005
「疲れた……」
公証人と別れたエイガストは、首元のボタンを外して宿のベッドに倒れ込んでいた。
ヴィーディフ商会。エイガストの父が会長を務める商会。
行商をしていて、度々耳にする父の名と製品技術。外国にまで及ぶ親の人脈は広い。
そして唐突に送られる仕様書と契約書。販路の拡大や契約の更新、開発依頼の受注と理由は様々に、旅の途中に立ち寄った街の逓送組合に書類一式が届いていることがある。
経験を積ませたい親心なのだろうが、会長や副会長と言った肩書を持つ人を相手に、エイガストは気が気ではなかった。
襟につけた屋号紋の記章を外し、しばし眺める。
幼い頃に記憶を失い行き倒れていたエイガストを、家族として迎えてくれたヴィーディフ家。
仕事を継がないかと持ちかけられたが、自分の出自を探したいと、保留にしたまま旅に出た。行き倒れていた時に持っていた、弓の魔装具と共に。
「……行くか」
記章をケースに収め、さらに鍵付きの貴重品箱に収める。
仕事着から私服に着替え、宿を引き払った。
軽く昼食を取った後、エイガストは魔装具店に向かう。先触れのおかげか、快く奥へと通され話をする事ができた。
しかし国都にある本店の出張店でしかなく、開発者や製作に関する詳しい事は聞けなかった。そもそも部外者に話してもらえる様な内容でもないが、自分の出自を知る手がかりは現時点で魔装具しかなかった。
気の良い店長は本店に手紙を飛ばす事を提案する。エイガストがこれから国都に向かうと伝えれば、彼が近いうちに本店を訪問するという、先触れを出すことを約束してくれた。
昼を過ぎた待合広場は、人が捌けて賑やかさは随分落ち着いていた。
大抵の荷馬車には専属の護衛が雇われているため、依頼掲示板に多いのは、討伐と素材採集と配達。
エイガストは次の連絡馬車の時刻を確認する。
「だめだめ。こんな金額じゃ請けられないよ」
広場の一角。役場の出張所の前で、傭兵と思しき戦士の男性複数人と、くたびれた服を着た農家らしき子供の二人が、言い合いをしている声が聞こえた。
「役所に連絡したんだろ? 軍が来るまで待てばいいじゃないか」
「明日じゃ遅いんだよ!」
「早くしないとみんな食べられちゃう!」
「魔獣じゃねーんだから。放置してりゃどっか行くって」
傭兵の戦士たちは子供たちを振り払うと、別の依頼を探しに出張所に入って行った。
振り払われた子供は周囲を見回して、引き請けてくれそうな別の人を探す。が、話を聞いていた傭兵の人たちは目を合わせない様に背いていた。
エイガストは傭兵を兼業にしてはいるが、戦士ではない。弓兵一人で何になるか。それでも聞こえてしまった以上、放って置けなかった。
「こんにちは」
エイガストの呼びかけに勢いよく顔を向ける子供たちだったが、戦士ではない姿に明らかな落胆を見せる。
エイガストは子供たちの前に片膝をついて、目線の高さを合わせる。
「君たちは、どこから来たの?」
「となりの村……」
「歩いて?」
「走って! 足はね、ぼくがいちばん速いんだ!」
子供の足で来られる距離。それほど遠くない。
今から馬を駆れば、夕方までにたどり着けると、エイガストは推測する。
「お兄さんは戦士じゃないけど、兵士が来るまで獣を抑えることは出来ると思う。連れて行ってもらえるかな?」
子供たちは顔を見合わせて迷ったが、握りしめていた硬貨をエイガストに出した。
「おねがい……」
傭兵一人分の半分にも満たない金額。断られて当然だとエイガストも思う。
魔獣ではないとはいえ、危険を冒してまで面倒を請ける人は、恐らく見つからない。
だから
「承りました」
エイガストは引き請けた。
貸し馬に乗って街道を駆ける。
子供を前に一人抱え、一人を背負い、彼らの先導に従い脇道に入る。
馬に乗るのは初めてだと緊張していた子供たちも、直ぐに慣れて少しだけ笑顔が戻ったことに、エイガストも少し安心する。
何度も修繕された古い獣除けの古い木の柵が見えた。
目に見える範囲に、壊された痕跡はないが、内側にある畑が多少荒らされている。
作物を掘り返しただけで、食い散らかした訳ではなさそうだ。
柵の手前で馬を降りる。
話を聞く限り村に侵入した獣は肉食であることと、帰巣するとはいえ柵で怪我をしては困るからだ。
馬の首を軽く叩いてやると、馬はひとりでに歩き出す。帰る方向へ歩いていることを確認し、鞄から弓を出してエイガストは村へと急いだ。
家屋が見え、駆け出そうとする子供たちをエイガストは引き止める。
獣らしき姿は見えないが、村の住人が誰一人として外に出ていない。
