046
夕食の後、エイガストはゼミリアスが採集してきた薬草の選別を行い、依頼で引き渡す分を選り分ける。残りをゼミリアスの練習用にし、調剤方法を見ながら実際に調合させる。
器具の扱いに慣れる為の訓練なので、今回は外用薬。調剤師が一番最初に学ぶ基本的な傷薬。乾燥させていない複数の薬草をしっかりと潰して混ぜるだけなのだが、最初に取り除く筋取りが甘いと滑らかなペースト状にならない。
指先を薬草の色に染めながら作り上げたゼミリアスの傷薬は、エイガストの及第点を得た。この製法の傷薬は作ってから二日も保たないのだが、それでもゼミリアスは小さな容器に薬を詰めると鞄に大事そうに仕舞った。
用を足しに行ったゼミリアスが戻ってくる間、エイガストは布団を整えて翌日に着る服を用意する。扉の外に気配を感じ、ゼミリアスが戻ってきたと思ったが入ってくる様子がない。
「誰?」
作業する手を止めて扉に呼びかけるが反応はない。いつの間にか扉の下の隙間から紙が差し込まれていた。
そこへ小さな足音を立ててゼミリアスが入ってくる。眉根を寄せたエイガストと目が合い、ゼミリアスは瞬きを繰り返す。
「ゼミリアス、誰かとすれ違った?」
「誰もいないよ?」
「そう」
立ち上がったエイガストは扉の方へ歩き、ゼミリアスの足元の紙を拾う。廊下に誰もいない事を確認して内鍵を閉じた。
「手紙?」
「たった今誰かが置いて行ったんだ」
宿の階段は一つ。今日の泊まり客はエイガストたちのみ。パールや知り合いの訪問なら一言くらい発する筈だ。
折り畳まれた紙を広げ、書かれていた文字を見てエイガストは硬直した。
「どうしたの?」
「読めない……」
知らない文字の羅烈。エイガストから紙を見せてもらったゼミリアスも、やはり読めない様子で首を捻る。
「レイリスは、わかる?」
「はい」
「読めるんですか!?」
ゼミリアスの質問にあっさり答えるレイリスに、エイガストは驚きの声をあげる。聞けば他種族の言葉もわかるが、動物だと漠然としかわからないと言う。
エイガストはそれでも十分だと思った。
「手紙の内容ですが、邸宅の井戸にて待つと記されております」
「どこの、とは書いてないんですね。街長の邸宅でしょうか……レイリスさん、そこに誰がいるか見えますか?」
「はい。お一方、見えられますが、その……」
「言いにくい人?」
「……ギヴ様です」
名前を聞いてレイリスが言い淀んだ事に納得した。
レイリスに礼を伝えゼミリアスに向き直ったエイガストは、手紙の主が誰であったかを告げる。ギヴの名を聞いた途端、ゼミリアスの表情は険しいものになる。自分の国を襲った者の片割れなのだから当然だった。
隣の部屋で休んでいたパールにも声をかけ、装備を整えてから三人で呼び出された場所へ向かう。
久しぶりの晴れた夜。大きめの雲の合間から覗く星の灯りが大地を照らしだす。
邸宅に来たついでにケンディックの様子を見に行く。熱は下がったと言って書類を読んでいたので早めに寝る事を勧めるが、やはり半日休んでいたのが気にかかるらしい。
ならばと、エイガストたちがもう一度訪れるまで誰も外に出ないようにと、邸宅に残ってる者に伝言を頼む。首を傾げながらもケンディックは了承した。
街長の広い裏庭は避難所としても使われるためか、植え込みや花壇は小さく狭い。そして隅の方に蓋のされた井戸がある。大きな水場が別の場所にあり、邸宅から遠く不便い為か今ではあまり使われていない様子。
その傍らに佇むのは、白と黒の二色の髪と銀色の鋭い目が印象的な、魔人のギヴ。
過去に二度対峙した時の彼は、攻撃を受けるまでは手を出さなかったが、レイリスはいつでも防護壁を張れるように構えている。
エイガスト、パール、ゼミリアスの三人は十分な距離をとって対峙した。
「俺たちを呼び出して、なんの用ですか?」
手紙には、誰が来いとも一人で来いとも記されていなかった。故に三人で訪れたが特にギヴは驚く事もなく、無表情のまま警戒する三人を順番に見回し、ようやく口を開いた。
「カルトイネスを討った貴方がたに、是非とも倒して頂きたい魔人がおります」
まさか、魔人の討伐を頼まれるとは思いもよらず瞠目するエイガストの隣で、「仲間ではないのか」とゼミリアスが吠え、ギヴは「違う」と即座に否定する。
「何故、俺たちがそんな事をしなきゃいけない?」
「おかしいですね。魔獣及び魔人は、人が討伐する対象ではありませんでしたか」
人々を脅かす魔獣や魔人、当然倒すべき存在だった。けれど、魔人は人と区別がつかない。
膨大な魔力を持つ目の前にいるギヴでさえ本当に魔人なのか、倒して欲しいという魔人が人ではないという証拠もない。
それがわかるのは、首を切り落とした時だ。
「だからと言って、あなたの言う事を聞く謂れはないです」
「貴方は断れないと思いますよ。その魔人が、貴方の故郷を滅ぼしたのですから」
一度は拒否するも、続いたギヴの台詞にエイガストは言葉を失った。
魔人が故郷を滅ぼした。
それが真実かどうかわからないが、なによりもギヴがエイガストの過去を知っているという事に驚愕した。
「何故、そんな事を……あなたは俺を知ってるんですか……?」
「……忘れてしまった貴方に、そこまでお教えする必要があるのでしょうか。尤も、彼の方と鉢合わせれば自然と思い出すかも知れませんが」
