047
翌日の昼に警備兵数人を引き連れたエイガストは邸宅の裏庭にある井戸に来ていた。
随分前に干上がってしまった井戸を焼却炉代わりにしていたらしく、複数人分の白骨と行方不明だった侍女長の首無し死体が引き上げられた。骨から行方不明の女性との照合作業に医師は頭を抱え、照合された女性の生家や出身国への通知にケンディックとキリエルの胃が軋んだ。
井戸から引き上げた物の中に赤い石もあった。おそらくは、体に埋め込まれていた石が焼け残った物。
警備兵からいくつか持っていく事を告げ、昼食を摂るため厨房へ向かう。今日は警備兵分の食事も用意するため、いつもより鍋が大きい。
「配膳の手は足りてますか?」
「はい。あとは警備兵に出す鍋だけです」
配膳用のワゴンに食器や鍋が乗せてあり、裏庭に運ぶだけとなっていた。釜戸の火の始末をエイガストが引き受け、調理場にいた人は厨房から出て行く。
そこへ配膳を終えたゼミリアスと、医師たちの指揮をとる医長と共にパールが訪れる。
厨房の隅のテーブルに昼食を並べ、食事をしながら金の針の使用を検討する。
金の針に魔力を通し、井戸の底から出てきた赤い石に針を刺す。昨晩ギヴが行った再現を医師の前でしてみせる。赤い石を消すことはできたが、それを生きている人に行っても良いのか迷い、医長は唸る。
しかし他の方法も見つからず、赤い石を放置する訳にもいかず、医師等は該当の女性たちに金の針による石の除去を望むか一人一人尋ねた。
けれど、誰もが除去を望むも最初の一人目になる事は躊躇する。一体化した石を除去した後にどうなるか、わからないからだ。
「ワゥ! ワウワン!」
目を逸らす女性たちの中で真っ先に手を挙げたのは、オウンの妹のアンナ。人間語を話せないアンナは挙げた手で「する」の指文字を作る。
そんなアンナをオウンが止めようとしている様だが、アンナは首を横に振ってはオウンに訴える。
やがて折れたのはオウンの方。溜息を吐いてアンナの意思を医師に伝える。
「体力も回復して今は元気いっぱいだから、最初の治療者になるんだそうだ」
「ありがとう、アンナくん、オウンくん」
「オウンの気が変わる前に終わらせてくれ」
オウンは言い捨てると部屋の外に出ていった。
出て行くオウンの背中を見つめるアンナの耳が垂れ下がっていたので、エイガストは小声で励まし、兄の代わりに治療の間だけ手を握ってて欲しいという願いを聞いた。
医師と魔療使で囲み万全の体制で、アンナの首元に埋まる赤い石を金の針で突く。石が消え僅かに血が滲んだが、治癒魔法でそれもすぐに消えた。時間が経てば体毛も生え、跡も残らなさそうだ。
アンナの治療が成功すれば、女性たちは躊躇う事なく治療を受けた。
最初こそ針の刺す痛みがあったがそれ以降の苦痛はなく、一つの不安が解消された為か、心が軽くなったと女性たちに笑顔が戻った。
数日が経ち、邸宅で療養を受けていた女性たちも馬車が用意でき次第、順に祖国へと送られていき、最後の一人であるアンナが今日オウンと共に帰路に立った。
今後、街長の邸宅は解体され、売って得た金銭は全て街の政策の費用に充てると言う。
金の針はゼミリアスが持つことになった。
ゼミリアス自身は不安そうにしていたが、三人の中では一番魔力の扱いに優れている。戦闘で一番活用できるのもゼミリアスだろうと、エイガストとパールに頼まれゼミリアスは承諾した。
港からスフィンウェル国への流通経路としては非常に良い立地のこの街には、今までの悪政によって老舗の小さな商会しかない。治安が悪く、整備不十分の道でありながら通過料も高く、観光する様な施設もなく、税金は高い。そんな街に誰が新たな商会を構えると言うのだろう。
流通の便が良い南の港街がより栄えるのは当然でもあった。
エイガストはケンディックに掛け合い、この街での主な農産物である豆に対して、地方では防黴剤の使用による生産効率の向上記録を提示する。
ケンディックはこの街に住む大半の農家を支援し取りまとめている老舗の商会にこの話を通した。
商会長はワール・キルギス。彼と面会したエイガストは隣の村で細々と作られている豆の塩漬けを紹介する。その時に麦酒を冷やしたものを同時に出した。氷の魔法を氷室代わりにした事にパールは呆れていたが、レイリスは攻撃として使うより好みらしい。
