042
「ところで、その話をアレックさんにするつもりは、ありませんか?」
「アレックに? うーん。信じてくれるかしら?」
何故そこでアレックの名が出るのか、エイガストから提案をされた事に少し戸惑いながらも、パールは答えた。
直接的に繋がる前兆の無い今では、未来の話を信じる者の方が少数だ。すんなり受け入れたエイガストとゼミリアスが素直すぎるとも、パールは考える。
「俺の場合ですが、レイリスの存在を疑ってはいましたが、否定はしませんでした。パールさんの話も頭ごなしに否定しないと思うんです」
「そうかしら」
「アレック、パールの事なら、全部信じると思う」
「俺もそう思います。なんだかんだ言いながら味方になってくれるかと」
アレックのエイガストに対する対抗意識と嫉妬は、話して貰えない事の苛立ちによる八つ当たり。会うつもりはないが、次の機会に少でも解消されていると良い。
なんならパールを一刻も早く軍部に戻す為に動きそうな気がする。
「そうね、考えてみるわ」
廃村を後にした三人は農村まで戻ってきた。
もう一日分進めば街まで行けるが、雨が降りそうな曇天が空を覆い始めたため、雨が過ぎるまで村長の家に宿を借りる事になった。
「村長、熱冷ましは無いか? 妻が倒れちまった」
「だめだ。この間全部使っちまってる」
エイガストは借りる部屋を設えている時に、玄関でのやりとりが耳に入ってきた。
作業を中断して鞄の中を漁り、解熱薬の材料がある事を確認する。残りの作業をゼミリアスとパールに任せ、エイガストは村長等の元へ。
「あの、良かったら調剤しましょうか」
「なんだ、アンタ医者かい?」
「医者ではありませんが、調剤の知識はあります」
「この際なんだって良い。妻を助けてくれ」
街と街の合間にある、道なりから少し逸れた位置にある辺鄙なこの村に医者はいない。調剤師が一節の間に数日滞在するくらいだと聞く。
エイガストは熱で倒れた女性の容態を確認し、その後調剤師が使っていると言う家へ向かう。最低限の器具と薬草類。エイガストは棚の診療記録から患者に処方されてきた薬の記録を確認する。
人によって薬の相性があり、特に解熱剤は地域によって内容が随分違う。効力が強すぎても弱すぎてもいけない。天秤を使用して正確に分量をとり、二回分の内服薬を用意した。
エイガストが薬を渡し終えて器具を片付けいる最中にゼミリアスが様子を見に訪れる。部屋の設えが終わった後、ウエルテの様子を見に行ったその帰りらしい。
「エイガスト、終わった?」
「うん。片付けも、もう終わるよ」
「待ってる」
そう言って小さな作業台の椅子に腰掛けたゼミリアスだったが、エイガストが片付ける為に器具を手にする度に名称を尋ねてしまうため、その都度触って使って確かめる事を繰り返し、全てを片付ける頃には随分と時間が経っていた。
村長の家に戻ると、数台の荷馬車が走り去っていく姿が見えた。行く方向からは焚火の煙が登る。街道から農村に逸れる辺りには、川は無いが野営に適した平原がある。
素通りする事の方が多いこの場所で野営とは珍しいと思いながら、エイガストは荷馬車を見送っていた村長の妻に声をかけた。
「何かあったんですか?」
「野営をするから、井戸を貸して欲しいって、代金まで置いていったよ。なんでも暴動が起きて街に入れなかったから引き返すらしいよ」
「物騒な話ですね」
「でも、あの街長じゃあ、仕方ないかもねェ」
前の街長が事故死して今の街長が引き継いでからと言うもの、妙な輩が出入りする様になり、同時に納税が上がってより生活が厳しくなり、数年のうちに随分と治安が悪くなったそう。
エイガストと手を繋ぐゼミリアスの手が、少しだけ強くなる。エイガストが少しだけ握り返せば、若干の憂いを帯びたゼミリアスの表情が、少しだけ晴れる。
「悪い噂がここまで届くって事は、よっぽど恨まれてたんだろうねェ」
「そうなんですね」
「さぁさ、煩わしい話はやめて、入って入って。もうすぐ夕食だよ」
「あ、手伝います」
「ボクも!」
暴動の起きた街はこれから向かう予定の場所。詳細を知る為に夕食の後に野営に向かおうとエイガストは考えていたが、パールが既に動いていた。
村長夫妻と夕食を囲んだ後、降り始めた雨の音を聞きながらパールが聞いてきた街の状況。街長が船旅の途中で死んだと知らせを耳にした住民が押し寄せて街長の家に突撃し、警備兵や傭兵と抗争し合ったのが昨日の事らしい。
「どうする?」