「君たちの家はどれ? ここから見える?」
「あそこ」
「わかった。家まで送るから、お兄さんから離れないでね」
家から家へ身を隠し、行く先に何もいないことを確認しながら渡る。弓に魔力を通し、いつでも撃てるように準備して目的の家屋へ。
窓を覗いて女性がいることを確認し、小さくノックすれば気づいた女性が近づき、僅かに窓を開ける。
「お子さん二人います。獣はいません」
簡潔に伝えると、女性は扉のある方へ急ぐ。
重い荷物を動かす音の後、半分だけ開いた扉からエイガストは子供たちと共に家の中へ滑り込む。
「ルト! ユニ!」
「おかあさん!」
子供たちは駆け寄り、女性は子供たちを抱きしめる。
エイガストは扉を押さえたまま屋内を見回す。部屋には母親一人で、父親の姿はない。
「取り急ぎ失礼。男性陣はどちらに?」
「主人は村長の家に行きました。ですが、先ほど外で声が聞こえてましたので、狩猟が始まってるかもしれません」
「わかりました。ありがとうございます」
再び扉を塞ぐように伝え、エイガストは外に出る。
そろそろ夕陽が沈み、宵闇が迫っている。
耳をすませば、随分と遠くで獣を追う声が聞こえた。
エイガストは子供たちの母親から聞いた、村長の家の方角と目印の煙突を目指して走る。
「レイリスさん、居ますか?」
「はい」
出来るだけ小声で問いかける。
レイリスの声はすぐに返ってきた。
「魔法について、詳しいですか?」
「それなりには」
「前にミンティが言ってたんです。能力変換があれば魔装具の矢を火や風にできるって。どうすれば良いですか?」
「青の属性は不動。固めることや、止めることに適しています。変換するとすれば、盾や氷、弓の魔装具でしたら矢をより強固にすることでしょうか」
「矢を強固に……」
エイガストは周囲を警戒しながらも、レイリスの言葉を聞く。少し獣追いの声が近くなっている。
短い石階段を上り、煙突のある家を見つけた。村長の家に続く急な坂道を駆け上がると、流石に息が切れた。
「そっちへ行ったぞ!」
遠くから、けれどハッキリと聞こえた。
声のした方へ視線を向けるエイガストの視界に、突如として現れた獣が、牙を剥いて飛びかかる。
「わッ!」
ガツンと強い衝撃。咄嗟にエイガストが盾にした弓に、獣の爪がぶつかった音。
弓を押し返し獣を払う。獣は宙で回転し、音もなく着地する。
「クルガン!?」
猫のようにしなやかな容姿の大型肉食獣、クルガン。
高い跳躍力と、足の速さは馬を超えると聞く。
エイガストは矢を放つが、クルガンは素早く避けると奥へ逃げ去った。
「大丈夫か、兄ちゃん」
「はい。獣はあっちに」
「追うぞ!」
弓や農具を手に獣を追っていく男性陣。
集団から一人残り、エイガストに声をかける。
「すまないな。今はあの獣に家畜が襲われて、客人を迎える余裕がないんだ」
「おおよそは聞いてます。俺に手伝えることがあれば言ってください」
怪訝な表情を見せた男性は、エイガストを頭から足まで見回して訊く。
「君は? 兵士ではないようだが」
「ルトとユニに雇われた者です。兵士の到着は明日になります」
エイガストは念のため、街を出る前に役所に確認を取った。
申請は受理されていたが、魔獣ではないため優先度が低く、明日の朝になるとのことだった。
男性は子供たちの名前を聞いて、一瞬怒鳴りかけたがなんとか圧し殺した。
「あ、のッ、馬鹿ども。帰ったのか」
「はい。今は母親と一緒です」
「そうか。息子と娘が迷惑をかけた。すまない」
「いえ。それよりも、獣を追いましょう」
「わかった。こっちだ」
男性に続いて向かった先は、小ぶりな牛小屋。
窓や穴を板で塞ぎ、獣を追い込んで閉じ込めたところだった。
「捕まえたか」
「ああ、だが酷く暴れてやがる。そのうち蹴破って出てきそうだ」
それでも暫くは大丈夫だろうと、見張りを数人置いて男性陣は一度、村長の家へ戻ることに。
エイガストは子供たちの父親であるトグニーから紹介され、村長の家に招かれた。
外では暗くて気づかなかったが、獣を追っていた彼らの体は傷だらけだった。
エイガストは鞄から傷薬を出す。
「よかったら、使ってください」
「いや。あ、うん。すまない」
手持ちの量だけでは全員を手当てできない、しかし返せる手立てもない。村長は迷って何度もエイガストと薬を交互に見る。
エイガストが村長の手に握らせることで、ようやく受け取るのだった。
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