塩漬けが気に入ったワールは村人と交渉次第、加工場を建て人を集めると言う。来年にはスフィンウェルの国都にあるヴィーディフの分会で取り扱えそうだ。
そろそろ雨季が開ける頃、ケンディックに見送られながらエイガストたちも旅立つ。
国境に聳える山の麓で天気を窺いつつ数日待ち、商隊に同行して山越えを行う。馬車の通れない狭い山道のため、馬の背に大きな荷物を括り付けて行く。人の数より馬の方が多い。
「エイガスト、それ、何?」
山越えに行く当日の朝、エイガストがバケツに用意した薬草と塩を混ぜた泥を見て、ゼミリアスは尋ねた。
「虫除け。雨季明けの山は蛭螾が多いから」
そう言ってエイガストはウエルテの四肢や腹に塗りたくる。
エイガストとゼミリアスの服装も、肌の露出がなく風に靡かない長袖とハイブーツ、更にはブーツの縁にハンカチーフを挟んで紐でしっかりと縛り、蛭螾が内側に入らないようにしている。
準備ができたパールの服も、いつものワンピースではなくパンツ姿だった。
蛇行して山を登り、山頂付近の開けた場所で一晩明かす。
この一帯だけ木や草が少なく砂利が多い。夜営する為に整備されたと言うのもあるし、蛭螾除けのために長年塩を撒いてきた事が大きい。
塩は植物を枯らしてしまう。それもあって塩を撒く範囲は砂利を敷いて区別しているようだ。
砂利の中央に持ち寄った乾草を置いて馬を遊ばせ、各々で張った天幕で囲う。
足場は少し湿っているが山崩れなど起こしてはおらず天候も良好、商隊の隊長は予定通りの日程で下山できるだろうと言った。
エイガストは道すがら集めていた薬草を擦り揉みして目の荒い綿布で包み、ウエルテの脚や体に軽く叩きつけて虫除けの効果を伸ばす。後ろ脚に近い位置にいると時々尻尾を振って戯れるのだが、加減がないので結構痛かったりする。
夕食を用意していたパールがエイガストを呼ぶ。
場所が広くない事もあり、一つの大きな釜戸を作り、商隊に参加する全員分の夕食を用意して、それを皆で囲む。
同行する商人たちからウエルテの入手先を問われたり、交換を持ちかけられては断ったり、珍しい商品の話や新しい鉱物が発見された話をしながら夕食を済ませる。
「エイガスト、近くに何か、居るかも知れない」
食後の片付けも終わり、それぞれの天幕で談笑したり夜番の為に既に寝入っていたりと時間を過ごしている彼等に聞こえないように、少し声を顰めてゼミリアスが言った。
エイガストは目を閉じて耳を澄ませてみるが、違和感のある葉音などは聞こえない。
「何か感じたの?」
「針が、光ってる」
ゼミリアスの胸元に飾る金の針が、カンテラの灯りの下では気づかない程、僅かな光を放っては消える。ゆっくりとした明滅は、確かに何かに反応している様にみえる。
化粧品や装飾品を扱う商人と話していたパールを呼び戻し、針が光っている理由を探る。
「この光、あの夜と同じね。でも明滅はしてなかったような……。エイガスト、蜘蛛を倒した後の針は光っていた?」
「いえ、光ってなかったと思います」
「なら反応していたのは蜘蛛に対してって事ね」
邸宅の敷地内の距離で、赤い石を持つ女性たちにも井戸の底に残された赤い石にも反応を見せていない。金の針は魔獣化した石もしくは魔獣そのものに反応していると仮定する。
商隊の隊長にだけこの事を伝え、三人だけで魔獣を探しに周囲の捜索に出た。
「どうやって魔獣を見つけるんですか?」
「勿論、これを使うのよ」
パールは金の針を指して言った。
針の頭部分に開いている穴に糸を通しながらパールはエイガストに確認する。
「魔力を通して投げたら、赤い石に向かって飛んでいったのよね?」
「あ、はい。そうとしか考えられません」
走りながら狙いもまともに定まる前にぶん投げた針が、蜘蛛の赤い石を的確に貫くなど強運にもほどがある。
エイガストの返事を聞いて頷いたパールは、ゼミリアス頼み金の針に魔力を少しだけ通してもらい、宙で手を離す。落ちると思われた針は宙に浮かび、ゆっくりと山の奥へと漂い始めた。
「後は針が導く。ギヴが言っていたのは、こう言う事だったのね」
針に繋がる糸を握るパールを先頭に、三人は暗い山を歩く。
金の針の明滅は少しずつ早くなっている。明滅する間隔は魔獣との距離を示していると考え、緊張する鼓動を抑えつつエイガストは周囲に意識を配る。