このまま予定通り北上し件の街に向かうか、港街に引き返し迂回の道を進むか。
エイガストは考えながら、右耳の青い魔晶石に触れる。既に街の現状を確認していたレイリスが、沈静化している事をエイガストに伝えた。
「このまま向かいます。少し混乱しているとは思いますが、橋を渡る事はできるかと」
以前のエイガストは迂回した道順でスフィンウェル国に向かったので、この街の事はよく知らない。
今回の暴動でどうなるかは分からないが、レイリスの視界からは検問を受けた馬車が橋を渡る様子が見えるそう。
そう決めて雨が上がるのを待つ間、室内でできる魔力の操作訓練と、ゼミリアスの勉強と、逓送組合で受け取った荷物から出てきた試作品の仕様書を読んだり、村長の家に常備されている薬箱の補充を行ったりしていた。
そうして雨の上がった二日後の早朝、世話になった村長に僅かな謝礼を渡し、エイガストが個人的に気に入った豆の塩漬けを貰って出発。
泥濘の酷い悪路でウエルテが滑らないように気をつけていたら、街に到着する頃には夕方になっていた。
雨の多い時期とはいえ下手をすれば馬車すら通れなくなる道に、ここ数年は管理されていない事は明白だった。高い通過料や税をとっておきながら街の維持管理を怠れば、街の人が怒るのも無理はないとエイガストは思う。
肩の高さ程の獣避けの塀に囲われた街の入口で検問を受ける。来訪の目的や滞在日数と武器の確認と簡単な質問に答えるだけで、あっさり入る事ができた。
足を踏み入れた街は、時間帯のせいか先日の暴動のせいか、すれ違う人は警備兵の腕章をつけている者ばかり。馬小屋のある宿の場所を尋ねるついでに、何も知らないふりをして話を聞く。
暴動の中心地となった街長の邸宅の位置と、暴動を起こした主犯格がまだ街のどこかに潜伏しているという情報を得た。
「捕縛のための人員は、まだ募集中かしら?」
「手伝ってくれるなら助かるが、謝礼は無いぞ」
「構わないわ」
パールはエイガストとゼミリアスに宿に行っててと言い残し、「自分も手伝う」とエイガストが発言をする間もなく警備兵の一人と一緒に行ってしまった。エイガストやゼミリアスに同行を求めない事から、単独で行動したい理由があるのだろうとエイガストは考えた。
仕方なくエイガストとゼミリアスの二人で、固く閉ざされた商店通りを経由してから、紹介された宿の一階にある食堂で食事を摂る事にする。
席数の多さからして普段は賑わっているのだろうが、夕食時だと言うのにエイガストたちを含めても四組しか居ない。
そして追い打つように雨が降り始めた。今夜の集客は望めまい。
「いらっしゃい」
扉に下がるベルと共に一人の男が駆け込んでくる。給仕人は男が脱いだ雨に濡れた撥水フードを受け取りに行き、入口付近のコートハンガーに吊るした。
フードを取った男の顔は、額に白い星が光る黒い毛並みの狼頭。獣人の雪狼人だった。雪狼人は辺りを見回し、大陸の北の山に住む彼を珍しそうに見ていたエイガストと目が合った。
大股でエイガストに向かう雪狼人に、エイガストは見過ぎたと慌てて謝罪しかけたところで、彼が先に声をかけた。
「エイガスト、ゼミリアス。お前たちも来てたのか」
名前を呼ばれてエイガストは硬直する。雪狼人に知り合いなど居ただろうかと、記憶を探るが思い当たらず首を傾げたが、ゼミリアスが彼の名を呼んだ事で判明した。
「さっき着いた。オウンも、一緒に食べる?」
「ああ、相席させて貰おうか。エイガストも思い出したようだしな」
「すみません。フードを被った姿しか知らなかったので」
「それもそうか」
テーブルに着いたオウンは給仕人を呼び、メニューからいくつか注文する。
よく見れば腰に差した二本の剣は、確かに船上で目にした武器だとエイガストも思い出す。ゼミリアスに何で気づいたのかこっそり尋ねると、彼の纏う魔力の雰囲気だそうだ。
「ところで、あの姉さんは一緒じゃないのか」
「パールさんは警備兵と暴動の主犯を捕まえに行ったんで別行動です」
「暴動? 邸宅に押し入ったのは賊だろ?」
「そうなんですか?」
互いの食い違う認識に、二人は情報を整理する。
オウンがこの街を訪れた翌日、街の各所に潜伏していた賊が邸宅に押し入り、金品を強奪したと言う。
エイガストは引き返した商人から暴動が起きて入れなかったと、パールから聞いた。先程パールがついて行った警備兵も暴動だと。
「変だな、賊に押し入られたって公表したのは警備兵だぞ?」
