を二人掛かりで締め、パールの先導で荷車をゆっくりと引かせる。高さが微妙に合わないが、荷車を支えながら歩けば問題なさそうだった。
先頭では黒馬がウエルテに好意を示している様だったが、当のウエルテは興味が無いようで軽く距離をとり、パールとゼミリアスは顔を見合わせて苦笑を浮かべる。
荷車を支えて歩く後方のニドーは、パールに興味津々でエイガストに色々と質問をする。エイガストとパールが恋人同士でないと知ったニドーが、パールに一目惚れを告白し見事に撃沈したのだった。
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