閑話 友人へ
「会長、こちらが本日分です」
そう言って執務係からカールの仕事机の上に置かれる封書の束。仕分けの際に見る差出人は、商会から私書まで様々。
ふと仕分けるカールの手が止まる。差出人の名前がない手紙だが、海を思わせる緑青色の封蝋に押された立派な印章にはどこか見覚えがあった。
その夜、仕事を終えたカールは真っ先に差出人不明の手紙を開いた。
冒頭に堅苦しい挨拶はなく、カールの家名を最近知ったと言う苦情から始まり、連絡を寄越さなかった事への愚痴と近況の報告、そして最後には息子に会ったと言う内容だった。
カールと言う名はどこにでも居るが彼の財力ならいくらでも見つけ出せた筈だが、あえてカールからの連絡を待っていたのかも知れない。
ふうと息を吐いたカールは椅子の背に身を預けて目を閉じる。
「もう十八年にもなるのか」
封蝋の印章はサディアル国王家のもの。
過去に一度訪れ、それきり寄る事もなく旅を終えた懐かしい記憶。
家業を継ぐ前の若き日のカールは、世界を旅して回っていた。
当時のサディアル国では海上で起こる原因不明の症状を解明するべく、医学や薬学のある者は人種を問わずに協力を求められていた。ふらりと立ち寄ったカールも行商の品目に薬が含まれていた為に王都までほぼ強制的に連れてこられた。
そこで原因究明の筆頭に立っていたのが王太子であるイェンと、その侍医フアンだった。
カールは夢に見た世界の知識から、サディアル国で入手しやすい食品類を幾つも持ち込んだ。夢の世界と現実では全てが一致する訳ではない。実際に患者に摂取して貰い、何人もの検証を重ねた。
結果、薔薇の中でも価値が低いとされていた狼薔薇という品種からとれる実が注目された。
解決の糸口さえ見つかれば後は国が動く。面倒な勲章やら表彰やらで担ぎあげられる前に、カールはさっさと旅立った。
そして、再びサディアル国を訪れる前にフアンの訃報を知る。
「フアン。お前は誰も救えていないと嘆いたが、俺はそうは思わない」
海上での生活に怯える心配がなくなり、遠方への流通の増加と共に発展する街。そして人口の増加。
彼の見た命の火は確かに受け継がれている。
惜しむらくは、フアンの血を継いだ者がいない事か。
コンコンと叩かれる扉の音に、回想から引き戻されたカールは瞼を開いた。
部屋を訪れたのは妻のミレイニアだった。
「あなた。昼に林檎のワインが一箱も届いたんだけど、心当たりある?」
「古い知り合いからだよ。一本はここへ、残りは地下室に頼む」
「あら珍しい。私も御相伴に与ろうかしら」
「ツマミも一緒に頼むよ」
「はーい」
華やかな返事と遠ざかる足音。再び部屋に静けさが戻る。
ワインを送ってきたのは、この手紙の差出人と同じだろう。
なかなか手に入らないから特別な時にしか飲まないのだと、フアンが大事にしていた好物の林檎のワイン。彼等と関わったのはほんの数ヶ節でしかなかったが、それを三人で飲んだ日の事は忘れていない。
カールは机に向かい、引き出しから紙を出してペンを走らせる。
海色の髪を持つ古き友人へ。
一般民が気軽に王族に手紙を出せると思うな。
これにて三章は終了となります。
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