街の住人も賊による強盗だと認識していると聞き、エイガストは大きく溜息を吐く。
パールはきっと気づいていた。だから、人と戦いたくないと言うエイガストの意思を汲んで、何も言わずエイガストとゼミリアスを置いて一人で向かったのだろう。
パールが強い事も知ってるが、だからと言って心配しない訳ではない。
もう一度溜息を吐くエイガストの前に、オウンの注文した料理がテーブルに並べられる。
「オウンは、この街に用事?」
「そうなんだが、ちと問題が起きてな」
「暴動の話?」
「ああ」
ゼミリアスの質問にオウンは肉団子を口に放り込みながら答えたが、続きを話す事に少し迷い、ここで会話を途切れさせる。
果物を齧りながらゼミリアスはオウンが話し始めるのを待っている。顔を上げたエイガストとも目の合ったオウンは、まあ良いかと話を続けた。
「お前等は船員だったから知ってるかもしれんが、客船にドーガンって奴が乗っていてな。オウンはこいつを追っていたんだ」
オウンの口から飛び出した人名に、ゼミリアスとエイガストは顔を見合わせる。
二人の様子から、オウンはドーガンを知ってるものとして話す。
「霧の騒動が始まった頃に奴は姿を消したんで、船員が気付く前に目当ての物を探させて貰ったんだ」
「部屋を荒らしたのは貴方だったんですね」
「悪い。どうしてもオウンには必要だったんだ」
「探し物、見つかった?」
頷いたオウンは腰鞄から薄い紙の束を出してゼミリアスに見せる。エイガストは席を立ってゼミリアスの後ろから紙の束を覗き込む。
見ても良いと言うオウンの言葉を受けて束を開く。人物の肖像と名前の記載された頁が続く。名簿だろうか。
「購入リストだ」
「こ……ッ」
驚いて声を上げそうになったエイガストは既の所で飲み込む。購入リスト、即ち人身売買。
セイクエット国で禁止されて数年経つが、各地にはまだ秘密裏に営業を続けている所も多いと聞く。
「オウンの調べた限り、こいつとこいつは行方不明中。こっちは既に死亡扱いされてる」
頁を捲ってはオウンの知る彼等の現状を話す。
そして最後に、とある頁で手を止めた。狼頭の少女の肖像。
「やっと見つけた、オウンの妹。だが賊が邸宅に入ってから、中にいた人間たちの匂いが無くなった。恐らく何処かに連れて行かれたと思うんだが」
「単純に考えるなら、賊が連れ去ったんでしょうね」
探していた妹が目の前にいると言う歯痒さから、オウンは牙を剥いて憤慨の表情を見せる。今にも唸り声をあげて噛み付くほどに。
街長の邸宅に押し入った暴動。
公表された内容と、暴動と教えてくれた警備兵の発言の食い違い。
パールがついていった警備兵は。
「オウンさん。俺も微力ですが協力します。ですが、少し準備が必要なので一晩待って貰えますか。パールさんにも協力を求めますので」
「今すぐには無理か」
「この子たちが賊の手にあるうちは人質も同然です。オウンさんの妹さんも含めて。全員を助けるには準備を万全にする必要があります」
「そうか……そうだな。わかった」
エイガストは紙の束を返す時に指言葉を送る。人間語を交わせない幼い獣人と交信する時の言葉だが、今では手話という確立した言語があるので指言葉を知る者は減りつつある。
エイガストが送った言葉は『左』『ニ』。それに対してオウンは『了解』と返してきた。
料理を食べ終えたオウンは席を立ち、また明日と撥水フードを羽織って店を出ていく。エイガストとゼミリアスも食事を終えて席を立ち、二階の客室に向かう。
丁度、別のテーブルで食事をしていた二人の男も席を立ち、一人は外へ、一人は階段を上がる。
男はたった今閉まった扉の前に立ち、鍵のかかる前にノブに手をかけようとした途端、突如開いた扉から伸びたエイガストに襟首を掴まれて引き込まれた。
ゼミリアスは扉の鍵を掛け、エイガストは引き倒した男の背に膝を置き、腕を後ろ手に押さえる。
「俺たちの会話に興味がおありで?」
「な……で……」
「あんなに明からさまに見ていたら、誰でも気づくよ」
オウンとの会話中ずっと聞き耳を立てていた男の様子は、ゼミリアスですら怪しむほどに。
ゼミリアスの魔法で四肢を拘束し武器を押収。転がした男の正面に置いた椅子にエイガストが腰をかけ、その隣にゼミリアスが添う。
「さてと。話をしようか」
ここまで読んでくださりありがとうございます。
よろしければ下記の★にて評価をお願いします。
誤字脱字も気を付けておりますが、見つけましたらお知らせください。