ギヴの言葉にエイガストの心臓が跳ねた。自身の出生を知りたくて旅を始めたはずなのに、今、目の前に過去を知る者がいるのに言葉が出てこないでいる。
過去に触れる度に発作のように沸き起こる激情の波に呑まれ、青褪めたエイガストはその場にしゃがみ込む。ゼミリアスはエイガストを守る様に腕に抱いて、その目はギヴを睨む。
「なら、討伐依頼の報酬として教えて貰えないかしら?」
エイガストとゼミリアスを背に庇い、間に入ったパールが提案する。
ギヴは無表情のまま僅かに思案し、ゆっくりと口を開く。
「いいでしょう。彼の方を倒した暁には、貴方の質問に答えましょう」
無事に締結が成されたと、ギヴが徐に懐から取り出して見せたのは、刺繍針よりも大きく太い金色の針と、不揃いな大きさの赤い石が複数。
「この邸宅で囚われていた者に、この様な屑石がついていた筈です。金の針を使えば、肉体を傷つける事なく砕く事が可能です」
右手で持っていた針で、左手に持つ石の一つを突き刺すと砂の様に粉々に砕け散る。
前金の代わりだと言い、ギヴは金の針をそばの井戸の蓋の上に置いた。そしてそのままどこかへ行こうと背を向ける。
「ちょっと! 依頼するなら時間と場所の指定くらいしっかり伝えなさい!」
「期限は特に御座いませんが、早い方が良いでしょう。スフィンウェルの国都から東へ向かって下さい、後はその針が導きます」
溶けるように姿が薄くなるギヴが井戸に置いた針を指す。星の灯りに照らされているせいか、仄かに光っているように見える。
それを見たギヴの目が、僅かに伏せられる。
「この邸宅に囚われていた女性は少なくありません。乱暴に扱われ命を落とした者はどこに棄てられたか、ご存じでしょうか」
不穏な言葉を残してギヴは消えた。
緊張していたパールは深く息を吐き、駆け足で井戸に向かって針を手に取り、井戸の蓋の奥から不気味な音を聞く。
パールが振り返って確認したエイガストの様子は、気が滅入っているもののゼミリアスに慰められて少しは落ち着いたらしい。
「エイガスト、ゼミリアス。井戸に何かいるわ、構えて」
金の針をピンブローチのように服に刺し、パールは井戸の蓋に手をかける。少し重いが女性の力でも動かせる。
蓋を引きずり下ろし、井戸の中から現れたのは、人の頭ほどに大きな黒い蜘蛛。実際、蜘蛛の頭部は捜索中の侍女長の顔をした魔蟲だった。
「ふッ」
パールの拳が空を薙ぐ。ひらりと躱した蜘蛛は一目散に逃げ出した。
蜘蛛の足を止めようと、ゼミリアスは風の刃を放ち、エイガストは矢を撃つ。けれども蜘蛛は、蛇行を繰り返して避けながら邸宅の裏門へ走る。
「ダメ!」
ゼミリアスは魔法で壁を張り、裏門の隙間を封鎖する。ならばと、蜘蛛は進路を変えて植え込みの中へと入り込む。揺れる葉音を頼りに撃ち込むも、命中していないのか揺れる葉は遠ざかっていく。
「エイガスト様、金の針に文字が書かれていたようなのですが、なんと書かれていたかお聞きしていただけませんか?」
「パール! 針になんか書いてた!?」
「書いてるけど読めない!」
「貸して!」
追いかける足は止めず、パールはエイガストの隣に来て併走しながら手渡した。
金の針の側面に刻まれた一文をレイリスは解読できたのか、金の針に魔力を通して投げ放つように言った。
ただでさえ物に魔力を込める事に集中が必要だと言うのに、金の針に魔力をこめながら蜘蛛を追いかけ走らなければならない状態で、なかなか魔力をうまく操作できる筈もなく。蜘蛛どころかパールやゼミリアスとの距離も開いていく。
壁を張って進路を塞ぎながら追いかけて、とうとう正門まで来てしまった。そこへ邸宅の門に手をかける一人の影。
「危ない!」
「わゥ!?」
声に驚いた影は足元を高速で這う蜘蛛を踏みつける。
ようやく金の針に十分な魔力が入ったと言うレイリスの合図と共に、エイガストは針を投げる。
魔力を纏った針はパールとゼミリアスの間を抜け、踏みつけられて動けない蜘蛛の赤い石を的確に貫いた。
「ォん! 気持ちわう!」
足元で崩れて消えていく魔蟲に声を上げたのはオウン。
手には菓子や花を持っているところを見ると、今夜も泊まりで看病をするつもりで来たらしい。
「捕まえてくれてありがとう、オウン。すばしっこくて追いかけるの大変だったのよ」
「まだ魔獣がいたのか。加勢するか?」
「いえ、多分もう居ないわ」
軽く息を乱しながらパールはオウンの前で足を止めた。
オウンが足元に転がる金の針を拾い上げ、パールの掌に乗せたところで、遅れて合流したゼミリアスとエイガストは息も絶え絶えに崩れ落ちた。
ようやく呼吸の落ち着いたエイガストはオウンが今夜も邸宅に泊まると聞き、副街長のケンディックに用事は終わった事の伝言を頼んだ。
三人の後ろ姿を見送ったオウンは邸宅に入り、広い玄関のラウンジに座り書類を握ったまま転寝をするケンディックの姿を見つける。カンテラの灯りは尽きかけている。
オウンが声をかけても返ってくる言葉はうわ言だけで起きる様子がなかったため、肩に担いで使用人部屋のベッドに寝かせるのだった。
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