不意に揺れる葉音と、暗闇に浮かび上がる二つの目玉。エイガストよりもずっと大きな体躯に、全身を覆う黒い体毛。この地域一帯には生息しない筈の黒猩猩が、鼻息を荒くして三人を見ていた。
「パール」
「ええ」
糸を手繰り寄せて手にした針をゼミリアスに渡すと、パールは魔装具を装着しながら黒猩猩に向かって飛び出した。大きく吠えて黒猩猩が振るう大きな手をしゃがんで躱し、更に踏み込んで腹部に強力な拳を打ち込んだ。
黒猩猩の脚は速い。乱雑に木々が生えた足場の悪い急斜面の山で逃げ切るのは至難の技。パールの拳を受けて仰向けに倒れた黒猩猩の四肢を、エイガストの青い矢が凍らせて動きを封じる。
ゼミリアスは握り締めた金の針に魔力を通し思い切り投げた。クルクルと回転し黒猩猩の上の方へ飛んでいく。
「イァ」
しまった。そうゼミリアスが焦った表情を見せた瞬間、金の針は黒猩猩の真上で動きを止め、胸元へ直下する。大きな針ではないと言うのに、ズドンと重い衝撃の音がした。
地を震わす咆哮をあげながら、四肢を拘束する氷を砕いて黒猩猩は転がり回る。周囲の細い木々を折り倒し、岩を転がしては滅茶苦茶に暴れ回った。
ゼミリアスは魔法の鎖で縛り付けようとしたが、凄まじい黒猩猩の力によってすぐに引きちぎられた。
近づく事ができない三人は安全圏まで退避して様子を伺う。徐々に弱まってはいるが、厚い胸筋に阻まれた針が赤い石を消すには、後一押し必要らしい。
「パール! もう一度隙を」
「簡単に言ってくれるわね!」
弓を構えて黒猩猩を狙うエイガストに、外さない様に言いつけながらパールは黒猩猩の元へ再び向かう。ゼミリアスは折った紙を烏に変え、黒猩猩の周囲を周りパールから気を逸らさせる。
「ハァ!!」
気が逸れた黒猩猩に即座に接近したパールは脇腹に拳を連撃し、よろめいた所で片足を抱えてひっくり返す。再び黒猩猩は仰向けに倒された。
山の斜面の上から弓を引いて待機していたエイガストは、黒猩猩の胸元で光る金の針目がけて矢を放つ。胸を貫かれた黒猩猩は、咆哮をあげる事もなく闇に溶けて、消えた。
光が完全に消えてしまう前にパールは針を拾う。エイガストの矢を受けて傷一つ入っていない。魔力を通す道具は頑丈だと聞くが、通せる魔力の許容量を越えれば当然壊れるものなのだが。
「エイガストは、矢が当たっても壊れないって知っていたの?」
「確証はなかったんですが。魔装具と素材が似てると思いまして」
だから壊れはしないだろうと言う安直な考えでの行動だったと、弓の反動で座り込んでいたエイガストは、ゼミリアスの手をとって立ち上がりながら答える。
「貴方、本当に魔獣相手だと後先考えないんだから。壊れたらどうするのよ」
「え、魔装具って壊れるんですか?」
「……そういえば魔装具が壊れたって話聞かないわね」
「俺もです」
雑談を交えながら山道を戻り、商隊のいる野営地に到着するや否や、隊長含め複数の商人に取り囲まれ、全身に塩を浴びせられる。
暴れた黒猩猩は枝や石だけでなく蛭螾までも撒き散らしていたらしい。カンテラの灯りでは気づかなかったが、背中や肩にまで蛭螾が這っていた。撒かれた塩でボトボトと落ちていく蛭螾の数に、エイガストは思わず声を上げた。
肌に咬み傷らしきものは無く、血を吸われる事もなく一先ず安堵した。
翌日。
山を降りた商隊一行は街への道中にある川で休息をとる。
靴や鞄に着いた虫や蛭螾を落とし、汗と泥にまみれた服を洗う。女性の目も気にせず裸一貫で川に飛び込む者もいた。山越えならではの光景でもある。
この山道が鋪装され馬車が通れる様になれば、蛭螾の被害も減り両国の交通がもっと良くなるのだが、まだまだ遠い先の話。
浅瀬で馬を洗う商隊に混ざり、ゼミリアスも靴を脱いでウエルテの体に塗っていた虫除けの泥を落とし、エイガストは泥で汚れた三人分の服を洗いつつ綺麗な小石を見つけてはポケットに突っ込んだ。
釣った魚と携帯食料で小腹を満たし、商隊は再び街へ向かう。
高い空から降り注ぐ暑い陽射しに、青々と広がる平原。
山を越えた先は、一足先に夏が訪れていた。
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